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コロナ禍でサステナビリティの仕事をするということ

ブログが下火になり、長い文章は読めない、書けないという流れができたけれど、結局読みたくなったり書きたくなったりするものだなと思いつつ、アカウントを作ったまま放置していたnoteを始めることにする。

私は、環境・サステナビリティを専門とする政策研究機関でコミュニケーション業務に携わっている。もともとは外資IT企業で営業やらマーケティングをやり、しばらく無職をやり、フリーランスで元駐日大使が作った会社の日本法人代表を務めた後、一瞬スタートアップやら日系企業に関与し……と30代半ばにして非常に混沌とした経歴となっている。現職は、ほったらかしのWantedlyにある日スカウトメールがやってきて、あまりに堅そうな名称とええかんじの所在地のギャップに驚き、思わず返信したのが始まりである。後からなぜ私に行きついたのか聞いてみたところ、「環境とか政策提言に興味のある人を探してたけどなかなか見つからず、変わった経歴の面白そうな人に試しに声をかけてみた」そうだ。カオスが役に立つこともあるもんだ(ちなみに過去のスカウト理由の半分はそれだった)。

偶然にも、私は幼いころから環境やサステナビリティに関する意識が高いほうではあった。小学校に入りたてのころ、ティッシュで遊ぶ友だちに「ティッシュは木からできていて、森林伐採がいろんな問題を引き起こしているから無駄遣いしちゃだめだよ」とたしなめたときの、彼女のお母さんの表情は30年経った今でも忘れられない。オゾン層破壊に関する記事や書籍なども熱心に読んでいた。資源枯渇に関する漠然とした懸念も抱いていた。しかし、環境を仕事にする気はなかった。仕事としての選択肢が(少なくとも私には)非常に限られていて、あまり心躍るものでもなかったからだ。それにもかかわらず、今の仕事を引き受けたのはなぜか。それはひとえに面白そうだったからに尽きる。

日本では環境やサステナビリティは「地球にやさしい」とか「エコ」といった、自分とは別の主体のためにやるものだと捉えられがちで、必要性を認識しているのは環境NGOなどが多い。例えば、企業主語だとCSRとか社会貢献活動の域を出ない。他方、海外では、重要な経営アジェンダとしての認知がすでに広がり、実際のビジネスとして市場も成長しつつあり、制度や投資を通じて後押しを試みる政府も見られる。科学的根拠に基づく情報や海外の最新動向などを適切かつ効果的にインプットすることで、日本の認識を変えていかないか、という話だった。

過去の勤務先はソートリーダーシップ (Thought leadership) を重視していたが、広報マーケティングの観点では、認知度向上と案件創出のうち、圧倒的に後者が重視されていた。そもそも「ソート」の認知・理解が深まらない状態で筋の良い案件創出・成約って難しいんじゃないの。そういう土壌づくりは競合他社とも協調的にやればいいのに。当時その2点でもやもやしていた私にとっては、新しい価値観の認知度を上げることで、会社どころか業界やビジネスという枠組みを超えて社会全体にビルトインしていく職務は大変に魅力的であったし、今も色褪せていない。

現在の新型コロナウイルス (COVID-19) 流行を受け、過度な環境負荷が自然との距離感・バランスを崩したことが遠因だとの見解が見られ、持続可能性はより危機や変化に強い社会の必須条件だとする声は世界的に高まっている。グリーンリカバリーやより良い復興 (Build back better)といったコンセプトもこれらに関連したものである。

翻って、日本の状況を見てみると、私個人としては、特に「命か経済か」といった二元論がさらに目につくようになったこと、従来型の大規模開発や技術への過度な期待が続いていることを懸念している。今のコロナ禍は明確に危機で、リソースは有限だし、こんな事態にあれこれ考えてなどいられないという気持ちもわかる。ただし、世界は別の危機のたまごをいくつも抱えていて、あたたまってじきに孵りそうなものもいくつもある。今回の危機への対応がその孵化を促す、あるいはたまごを増やすようなものであってはならない。そのために自分ができることは何だろう?

そうしたことを考えて、数少ないであろう環境・サステナビリティ領域のコミュニケーションに携わるいち個人として、日々思うことをつらつらと綴ることにしました。なお、プロフィールとの重複になりますが、本noteはいち個人としての雑文であり、所属組織含め、どこかや誰かを代表するものでは一切ございません。

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