大泉りか

SMショーやボディペインティングのモデル、キャットファイターなどの経歴を経て2004年…

大泉りか

SMショーやボディペインティングのモデル、キャットファイターなどの経歴を経て2004年に「FUCK ME TENDER」(講談社)を上梓。以後ラノベや官能小説、女性の性をテーマにしたエッセイなどを執筆。 近著はホストにハマった女性をルポした「ホス狂い」(鉄人社)@ame_rika

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  • トーキョー’90クロニクル

  • 大泉りかがこっそり教える『オンナノコの秘密』

    せっかくセックスをするなら、エロいセックスがしたい! って思いますよね。けれども彼女に「こういうことがしてみたい」とやってみたいプレイをリクエストしても「えー!」なんてイマイチ乗り気じゃない反応が返ってきたりして……。世の中の女の子たちは、いったいどれくらいエロいの? そして、男性の希望するエロいプレイを受け入れてくれるの? 気になる!!! というわけで、大調査しちゃいました! ※この原稿はかつてFANZAで連載していた【大泉りかがこっそり教える『オンナノコの秘密』】の再掲載です。

最近の記事

韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して

※この記事は2016年2月に渡韓した際のものです。たびのて( https://tabinote.jp/mailmag/ )というサイトのメールマガジンに寄稿したもので、当該のポンチャック・ディスコは閉店してしまっていることが確認済です。ただ、そういう店が2016年にはあった、といことを残したくてアップしました。 最も手軽に行ける海外といえば、なんといっても、お隣の国、韓国。羽田からソウルまでは約二時間半。食べ物もお酒も美味しいし、買い物だってたくさん出来る。夜遊びだって……

    • 『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15

      17歳のわたしには定期で会う“パパ”が数人いた。そのうちのひとりとは月に一度か二度、食事やホテルにいく関係だった。食事だけの時は一万円、ホテルまでいくとプラスで三万円。たまにお金が欲しいとかの理由で、こっちから連絡を取って会った時は、一万円まけてあげて、合計で三万円の時もあった。眼鏡をかけていて小太りでたぶん40代後半から50代。知り合ったのは援交仲間からの紹介で、その子もその“パパ”とセックスする関係だった。 ごはんは焼肉とかお好み焼きとか、そういうお店が多かった。考えて

      • 『いつかの(池袋の)メリークリスマス。ふたりはまだ、手をつないでる?』 トーキョー’90クロニクル vol.14

        行きつけだった池袋のデートクラブの受付は、20代半ばくらいの、ストリート系のお兄さんだった。ぶかっとしたトレーナーに腰で履いたオーバーサイズのデニムからは、トランクスのウエストゴムが覗いていた。ロゴはTommy Hilfigerだったか、それともFILAだったか覚えていない。ツバをあげて被ったキャップに短髪。よく笑う人で優しかった。気のいいお兄さんという感じで、「聞いてよ、さっきの客、ヤバ―!」みたいな愚痴も黙って聞いてくれた。わたしのような出入りしている女子高生たちは、わり

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        • 『「売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払え」と言われた、いたいけなわたしたちは。』トーキョー’90クロニクル vol.13

          いたいけ……とはとても言えないとは思うのだけど、10代の女が援助交際という名の個人売春なんてしていたら、当然怖い目には合う。ある日、援交仲間のひとりが暗い顔をしているので「どうしたの?」と尋ねたところ、こう相談された。 「昨日、テレクラで出会った男の人とホテルに行ったら、部屋に入った瞬間に態度が豹変してつめられた。売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払えって。学生証を見られて家の住所もバレてしまっている」と。 最悪of最悪のカードを引いてしまった彼女。どうすれば

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        • 『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15

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        記事

          フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします

          今年の頭に始まった神田つばきさんとの共同プロジェクト、女性犯罪者をフィーチャーした自作自演の #女犯罪者ZINE を、ようやく校了して入稿いたしました!リリースは9月17日のフェチフェスを予定。いやー、長い道のりだったし、途中で離脱する人が現れるというハプニングもありつつ(当初は被写体として活動されている耐江さんも参加していたのですが、心身不調のため離脱とのこと)、完成まで漕ぎつけたことに感激もひとしおだし今夜は酒が旨い。 というわけでフェチフェスに先駆けて、ZINEの内容

          フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします

          女性たちに『あなたは、一回のセックスで何回イキたいですか』と、尋ねてみました。回答数179票、その結果は!?

          せっかくセックスをするなら、エロいセックスがしたい! って思いますよね。けれども彼女に「こういうことがしてみたい」とやってみたいプレイをリクエストしても「えー!」なんてイマイチ乗り気じゃない反応が返ってきたりして……。世の中の女の子たちは、いったいどれくらいエロいの? そして、男性の希望するエロいプレイを受け入れてくれるの? 気になる!!! というわけで、大調査しちゃいました! セックスのクライマックスといえば、ピュピュッと気持ちよく射精することですよね!なので、せっかく

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          女性たちに『あなたは、一回のセックスで何回イキたいです…

