見出し画像

「どうしても許せない私」を救ってくれた言葉。

こんにちは。  愛に従って生きる事、『行動を起こす科学』について考えたり書いたりしていますReaching Out♡理詠と申します。


今日は、
わかっちゃいるけど手放せない、
どうしても許せないという感情を手放す
「許す」という事について。


私には、
「無理無理、あいつを許すことだけは今世では無理。」
と思っていた事がありました。

その事が、不思議な巡り合わせが重なり、
先日ついに離れていきました。

どんな経路を辿ったのかを今日はシェアしたいと思います。



私は以前、もはや恋愛感情など消え失せた相手と6年ほど付き合っており、
その6年の間に自尊心と表情筋を失くしました。

巷ではモラハラと言うのだそうですが、
当事者というのはそれに気づかないものなのです。
何しろ相手の言葉によって自尊心とか他に落ちているから、なかなかそういう発想にはならないんじゃないかな。

相手は医者一家で尊大な親からの愛情や注目を得られずに育った経緯があるらしく、かなり精神不安定でした。
認められたい強すぎる承認欲求や自分を特別に扱って欲しい欲求が強く、
些細な私の言葉が気に食わずキレて、殴られそうになったので避けたら、壁に穴開いた事もありました。
食べ方やコーヒーの飲み方などいちいち細かく指摘され、
共通の「食べ方が綺麗な」知り合いの女性と比べられたり、

たまらず距離を置くと私の気を引こうとして自殺を仄めかす言動をしたり、実際未遂騒ぎを起こしたり。


仕事のパートナーでもあったため、契約の解消を申し出ると金銭面での脅し的発言もあったりして、

別れたくて仕方がなくてどんなに言葉を尽くしても言いくるめられてしまい別れられず、お先真っ暗。

精神的にも肉体的にも追い詰められていました。

とは言え、あまり深く人と付き合う事をしてこなかった私は
「世の中の男女は皆こんな大変な思いを抱えているのか…」
と、

自分がそう言う「一般的な誰でも経験しているであろう日常的な苦痛」に適応出来ていないだけだと思っていたので、
「こんな事くらいで」と、
誰にも相談出来ませんでした。



当時、人前で歌を歌うライブ活動を生業としていたので、
そのライブスケジュールを告知しなければいけないのですが、

せっかく夜逃げ同然で引越ししたりして相手から物理的な距離を置いていても、

ライブ告知はまるで自分の居場所を知らせる行為の様で嫌でたまらず、
だんだんライブ活動自体出来なくなっていきました。


まずは自分に自信をつけよう!
そんな理由から、
学校に通う事を理由にライブ活動を自粛する事にしました。
そうこうしているうちにコロナ禍になりました。



転居先も告げず引っ越し、電話で別れを一方的に告げると、
「仕事の契約も解消するなら、こちらも出るところに出る。
売れる”予定”だった未回収分(売れる見込み分)500万支払ってもらう」と言われた事をどうしても捨ておけず
知り合いを頼り弁護士に相談しました。

何故もっと早く相談しなかったのか、と言われました。

弁護士の勧めで警察が介入、
支援措置(ストーカー被害者が住民票の閲覧を制限する措置)の手続きをしました。

でも、
結論から言うとどんなに距離を置いても時間が経っても警察介入して安心、と言われても、
心は休まらないし、当然ライブ活動も再開する気になれなかった。
そしてその相手を許すということも出来なかった。

少しずつ努力はしてきましたが
何年経ってもやはり心の底から許すことは出来ませんでした。


そんな時、Twitterのタイムラインに流れて来たある言葉に目が釘付けになりました。

あいつのせいにしていると
私はあいつに閉じこめられる。

谷川俊太郎『愛が消える』



私にはどこかで、解らせたい、勝ちたい、と望んでいた所があった様に思います。

私が受けた傷を解らせたい。
正しかったのは私の方だと解らせたい。
6年と言う取り返しがつかない月日。

賠償を請求したいのはこちらの方だ!

そんな思いはいつしか執着になっていたんです。

そうやって考えている時間、私は”あいつに閉じ込められていた”のです。

残りの人生の貴重な時間をそんな事に費やす事が、本当にバカバカしく思えてきました。

そして私自身がそれを「選んで」いた事にも。


大切な私のこれからの時間を、
これ以上つまらない事に費やしたくない。
大切にしたい。

そう考えるようになって、意図的に楽しい事をするように心掛け、
少しずつ思い出さなくなって行きました。


数年が経ち、つい先日のこと。

町役場から年に一度の
「支援措置の期限が来ます。継続しますか?」
という連絡がありました。

一瞬迷って、でもそれだけは継続しようと思って
「では近々手続きに行きます」
と伝えたはいいものの、
モヤっとしたものが残りました。

支援措置を受け続ける限り、役所や警察に行って事情や様子を話し、
一年に一度は思い出さなくてはならない。

その方が精神的に良くない気がする..

モヤモヤを抱えつつ、
何と気づいたら期限過ぎてしまっていました。
(天然)

ああ、期限過ぎちゃったな…
何となく措置期間終わっちゃったな…

と思っていた所、役所から
「期限内にお見えにならなかったので…どうされますか?」

と連絡が来ました。

その時、
「あ、吹っ切る機会をもらえた。」
と思いました。

いつの間に、こんなに軽くなったていたのだろう。


許すのではなく、忘れる。
今の自分にフォーカスする。

その事で生まれる頭の中や心の余裕、
新しい視点や気づき、そして出会いによって
全てが明るい方へ転がり出すのではないか。

それがいずれ「許せる自分」へと導いてくれるのではないか。

そんな風に思いました。

最後に、今ここに至るまでに
藤井風さんの「帰ろう」という曲にも随分助けられた事を書き留めておきたいです。

ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼くけど
この渇き言えねど
もうどうでもいいの吹き飛ばそう

爽やかな風と帰ろう
優しく降る雨と帰ろう
憎み合いの果てに何が生まれるの
私が先に忘れよう

藤井風『帰ろう』

風さんの歌声に背中をさすってもらえて、
時々「泣いてもええよ」と言ってもらえて(言ってないけどw そう聴こえる!)

無理せず少しずつ手放すことが出来ていたのかもしれません。

重たい内容なのに最後までお読み下さりありがとうございました!

そんなあなたの今日が、軽やかで素敵な1日になります様に!

Reaching Out♡理詠でした☺︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?