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映画『すずめの戸締り』”深すぎる裏テーマ”を考察する。その2

本当の自分で人生の目的を思い出す研究室、Reaching Out♡理詠と申します。

さて、先日『すずめの戸締り』を1回目見た試聴感想文&考察をあげたのですが、
お読み下さった方ありがとうございました!

先日劇場に足を運び、2回目を見に行くことができました!


今回は、前回の予告通り

・閉じ師の草太の心の闇について

・なぜすずめと草太にだけミミズが見えたのか?

・サダイジンの正体とは?

この辺りについて深掘り、考察をしてみたいと思います。

因みに1回目の視聴後に
この映画のメインテーマに隠された裏テーマ?を深掘りし、
ダイジンの正体についても考察しておりますので
よろしければ是非お読みになって頂けたら嬉しいです!

一回目視聴の感想文、考察はこちら↓


さて2回目の考察は、まず閉じ師の草太の闇から迫っていきたいと思います。

実は一回目視聴では、草太のバックボーンが見えなくて少し消化不良気味だったのです。

なので2回目は草太に注目しつつ、全体を少し俯瞰して余裕を持って観てきました。

閉じ師 草太の心の闇

謎めいた草太の人となりについて1番よく伺い知れるのが、
友人の芹澤のセリフ

「アイツは自分の扱い方が雑なんだよ」

です。

草太はどこか「自己犠牲的な所がある」
という事を匂わせていると思います。

どうして草太がそのようになってしまったのか、
1回目に見た時はよくわかりませんでした。


※追記
3度目の視聴でもらった特典の監督自ら手がけた「芹沢のものがたり」と言うショートストーリーの中でこの芹沢のセリフが、

草太が芹沢に対して言った台詞の受け売りだったとわかりました!!笑笑

とは言え、
いずれにしても草太にがそのような概念を持った人物であった?!という事は言えそうです。



閉じ師は家業であり、
育ての親は祖父だと言います。


閉じ師と言う”家業”は、もっと分かりやすい言葉で言うなら、

変えることのできない”運命”と言えると思います。

先代の閉じ師である祖父が
「アイツは使命を全うした。時間をかけて要石になっていく」
と言っていたように、 

閉じ師となったならば望むと望まざるとに関わらず、
いつか自分を犠牲にしてでも閉じ師としての使命を成し遂げねばならない事があるのだ、

という事が伺えます。


小さな頃からその運命を背負わされ育って来た草太。

「家業」なんて笑って言うから、ライトに受け取っちゃったけど!!

いつでも命を差し出す覚悟を持つように祖父から叩き込まれて育った訳です(泣)

「何で自分が?」
普通の子供ならそう思うのではないでしょうか?


