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HSP、ADHD、ASDは世界を救う。自信を持つ為に出来ること。

近頃やたらアルファベットの省略形で書かれる我々ですが、
もう少し世の中の理解があったらな..と思いつつ、
まずは自分が自信持てるようになる為に、出来ることあったらやってみよって話です。

HSPもADHDやASDも、その全部が障害ではなく特性。
これは少しずつではあるけど言われつつある。
でもまだ世の中の共通認識とまではなっていない。

私は「障害者」と言われたことで、その”陽”の部分(前向きに諦める、持ちすぎていたものを手放すきっかけを得た)に助けられたけど、
一般的にはそのワードは”陰”のニュアンスを多く含み、社会からは「仕事では使い物にならない」というような見方をされる。

知的な障害はないので、「適所であれば」一般を超越した仕事ができる可能性が高いのにね。

敏感であるということは、一般的には見えないもの、聞こえない音が聞こえているということであり、より繊細であるという事。
並外れた集中力と行動力、強いこだわりを持ち一般にはない視点や美学、審美眼を持っている。

そういう「特性」を活かせたら、
その敏感さは一般の人が気づきにくい優しい配慮ができるし、
凄い集中力や行動力から生まれたものは強いカリスマ性を得るかもしれないし、
新しい見方から現状を見る突破口をもたらしてくれるかもしれない。

世界を救うことができる人がいるとするなら、その人は絶対これらの「特性」を持っていると私は思う。

つまりは、そういう特性を『障害』とかいうのはもうナンセンス、という気がして仕方がない。
苦手な環境に適応するのとか、時間に縛られるのが不得意なだけであって、
人間としてダメとか、使えない訳じゃない。

例えるなら、文字を書く道具。
道具はひとつじゃない。
鉛筆、ボールペン、万年筆、毛筆、消せるボールペン、シャーペン、絵を書く用のペン、カリグラフィー用のペン、色鉛筆、デジタル用のペンとか….etc

毛筆でノートを取る人いないよね。
でも、毛筆さんがノートを取ることを強要されてうまくできなくて罵倒される…とか。。これに近いこと、実際起こってる。
合わない環境の仕事でミスしたり、せっかくの特性を発揮できないどころか、足手まといになってしまったりするのは、
毛筆さんにとって「どうしてもっと早く書けないんだ?!墨汁??知るか!!」って言われるようなもの。

毛筆さんが、毛筆を求めてくれるところで毛筆の仕事ができれば。
毛筆求めてます!っていうのがもっと分かりやすい世の中になれば。

そして毛筆さんも自分が毛筆であることを知り、毛筆である自分の長所を認識する。本当はもうずっと前からわかってるはずだけど…
世の中には素敵なペンやカラフルな色が溢れてて…..憧れる。とてもよくわかる。でもその色ではイマイチ上手く書けなかったり、例えば書けても毛を激しく消耗してしまったりして修復難しくなっちゃったりする。

自分が何者であるかが分からないと、ノートを取ることを強要される地獄に自らダイブしてしまう。

聞かないふり続けるあんた 勢いに任せて肥溜めへとダイブ

藤井風 「何なんw」

毛筆さんを「障害者」扱いする世の中がまず変わらなきゃならない。
でもそんなのいつになれば??待っててもどうせ何も変わらないでしょ?って心の声が聞こえてくる。

毛筆さんにできるのは世の中を変えることじゃない。
先ずは、自分の毛筆がちゃんと発揮できるように自分の筆の特性を知り、
いざ半紙を目の前にしたらここぞとばかりに自分にしか書けない文字を思いっきり書き殴れるよう、筆の手入れや、合う墨の濃度なんかを研究したりしておく。

時には失敗して半紙に穴あけたり、びちゃびちゃになって液だれ起こしたり、筆持つ人の服汚しちゃったりして謝ったりして失敗もしながら、加減や自分を発揮できるルーティンみたいなのを知っておく。
自分は文字じゃなくて、筆で絵を描きたい。相田みつおさんみたいな個性的な文字を描きたい、とか。
そうやって、自分らしい一番いい文字が書ける地点(スイートスポット)を探すの。

それを持つと自信が湧いてくるし、「あ、この環境なら私の筆を生かせる」「ここは半紙がいいけど、墨汁濃度が濃いな、そこはなんとか自分で調整するか!」とか、ってすぐ見分けや判断がつくようになっていく。
「見る目」が養われれていく。
自分が自分である、という事にプライドと責任が持てるようになる。


中々変わらない世の中に文句言う前に、先ず自分を信じれるように。

その為の努力なら、
我慢したり頑張ったり苦労できる気がする。





ー余談ー

「バブル」ってアニメ見たんだけど、この主人公が紛れもなく特性(聴覚過敏)持ちなんです。
その彼が世界を救う、って言うお話なんだけど。

途中その主人公がずっと身につけてる「ヘッドホン(ノイキャン)なんてもういらない」みたいな描写があるんです。



特性が「治る」みたいな表現は、
特性自体を悪いものとして扱っていると考えられてしまうし、
その辺りもう少し理解が欲しい所。

せっかくの「特性」が世界を救う!と言う素敵な着眼点。

当事者として、お力をお貸ししたかった笑

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