          「わたしたち、俺たちの好きな女性犯罪者2023」、決めよーぜ! #女犯罪者ZINE

          みなさーん!女の犯罪者は好きですか?わたしは大好きです。犯罪者が好きとかって頭がいかれてるとしかいいようがないけれども、どうしてか惹かれてやまない。それは、女が女であることを利用して犯罪を犯すしたたかさ、女でありながら男勝りに犯罪を犯す強さに憧れると同時に、世間に対して軽々と、もしくは潔い捨て身の覚悟で、我を行くというそのスタイルに憧れてしまうのです。 昨年、わたしの大好きな作家のひとりである中村うさぎさん@nakamurausagi を、レギュラーで出演しているイベントの

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          『グンゼのショーツと、幼い僕と、ルビーフルーツ。』トーキョー’90クロニクル vol.12

          90年代にあった女子高生デートクラブは、いま思えばよく出来たシステムだったと思う。お菓子食べ放題、テレビ観放題、漫画読み放題で、女子高生にとっての“居場所”というか“溜まり場”としての条件を満たしていたし、しかもそこに集まってくるのは、少々エッジの効いた女の子たちだった。 自分には女としての価値があるという自負があり、オジサンと張り合う気概があり、若さを利用して社会を乗りこなしてやろうという戦意を持っている彼女たちは刺激的で、学校のクラスメイトよりも断然にかっこよく見えた。

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          『路地裏の捨て猫は、ラブレターを破り捨てる』トーキョー’90クロニクル vol.11

          これまでの人生で、手書きのラブレターをもらったことが二回ある。二回というのが人と比べて多いのか少ないのかはわからないけれど、一通は高校時代に付き合っていた男の子からで、もう一通は同じく高校時代にデートクラブで出会ったオジサンからだった。 わたしがよく通っていた池袋のデートクラブはマジックミラー式で、わたしたちは指名されない限り、相手のルックスはわからず、外での待ち合わせで顔を合わせてようやく相手の外見が認識できる仕組みだった。客は客でしかないし、デートは最短30分お茶をす

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          『転がされているオジサンの、限りなく透明に近い精液』トーキョー’90クロニクル vol.10

          ガジロウと呼ばれている“パパ”がいた。シンプルに役者の佐藤蛾次郎に似ているから、ガジロウというあだ名をつけられていた。 ガジロウは性的な行為をしなくても、お金をくれるパパだった。ご飯に付き合ったり、一緒に買い物に行くだけでいつもお金をくれる。女の子たちをはべらかしてチヤホヤされるのが好きで、だからいつも友達を連れてきて欲しがっていたし、友達を紹介すると、その子ともわたし抜きで会うようになり、さらにその子にも友達を連れてくるように頼む。エロい行為なしでお金をくれるパパはおい

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          『殴られたり首を絞められたり無理やりに姦されるリスクを、3万円では負えない』トーキョー’90クロニクル

          かつてわたしは、売春婦でもあったし女衒でもあった。というのも当時、いわゆるウリをしていた女子高生たちの間には、“パパ”を融通し合う文化があったからだ。 マッチングアプリも出会いカフェもなかった90年代後半、援助交際の相手を探すのはテレクラ、ツーショットダイヤル、路上、デートクラブ、そして友達の紹介が主なルートで、そのうちテレクラとツーショットダイヤルは相手の姿かたちがわからないので、出来れば避けたい手だった。

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          『時代はあなたに委ねてる。選ばれる優越感と、ボーイ・ミーツ・ガール』トーキョー’90クロニクル vol.8

          放課後、女子高生デートクラブに足繁く通うようになったのは、デート一回につき5000円という、高校生にとってはそこそこの大金が稼げるチャンスがあったことや、退屈な同級生たちとは違う刺激的な女の子たちと出会えて仲良くなれたこともあったけれど、それ以上に指名を受けた時の昂揚感がハンパなかったからだ。

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          『痴漢は敵だけど、「痴漢に気をつけるのよ」という大人たちも味方ではない。』トーキョー’90クロニクル vol.7

          高校時代は自転車通勤だった。だから、実のところ、痴漢にあったことはあまりない。学校が終わった放課後、池袋や新宿に行くときは大概、友達と一緒だったし、大騒ぎながらメイクを直している女子高生の集団に眉をひそめる大人はたくさんいたけれど、近づいてきてその身体に触ろうとする男なんていなかった。 けれど、少しはある。小さい頃はマンションに住んでいたのだけれど、非常階段に露出系のオジサンがたまに現れて問題になっていたし、道案内を頼まれて、裏道に連れ込まれて身体を触られたこともある。すれ

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          『痴漢は敵だけど、「痴漢に気をつけるのよ」という大人た…

          『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

          海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。 制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たちが、何ら悪びた様子もなく、「君、幾らで買えるの?」と話しかけてくるのだから、当時

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          『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキ…

          『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル vol.5 

          上の世代の大人たちが『バブル』と呼ばれた好景気に浮かれる姿を見てきたわたしたちは『巨大な欲望』をうちに抱え、青春を迎えました。 シャネルのサングラス、MCMのショルダーバッグ、グッチのサンダル。いま思えば16、7歳の少女が持つようなものではない。しかし、わたしたちの欲望は、メディアによって煽られるとともに、ストリートで見かける、グレーのタイトスカートが妙に大人びて見える慶応女子校や、プリーツスカートでさえあれば、色や生地などは自由な青学に通う生徒たちが身につけている[母親か

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          『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿…

          『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

          同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。 それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと見せ合って、自分たちの『イケてる具合』を共有し、『同じ種類の仲間(=コギャル)』

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          『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバ…