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【004】授業中に手を挙げなかったら、先生に吊し上られた思い出

中二の数学の授業の話です。

「この問題、わかった人手を挙げて」と言われても、誰も手を挙げないという、よくあるシーンだったのですが。

突然、先生から名指しで怒鳴られました。
「答えがわかっているくせに、なぜ手を挙げない!」

なんの地雷を踏んだのかわからないまま、先生の怒りの声を聞いていると、成績がトップである私が手を挙げなければ、「彼女でさえわからない問題ならば自分にもわかるはずがない」と、他の人が手を挙げようとしない、だからあなたは授業を妨害している…というようなことでした。

先生は、話しながら怒りの感情がヒートアップするようで、授業終了のチャイムで中断されるまで続きました。

答えがわかっていると決めつけられて、授業妨害だと言われ…自分一人を泣くまで詰められたことが衝撃で、忘れることができない思い出です。

ちなみに、たまにヒステリックに怒鳴ったり、生徒を角棒で殴るような身体の大きめの女の先生だったのですが(つまり見た目もちょっと怖い)、大抵それらが発動されるのはヤンキー系の生徒が悪さをした時でした。

私の場合は、タバコを見つかった不良生徒のケースとは違うので、先生の機嫌が悪い時の流れ弾に当たった=先生の方に非のある、理不尽な出来事…として記憶していました。

でも、今はすこし違って見えます。

社会人になってしばらくは、仕事の成果や意気込みを外にアピールする人を見ては、単なる自己承認欲求の発露なのだと思っていました。

でも、それは自分に矢印が向いている人の視点だったなと。
例えば中学時代の自分もそうです。自分のことしか考えていなかったです。

褒めて欲しいから勉強しているわけじゃないし、知識を自慢する気もないし、なにより強烈な引っ込み思案だったので、手を挙げる理由は1ミリもないと思っていました。

これが社会人になって、組織のことを考えるようになって、個人の言動がチームにポジティブな刺激を与えてモチベーションを高めたり、空気を活性化する効果があることを学びました。

自分の生まれつきの内向的なパーソナリティに徹することよりも、プロジェクトへの貢献という自分の役割を優先して、あえて発信することもして、他者に影響を与えることの価値がわかるようになりました。

学校の授業はプロジェクトで、クラスはそれを一緒につくるチームなんですね。授業は先生だけが作るものだと思ってました。

中二の小娘にはちょっとハードル高くてわからなかったなー。

当時は、完全に流れ弾に当たった被害者だと思ってました。あの先生のことだから、実際そうだった可能性もまあまあ高いけど笑。事実はどうあれ、解釈は私のものなので、思い出を上書きしておこうと思います。

写真=わたしのリアル母校・青森市立横内中学校を久々に訪問して撮影したものです(2017年9月撮影byじぶん)



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