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息子がトイレでおしっこ出来たとき、私は泣いた。


初めて自分からトイレに行くと言い、トイレでおしっこが出来たのは、おとといの夜の話です。(4歳2ヶ月...もう少しで3ヶ月)

息子がトイレから出た後、私は「おめでとう、おめでとう!」と泣きながら息子を抱きしめていた。



トイレトレ しなかった

私はこの日を待っていた。同じ年齢の子どもたちが続々とパンツ履く子が増えていくなか、私はトイレトレしなかった。正確には“しようとした”こともあったが、早々にやめた。

なぜかって、息子がトイレを嫌がったから。トイレ行きたくない、トイレ怖い、と言う。「そうか、嫌なのね、今ではないのね」そう、私は受け止めた。


そして私は、

トイレトレーニングしなくても、人間の発達のなかで、自然とできるようになるのではないか、とある時に悟った。

「大人になってもおむつしてる人なんていないから、時がちゃんとくるから。大丈夫、大丈夫よ」と、母から言われた。子育て師匠(私が勝手に呼んでいる)篠先生からも同じような言葉をもらった。

本当にそうだ、と私は思った。時がくる。ちゃんと来る。焦る必要はない。早く出来ることが本当に良いのだろうか。そんなことはないはず。むしろ、その子の成長に親が合わせられるかどうか、ある意味親のほうが試されているかもしれない、と私は感じるようになった。



親の“忍耐”が試されるとき

こんなにも待ちわびることがあるだろうか。これは“母親”という役割であるからこその経験ではないかと思う。

私は辛抱強く、ほんとうに辛抱強く、その時を待つことになった。

トイレトレをせずにいると一体どうなるのだろうか?と、私は違う視点を持ちはじめ、段々とその時を楽しみに待つようになっていった。



息子はトイレまでの道のりこんな感じだった


おしっこでた/うんちでた
出た感覚が分かる 教えてくれる

(この期間は結構長かった)

「パンツ履いてみたい」と言ってきた
3歳も後半過ぎた頃。
パンツ履かせてみてはじめて、おしっこが少し溜められる(我慢できる)ことを知った。

(パンツ履くと言ってきたから、少し期待するも…ここからもしばらく「トイレ行きたくない」は続く。幼稚園ではパンツ、お家ではオムツが続く。ズボンとパンツ、手洗いの日々。)


おしっこでそう/うんちでそう
予め出ることを言えるようになった。
(この頃唯一かけていた言葉は「トイレ行ってみる?」でもいつも「嫌だー」という返答でした。)

幼稚園でお友達のトイレする様子を見るようになった。
お友達のトイレについて行く。人がおしっこする姿を何度も観察。
先週と今週は特に頻繁にあったらしい。ちょうど先生から報告をもらっていた。

トイレでおしっこできた!
4歳2ヶ月(もうすぐ3ヶ月になるとき)



親としての不安 
(不安に思うか思わないか、自分で選択している)

●うちの子いつまでおむつするのかな、このままおむつだったらどうしよう、と思ったこともあった。

●同年齢の子や息子より小さな子どもがトイレでおしっこ出来ることに羨ましさや、息子はいつになったらトイレで出来るのかな(ため息混じり)と思ったこともあった。

●外出中、息子に「おむつ替えよう」と言うのが恥ずかしくて(まだオムツしてるんだねと思われるのが嫌で) 小さな声で言ったときもあった。


私が、物事をどう受け止めるか、どのように感じようとするかは選択できるのです。「選択している」そのことに“気づく”ことは大きなパラダイムシフトです。


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息子のトイレで初めて「おしっこできた!」は、彼自身の大きな一歩となったことは間違いない。彼の目や表情から、大きな自信につながっていることを感じる。

トイレでおしっこする、それが出来るようになるまでの、この期間がこんなにも“母親”としての深い成長と学びを与えられるものだなんて。経験して初めて分かった。



「時を待つ心は、春を待つ桜の姿と言えよう」松下幸之助

教育とか育てるということは、私は待つことだと思うのです。「ゆっくり待ってあげるから心配しなくてもいいよ」というメッセージを相手にどう伝えてあげるかです。子供に限らず人間というのは、必ずよくなる方向に自然と向いているわけです。」佐々木正美


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1週間くらい投稿をお休みしました。体調を崩してしまい、どうも頭が回らなかったのです。無理して投稿することもできたけれど、私が大切にするのは自分の心と身体。毎晩早めにベッドに入りたっぷりと眠り休みました。
ちょこちょこ書き記しておいた気持ちが、下書き保存にたまっています。

今日もありがとうございます。
おやすみなさい、良い夢を。

最後まで読んで頂きありがとうございます!