友達を作っても、
いつかは終わる関係だとわかっていたら…

誰と関わっても仕方がない、と思ったりするのではないでしょうか?
今までもそしてこれからも…


そんな草太のことを、
芹澤はどこか遠い存在だと感じていたのだと思います。

そしてもう一つ、草太の心の闇に繋がることとして、
「親の存在」があります。
本編では全く触れられていませんでした。


この親の存在についての部分、どこか見逃したかもしれないと思っていたのですが、やはり2回目視聴でもそこには触れられてはいませんでした。

※追記
新海監督が「草太の父親は教師で、草太はその父の背中を追いかけて教師を志した裏設定がある」とインタビューで語られていました。


とは言え現状、「育ての親は祖父」と言っている時点で、


いずれにしても草太は親と離れた環境で育った線が濃厚だと思われます。


物語にはあまり触れられてなかったので憶測でしかありませんが、
もしそうなら、

それは、運命により親と離れざるを得なかった可能性があり、

すずめと近い境遇だった、という事が考えられます。

草太とすずめの共通点



2人にだけミミズが見える理由、
つまり2人に共通点があるのでは?と考えられるのですが、


それは先にあげた「幼少期に親と引き離されたトラウマ」説に加え
達観した死生観」が挙げられると思います。


「人の生き死になんて運」
「死ぬのは怖くない」

とすずめは口にしています。


パッと見は明るく振る舞う普通の高校生のすずめが、
いったいどんな時間を過ごして来たのか、
伺うことのできる台詞です。


「私はたまたま”運”で今も生かされているだけ」

ほんの数センチ、
数秒の違いで逃げ遅れた事、
たまたま出向いた場所が命取りとなる様な体験をすると、

そんな風に思う様になるのかもしれません。
確かにそれは「運」と言ってしまえばそうかもしれない。

一方草太も、
閉じ師としての運命を受け入れ、使命の為には命を捧げよと言われ育っています。

草太は常世で唱える祝詞で
「人の命など”かりそめ”」と言っているのですが
意訳?するとそれは

「人間などこの自然、神々の前ではちっぽけで取るに足らない存在であり、
生きているのではなく生かされているだけである」


というような意味です。


生きることに対して達観しているこの価値観が

「人の”生き死に”なんて運」という、すずめの言葉に重なるのです。

そしてもう一つの2人の共通点として、
「”日常”という温かさへの切望」があります。

後ろ戸に鍵をかけるには、
廃墟となってしまった場所にかつてあった楽しい思い出や会話、
美しい風景に想いを馳せなければなりません。


草太にはそれが出来るから、
彼が祝詞を唱えると鍵穴が現れるわけです。



「その鍵穴を.”見る”為」、
つまり

「閉じ師としての資質を得る為(暖かい日常への切望感を持つ為??)」

ある意味修行の一環として、
親と引き離されて育てられた可能性もある.....................?

そしてすずめにも同じ事ができる事に
草太は驚きます。


話は少しそれるのですが、

私はいろんな本を読んだり映画を観る時などに、
その理解や共感には「鍵」のようなものが存在している、と思う時があります。


その鍵を持っている人にだけ開く扉があり、
それはその物語や作品の深いところに繋がっている。

もちろん鍵を持っていなくてもエンタメとして楽しめるのだけど、

その鍵を持っている人にだけ伝わるものが隠れている時がある、と。

意図的に忍ばせたか自ずと含まれたのかはわからないけど、

「鍵」を持っている人だけに届く言葉や景色がある、と思っています。

そのような意味合いで、
草太とすずめは、同じ”鍵”を持っていたからこそ

”鍵穴が見えた”のではないでしょうか?


その鍵は「寂しさ」とか「欠乏感」とか、
「親に甘えることができなかった」みたいな鍵かも知れないし、

あるいは、
命に対する価値観や「悟り」のようなものかもしれない。


いずれにしても何かしらの共通の鍵をもっていたから、
後ろ度に鍵をかける事が出来たのだと考察しています。


裏テーマに沿って解釈すれば、
“2人が閉じる必要があったから”、

後ろ戸は開いたのかもしれません。


すずめが草太を”人”にした


実際、椅子から人に戻した訳ですけど!笑

ここで言いたいのはもう少し深い意味で、です。

草太は人である以前に、

閉じ師と言う運命に身を捧げた

「神に仕える者」なんですね。


その閉じ師という運命に抗うことなど考えなかった草太が、

すずめと関わり、
旅する事で心境に変化が生まれていきます。


暗く深い海の底へ人知れず落ちてゆく行くような運命から、

すずめの拙くも温かい手に引き上げられ、
初めて
草太の中に欲が芽生えます。

「人として生き、長らえたい」という、
普通の、

ごく当たりまえの人としての欲求です涙


「やっと君に会えたのに」そう言おうとして、

最後まで伝えきれずに彼は要石(神)になってしまいます。(悲しすぎる!!涙)



思いもよらない「成長」を遂げたすずめ。


すずめは要石になって大地震の結界を支えている草太の身代わりになろうとしました。


この決意を聞いたダイジンは、面食らったに違いありません。

身代わり、とはつまり命がけだから。



ダイジンの1番の望みは、

すずめが「意思を持って生きたいと願う事」だと
私は考察しているのですが、

その辺りは考察その1に書いてます。


自分の命を軽んじていたすずめが、
旅での暖かな人達とのやり取りや草太との出会いを通して、
「あの日」以来初めて

「生きている」ということの喜び、
「生きていたい」と願う人の常、

今、生きているという事の尊さを「思い出した」のではないでしょうか?


