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運動音痴な息子が黒帯になった話 #11「涙は枯れない」

子どもの頃ランドセルを置いては外を走り回っていた私とは正反対に、運動嫌いインドアな息子は保育園の時に私の意向でちょっと強引に極真空手を始めました。

前回は、大好きな先生との出会いから10年以上が経ち、運動音痴な息子が極真空手で黒帯になることができたという話をしました。


中学生になると部活が始まるので道場を辞める子がほとんどですが、息子は20歳まで空手を続けたら先生がロレックスの時計をくれるという話を真に受けて中学では帰宅部になり実際に空手を続けていました。

黒帯になってからも変わらず道場に通う日々でした。
夏休み先生が旅行に誘ってくださり、一泊でバーベキューをしに行くことになりました。第二子妊娠中でどこかに連れて行くことも難しかったので、ありがたく甘えてしまいました。旅行直前に先生から電話が来て

「海にも行くから水着持たせてね。
赤ちゃんは順調か?あいつに似た子を産んでくれよ。あいつは本当に可愛いやつなんだから。あいつは俺の太陽なんだよ。だからマイサンなんだ。」

私は内心、「できたら第二子は息子と違うタイプがいいです、、」と思いましたが

「はい。ありがとうございます。」

と答えました。そしてこの時、マイサンは息子ということでは無く太陽のサンだったという事を初めて知りました!

当日
朝早く道場に集合して、そこから先生の車で出掛けて行きます。今回は、もう一名の若い先生と息子の他に道場生が一名の旅行でした
朝息子を送り出して、その日私は出産準備の買い物に出掛けていました。

夕方
電車に揺られて「今頃宿泊先に着いたかな?」と考えていたら、同行されている若い先生から凄い数の着信がありました。
もしかして息子に何かあったのかな、、嫌な予感がしました。途中で降りて折り返し電話をすると
息子の大好きな先生が危篤だと知らされました。多分もう無理だと。

何が起きているのか、全くわかりません。だって、朝はいつも通りだったんだから、そんなはずはない。聞かされる言葉が全然入ってきません。うそだ、そんなはずがない。先生が死ぬはずがない。何かの間違いだ、、、

聞かされた話はこうです。
宿泊先に向かう途中で、コンビニに寄って子どもたちと若い先生がトイレへ。
先生は車で待っていた。
三人が戻ると車の中で先生が倒れて意識を失っていた。
声を掛けても意識が無かったので、たまたま通りかかった救急車で近くの病院に運んでもらった。
三人は車で追いかけた。
三人が病院に着くと既に先生は亡くなっていた。 
息子は泣いているので一旦近くの海に連れて行った。 


楽しいはずの旅行が一転、、、よりによってなんで今日、、
息子は曾祖母の死を経験していましたが、人の死を目の前で見たのは初めてのことでした。しかもそれが大好きな先生でした。

私は駅のホームで人目もはばからず泣きました。次から次へと涙が溢れてきて止めることができません。

若い先生は手続き等その後の対応に追われる為、もう一人の道場生のお父さんが車で子ども二人を迎えに行ってくれました。
私が道場まで息子を迎えに行ったのは夜の11時頃でした。息子に会うまでも涙が止まらず、息子に会ってからも止まらず、二人で泣きました。何も聞くこともできず、かける言葉も見つからず、、こんな時私がしっかりしなくちゃいけないのに、私はただただ泣いていました。

目をつぶると、先生の顔が浮かんできて先生の声が聞こえてきます。
先生との思い出が次から次に浮かんできて、また涙が出てきます。
夏休みが始まったばかりなのに、、、
息子には辛すぎる出来事でした。

私は朝目が覚めると涙、
家事をしてても涙、
息子を見ると今どんな気持ちでいるかがわかりまた涙。どんなに泣いても止まらず、涙って無限に出てくるものなんだと知りました。
これまで身内が亡くなってもこんなに泣いたことはありませんでした。
私のこの涙は何の涙なんだろう。。。
まるで自分の身体の一部が無くなってしまったような気持ちでした。

これから私と息子はどうしたらいいんだろう。私はどれだけ先生に甘えていたんだろう。
これからどうすればいいかわからない。それほどに頼ってしてしまっていたんだとこの日改めて感じました。


先生の葬儀はコロナもあり、家族葬ということで最後のお別れができませんでした。だから私は余計に受け止めることができなかったのかもしれません。
葬儀って、形式的だけど行うことで気持ちの整理をしていくことを助けてくれるものなんですね。

また先生がひょっこり商店街に現れるのではないか、また電話がかかってくるのではないか、、と未だに考えてしまいます。

四十九日の由来は、そのくらいの期間悲しむと通常気持ちが落ち着いてくるからみたいな話を聞いた事があります。でも、私は最後先生にお別れができなかったせいか四十九日を過ぎても悲しみは癒えませんでした。


ある日若い先生から連絡が来ました。
先生の遺品を整理していたら、先生の手帳が出てきた。
そこにはどのページを見ても息子の名前が書かれていた。
稽古の約束、ご飯に行く約束、、息子の名前が無いページが無かった。
先生がいつも息子との約束を楽しみにしていたと奥様から言われた。
ということでした。

そんな話を聞くとまた涙が出てきます。
その話を息子に伝えるとまた涙が出てきます。

先生に会いたい。せめてもう一度だけ。
これからどうしたらいいか先生に教えてほしい。
でも、もう何も聞けません。
こんなに泣き続ける私に先生は何て言うんだろう。


息子にとってかけがえのない存在であった先生は、私にとってもかけがえのない存在になっていました。


長くなってしまったので続きはまた
長文読んでいただきありがとうございます。

悲しいけれど、こんな素敵な先生がいたことを一人でも多くの方に知ってもらいたくてこの話を書くことにしました。

次回はその後の私と息子について書きたいと思います。


つづく

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