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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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ボタニカル哲学(後集51)欲望多き者と無欲の者

欲張りの者は、澄んだ岸辺に波が沸き立つように、山林に居ても、その静けさを味わえない。これ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集50)諸行無常の真実相

髪は抜けて薄くなり、歯も抜けてまばらになったら、それは本来、幻のような肉体であるから、そ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集49)天然の妙機に目を開く

人情として、鶯が鳴けば喜び、蛙が鳴くと嫌気がさす。また、花を観れば育てたいと思い、草が生…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集48)ままならぬ世に生きるには

身体というのは、舫い綱のとけた小舟のように、流れて行くも、難処に止まるのも、まったく成り…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集47)疑心、暗鬼を生ず

心が動揺している者は、弓の陰を見ても蛇かサソリかと疑い、横たわっている石を見て伏している…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集46)真実は文字言句にかかわらない

文字を一事も知らないのに詩心がある人は、詩人の本当の心が理解できる。 仏の教訓を一つも教…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集45)春の景色と秋の景色

春の天気は、万物に元気と華やさを与え、人の心に癒しとゆとりをもたらす。秋の日和は、雲は白く、清らかな風が吹き、欄や桂が香り、水面も天空も青一色となり、月は水面に影を落としてなお輝き、人の本心までも清らかにする。 つまり、活人の活躍は春の日に、達人の達観は秋の日に喩えられ、春も良いが、秋はもっと良いという。 言い換えれば、達人は秋と冬の楽しみのような落ち着いたもので、活人は春と夏の楽しみのように溌剌としているが、秋冬の落着きには及ばないと言えるのかもしれない。 ↓↓↓↓↓

ボタニカル哲学(後集44)自然と賞で、自然に学ぶ

素晴らしい景観の大自然の中をのんびりと歩いていると、俗世間で心にこびり付いた埃は徐々に取…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集34)自然に生きる

禅の教えでは、「腹が空けば飯を食い、眠ければ眠る」という自然体の生活をせよという。(景徳…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集33)人生、真実の味わい

ゆったりとした心というものは、まったりとした酒(美酒)を嗜(たしな)んでいては得られず、…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集32)無心の徳

洞窟から湧き上がる一片の雲は、宙に出た瞬間から無心にたなびく。 また、宙空に名月が照れば…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集31)悠々自適の境界

静寂を好む者は、自然な雲や石の風情を観て深遠な世界に心を奪われ、栄華を追い求める者は、清…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集30)名を捨て、無事に生きる

名声を誇ることは、できるだけ名声から逃れようとする味わいのある心のあり方に及ばない。また…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集29)限りない欲望と、足るを知る生き方

物欲の強い者は、金を分けても、玉が得られなかったと恨み、貴族(華族)に取り立てられても、領主にしてくれないと恨み、権力者となっても乞食根性が抜けない。身の程を知った者は、粗末な食事でも美味美食より美味しいと思い、ボロ布の服でも毛皮の服より暖かいと感じ、庶民であっても王侯にも劣らないと感じることが出来る。 つまり、欲が深い者は、どんなに恵まれた状態でも不幸しか感じないし、物欲を超越した者は、どんなに劣悪な状態でも幸せを感じるることが出来る。 言い換えれば、達人とは「足るを知