それはきっとダイジンが一番望んでいた事であり、

旅の初めからずっと、

すずめの
自分の意思からの「生きたい!」という
「決意表明」を聞きたくて、
この旅の終着点へと導びいて来たように思います。


しかし、

そんな成長を遂げたすずめが望んだのは、

それを知った上で、

「草太の身代わりになり、自分が要石になる!」というものでした。


ダイジンの計画では、

「閉じ師」(草太)を”後釜に据え”
結界を封じ、

任務を解かれたダイジンはこの先もずっとすずめと一緒にいるつもりだったと思うのですが、

すずめの命に対する価値観の変化を目の当たりにし、

想像を超え強く成長したすずめに喜びも感じながら、

思いもよらぬ成長を遂げたそのすずめの意志に、

寂しさや戸惑いも感じていた様でした。
(しゅんとして痩せ細った姿に涙..)


でも最終的に、

思いもよらない形ではあったけどすずめの成長を見届け、

「すずめは成長し自立した。もう大丈夫。」


そう確信したから

「すずめの幸せの一部となった草太」を人に戻す為、
自ら要石に戻っていったのだと思います。

(号泣)



ダイジンの望みは「すずめの幸せ」。


成長したすずめの横にまさか自分が居られないとは思っていなかったはずですが泣


それでもすずめの自立を確信し結界へと戻って行ったダイジン….(/ _ ; )


でもダイジンはもう寂しくてひとりぼっちのまま見向きもされない痩せっぽちの存在ではなく、


暖かなすずめの胸の中で、
すずめの大切な一部となったので大丈夫!

私はそう思います泣泣

「魔女宅」でも、最後にジジは言葉を話さなくなりますよね。

それを寂しいと捉えるか、
もうジジの助言や小言がなくてもキキは大丈夫!と捉えるか?


成長や次なるステージへの旅立ちには別れは付きもの....です。

そう思うと、決して悲しいだけの別れではないと思えるのです。


草太の唱える祝詞に変化が


お互いの出会いを通して初めて「生きたい」「生きていたい」と心から思った2人。

草太は常世で荒れ狂うミミズを鎮めるために、
次の様に神に願いを唱えます。

「命がかりそめだとは知っています。
でも人は1日でも、一時でも長く生きていたいと願う」

正確には唱えられませんが!汗

この草太の言葉に私はめちゃくちゃ心を鷲掴みにされ、
涙が溢れて溢れてスクリーンがボヤけて困りました…

草太がこんな風に言うのは多分生まれて初めてであっただろうと思うからです。


深く人と関わる事を避けて来た草太が、
閉じ師の運命を背負いながらも、

「それでもなお1日、一時でも長く生きていたい」と望む..

