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『僕の東京百景 - 劇場前広場の夜気』

 僕は都会の喧騒に馴染むことができず、いつも家の中に引きこもっていた。東京に来たら色んな場所へ足を運んで、地元には無かった色んな遊びをしよう。そう思って上京した筈なのに、東京の店はどこも目に眩しく、調べれば調べるほど敷居が高いように感じる。

 外を歩くのは、決まっていつも人の往来が収まった深夜の時間帯だけである。一人での外出もままならず、早くも一ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。

 そんな僕を見兼ねてか、同居人の友人がよく池袋観光に連れ出してくれた。サンシャイン通りの賑わいの中を歩いたり、駅構内の抜け出し方を教えてくれたりもした。
 昼間の池袋はいつも、何か祭りでもしているのではないか?と思うほど人混みが物凄い。僕はその中で抵抗することもできず、果たして自分の意思で足を動かしているのかも分からないまま、潮流に身を任せてどこまでも流されていく。

 たまに大通りから、細い脇道へ逸れてみる。
 路地の中にまで様々なジャンルのお店がギュッと詰め込まれており、正に群雄割拠といった状態で、一人でも多くの客を腹の内に取り込もうと軒先から個性を押し出していた。よく分からない造形の輸入雑貨を眺めては、へ~と何の感情とも言えない声を出す。友人は「あ、こんなところに〇〇屋あるんだ」と飲食チェーン店の看板ばかりに注目していた。

 池袋という街は一言で「バラエティ豊か」と表現するのが正しいのかもしれない。若者から年配の方まで全ての年代層が楽しめる"庶民にとっての街"として完成されている。

 上京してからすぐの頃、新宿や渋谷といった有名所にも連れていってもらったことがあったのだけれど、道行く若者達がオシャレな格好に身を包んでいたり、青やピンクといった派手な髪色に染めた人が道を歩いていて、ここはあまりにも洗礼され過ぎていると苦手意識のようなものを感じた。

 とりわけ僕を不安にさせたのは、おじいちゃんやおばあちゃんが、ほとんど街に居ないことだった。
 
 僕の地元浜松では、道を歩けば若者よりもまず年配の方とすれ違うことが多い。同じ年代の人達は一体どこへ行ったのだろうと思うぐらいには少なかった。そんな風景が日常だったので、若者だけの街というのに強烈な違和感を覚える。
 その点、池袋は若者も確かに多いのだが、おじいちゃんおばあちゃんも道を歩いているところに謎の安心感があった。

 僕と友人は歩き続け、池袋の地形を脳内の地図に描き込んでいく。
 何時間も歩いていると体が街に順応し始め、自分も人混みの一部なのだと実感できるようになっていく。景色が鮮明に見えるようになり、周囲の華やかさに浮かされ、僕も楽しい気持ちの方が強くなっていた。どこへ行っても活気的な人の声に溢れており、感情まで感化されてしまう。
 
 さすがに1日中歩き通しで疲れたので、僕らは休憩することにした。
 駅の西口前にあるマクドナルドで晩御飯を済ませようと思い、店先の列に並ぶ。その時、背後から「バサリ」という音が聞こえた。靴の踵部分に何かが触れている。振り返ると、僕の足元にたくさんの書類が散らばっていた。危うく踏みそうになってしまい慌てて距離を取ると、死角になっていたところにフォーマルな恰好をした女性がうずくまり、申し訳なさそうな表情で地面に落ちた書類を拾い上げている途中だった。

 僕はあまりにも近くで起こった出来事に無視をするわけにもいかず、腰をかがめ「お手伝いします」と言い、書類を拾うことにした。

 僕の手が書類に触れようとした瞬間、女性は針を刺すような声で「いえ、大丈夫です!触らないでください」と強い声を上げた。何を言われたのかすぐには分からなかった。ただその女性が書類をまとめている様子を愕然と見ることしかできずにいると、今度は念を押す形で「本当に大丈夫ですから」と言われてしまい、僕はようやく動くことができるようになり、注文の列に戻った。

 一つ前に並んでいた友人はその一部始終を見ていたらしく、笑っていいのか慰めてあげたらいいのか分からない、どっちつかずの顔で苦笑している。
 僕もそのときは、友人のリアクションに合わせ苦し紛れに笑った。しかし心の中では、初対面の女性から激しく拒絶された衝撃と、親切な好意がまさかこんな展開になるとは思ってもいなかったという裏切られた思いと、あまりにも一瞬の内に自分の何もかもを否定されたような出来事に混乱していて、すごく悲しい気持ちのままポテトのLサイズだけを注文した。
 お腹など全く空いていなかった。

 注文を終えた僕たちは、東京芸術劇場前にある広場に行ってご飯を食べることにした。道中、友人が一体何があったのか聞いてきたので事細かに状況を説明すると、今度は慰めるわけでもなく大笑いをしていた。
 僕は到底笑えるはずもなく、そのとき凄く落ち込んでいたのか、あまりの理不尽さに腹を立てていたのかよく覚えていないが、ただ東京が冷たい街だというのは本当のことだったんだと実感していた。僕のような者が住むべき場所ではないといった失意ばかりが、頭の中で反芻した。

 陽もすっかり落ち、街には夜の光が灯り始めた。
 劇場前の広場へ行くと、たくさんの若者が地面に座りながら談笑や酒盛りに花を咲かせている。中には陽気なBGMに乗せてダンスをする者がいたり、灯りの下で老人たちが将棋をしていたりと、なにか非現実的な空間が広がっていた。友人も「夜はこんな風になっているんだ」と驚いていた。

 僕たちも周囲の人間に習い、中央にある噴水を囲むようにして地面に座り、この夜の狂乱の場に身を置くことにした。傍から見ると、広場はかなり治安が悪い様子に仕上がっていただろう。誰もが一目をはばからず大声を上げて酒を飲み、肩を組んで歌い、時には走り回ってバカ騒ぎをしている。
 まるで祭りの後の熱にまだ浮かされているような無邪気さがここにはあって、僕は初めて「まだ家に帰りたくない」という気分に陥った。
 
 突き放されるような体験をし、次の瞬間には今日という日の出来事の何もかもを受け入れてくれるような東京の懐の広さを感じた。
 僕と友人は隣り合って座り、「なんかここ、いいな」と呟きながら、しばらく広場の様子を眺めていた。穏やかな夜気が汗ばんだ体を通り抜ける。
 
 これから先、まだまだ体験したことのない景色が見られる。
 そんな得体の知れない期待に胸が膨らむような、爽やかな夜だった。

▼次回の僕の東京百景


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