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小説「まなざし」

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交通事故で聴力を失った女性、瞳美と彼女と生きることを選んだ恋人の真名人。音のない世界で、彼女のまなざしは何を語ろうとしていたのか。 普通の恋人と同じように愛し、すれ違い、味わうこ…
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2019年10月の記事一覧

まなざし(14) 何もできない

まなざし(14) 何もできない

「雨宮さん」

俺は何度も、正面の席に座っている彼女に名前で呼びかけた。

雨宮さん。
雨宮さん。
雨宮さん……!

しかし彼女は俺がどんなに呼びかけても、俺の声に気づかない。
変わらず髪の毛の下に両手を潜り込ませて耳を塞いでいた。
周りの連中も、3、4人で話をしていて、その輪の中にいない人の様子などまるで気にも留めていなかった。彼女は一番端の席だったので、反対側の端っこの人にまで彼女の様子が見え

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まなざし(13) 異変

まなざし(13) 異変

「編集サークル?」

彼女がそのサークルの名を口にしたのは、大学一年生の後期授業が始まって一ヶ月が経った、11月1日のことだった。

「うん。『陽だまり』っていうサークルなんだけど、週に一回集まって文章を書いたり、文芸誌や雑誌をつくったりするの」

秋も深まるこの季節に文化的な営みに励みたいと思うのは、人間の性だろうか。
雨宮さんは、色づく街の並木道や、遠くの山を見ながら俺にそう言った。ちょうど、

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まなざし(12) たとえ冷めても

まなざし(12) たとえ冷めても

「歌ちゃんは死んじゃったの」

彼女の口から、予想だにしていなかった言葉が出て、俺は途端に自分の心臓がドクンと跳ねるのを感じた。

「死んじゃったって……本当に」

馬鹿やろう。
彼女がこんな嘘をつくわけがないだろう。
頭では分かっていても、あまりに衝撃的な内容に、俺は口から先に彼女にそう訊いてしまっていた。

「うん。中学二年生の時に、事故で」

彼女が先ほどまで口に運んでいた熱々のラザニアの残

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まなざし(11) 知らない一面

まなざし(11) 知らない一面

不安と期待の中で始まった大学生活に、俺はあっという間に馴染んでいた。
高校時代から引き続きバスケサークルに入った中島とは違い、結局何のサークルにも入らなかった俺は7月まで真面目に授業に出席し続け、レポートを出し、テストを受けて無事前期の大学生活を終了した。
「やっと終わった〜!」
最後の試験が終了した後の解放感と言ったら、如何とも表現しがたい。
「疲れたねえ」
いつかの夜と同じように、正面では彼女

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まなざし(10) 耳を塞ぐ君を

まなざし(10) 耳を塞ぐ君を

例えば、心から満足できて「楽しい!」と思える旅行にするには、出かける前から事前に行きたい場所をピックアップし、できる限り時間を有効に使うことが求められる。
いくら気になる場所がいっぱいあっても、限られた時間の中で全てを回ることはできないかもしれない。そんな時は、優先順位をつけて本当に見逃せない箇所だけ回るようにするのが良い。
そう、つまり大事なのは事前リサーチ。
旅行とまではいかずとも———例えば

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まなざし(9) 言葉よりも

まなざし(9) 言葉よりも

月曜日、まだ大学生活に慣れぬまま講義に出て、空きコマに図書館に行き、食堂で昼飯を食べる。今日は珍しく中島も一緒だったので、昼までは彼と共に行動した。食堂は人でごった返していて、12時になると食堂待ちの長蛇の列ができた。俺はその列を見て、地元で人気のラーメン屋を思い出す。あそこも確か、お昼時だけ他に飲食店がないのかと疑いたくなるくらいの人が並でいた。俺も中島と一緒に食堂の列をつくっていたが、ようやく

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まなざし(8) ビョウキ

まなざし(8) ビョウキ

「昨日の講義でさ、彼女と会ったよ」
「は、まじで?」
明滅するテレビ画面を見ながら、中島は頓狂な声を上げた。
剣を持ち、帽子に白い羽をつけた主人公が、目の前の敵をバサバサと斬っては前進する。今時テレビゲームなんかやるのかよ、という俺の呆れを無視して、人の家に上がり込んだ彼はこうして一人でゲームに勤しんでいる。

「ああ、マジもマジ。昨日たまたま講義で席が隣だったんだ」

「へえ、そりゃすごい。一年

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まなざし(7) 隣の彼女

まなざし(7) 隣の彼女

「えーっと、南館3階202号室は……」
翌日の金曜日、初めての大学での講義に向かうべく、俺は講義室を探していた。
“教室を探す”なんて経験は、高校まではなかった経験なので、スマホに登録しておいた構内図を見ながら「南館3階202号室」を探し出すのにはかなりの労力を要した。大体、生徒数は近所のマンモス校と呼ばれる大学に比べれば全然少ないのに、なんでこんなに広いんだ。

あまりに構内が広いため、自転車で

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まなざし(6) 策士中島

まなざし(6) 策士中島

「まったく、お前ってやつは……」
翌日の火曜日。二日目の大学で、俺は早速友人の中島に呆れられていた。
昨日、俺はサッカー男子に捕まって困り果てていた女の子の手首を強引に掴んで「こっち」とそのまま彼女を引っ張って歩いた。
彼女は何か言いたげな顔をしていたが、ピンチに陥ったところを助けてもらったという自覚があるのか、口をつぐんで俺の言う通りに大学の外まで一緒に歩いてくれた。
途中何度も他のサークルや部

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