それが人として望む常であり、

閉じ師である自分もやはり、

神に仕える者という以前に欲を抱えた1人の人間なのだという事を許しを請う、

この台詞が胸に迫りました。


要石をミミズに刺す時、
どうやったらいいか戸惑うすずめに
「身をゆだねて」と草太が言うのもとっても素敵でした。


「願い(祈り)、ゆだねる」


まだ自分の足で歩き始めたばかりのすずめに、

草太が、神、自然、そして本当の自分に背むく事のない、

”これからの人生の歩き方”を教えるような一言でした。




サダイジンの正体

さて、謎の多い「すずめの戸締り」。

私の考察のラストはサダイジンについてです。

大きな黒い猫であり、
二つある要石の一端、東の結界を張っていた神です。


サダイジンは突然現れましたが、

その登場はすずめの叔母である環さんが、
今まで心の奥底に隠していた心情を吐露するのと同じタイミングでした。

もうそのものズバリ、サダイジンは環さんのインナーチャイルド、
いやこの場合、ハイヤーセルフとでも言いましょうか…

環さんの抱えて来た、本心そのもののメタファーみたいに感じました。

実際環さんに取り憑いて、心の声を口に出させていましたが、
「私ったらなんて事を…」と後で後悔していたので、

それは環さんの意識下であったことがわかります。


取り憑いていたという訳ではなく、
一瞬本音が出た、というのに近いんじゃないかと思います。

私は、ダイジンはすずめのインナーチャイルドが具現化した存在である、
つまり、

すずめの幼い頃に切り離された心の一部であると考察しているのですが、

サダイジンも、環さんの心の一部が具現化したものであると思っています。

環さんは、
すずめの知らないところで、やはり苦しみ抜いて来ました。


震災孤児であるすずめを腫物に触るように育て、

自分の幸せと天秤にかけながら、愛情も注ぎ、

その葛藤の中で、すずめと同じ時間苦しんできた人なのです。


そして同時に「すずめはいつふらりと居なくなってしまうかわからない」という心配を抱え、
過保護にもなりながら、

すずめのトラウマである幼い頃の思い出を必死で”封印”し、

守り続けてきた人
なのです。

つまり、
ミミズ(過去のトラウマ)の一端は子供だったずずめ自身が、

そしてもう一端は環さんが”封じ”、

そのトラウマは暴れる事なく、
今日まですずめは育ったのです。

サダイジン(環さんのハイヤーセルフ)は、

「ついにすずめが自立に向かって旅立つ時がやって来た。明らかにする日がやって来た」と悟ったから、

結界を解き、本音を吐き(吐かせ)、全てを明るみにしたのだと思います。

一方、メインのストーリーの方では、
左大臣(サダイジン)の正体は明かされていませんが、

草太の祖父が「お久しぶりです」と声をかけていたことから、
先代の閉じ師である祖父の祖父?みたいな人なのかな、と思われます。

ダイジンが、神戸の「はぁばぁ」で他の人には「渋い男性」?に見えていたことから、

この時、草太の祖父には黒猫でなく先代?先先代?の姿に見えていたのかも知れません。

もはや私にとってはどっちが裏テーマかわかりませんが!!

そんな設定も細かいところが凄い!


幸せは、勇気を持って行動する事で掴むもの


「後は人間の手で何とかして」

最終局面に向かう時のダイジンのセリフは

「ここまで導いてきて、道は作った。
後は本人達の手によって、新たに関係を築くように」

という意味に取れます。


神様は導き、ヒントは授けるけど
実際に行動を起こし、それを叶えるかどうかその人次第。



これは、これはアドラー心理学で有名なアドラーの言葉、
「馬を水辺に連れて行ってやる事は出来ても、
水を飲むかどうかは馬次第」

という言葉に通づるところがあるように思います。

教師は行動を促すことや環境を与えてやる事は出来るが、
実際やるかやらないかは本人次第。

本人が行動を起こす勇気を持たなければ、
事は動かない、そんな意味で使われた言葉です。


すずめの旅が「トラウマからの脱却、自立への旅」であったように、

いてもたってもいられずすずめを追いかけ旅に出た環さんにとっても、

今まで目を向けようとしてこなかった、

本当の自分(本音)を解放するための旅、だったのではないでしょうか。

2人とも勇気を持って行動を起こした事で、

自分や大切な人を解放することができたのです。



常世でのなりふり構わないサダイジンのミミズとの戦いっぷり…!!

環さんに重なりませんか?笑

登場以来、ずっと痩せこけたダイジンの側でダイジンを守るように寄り添っていた黒猫のサダイジン。

「サダイジンは母親だ」と考察されている方もいるようなのですが、

私は環さんに全部です(わかる人だけで笑)



いかがでしたでしょうか?

2回に渡ってすずめの戸締りに隠された裏テーマを考察してきました。

個人的にこの物語にはもっと沢山の裏テーマが隠されているように感じます。

それは、
私がもっと沢山の本や映画や人との出会い、
経験を通して得ていく”鍵”によって読み解けるようになるんじゃないかと思っています。

何年か後にきっと、必ずまた観ます。
その前に、もう一回劇場で見たい!


最後までお付き合いくださりありがとうございました。

また次の作品考察でお目にかかりましょう!

Reaching Out♡理詠でした☺︎

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