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愛されていなかった記憶が、子育てに影響している。

それは突然のことでした。
新年を迎えた翌日の1月2日の夜のことだった。

子どもの頃(私が小学生時代)お母さんに愛されたかった(愛されていなかった)という記憶が蘇った。大粒の涙とともに... 涙は止まらなかった。

そしてそれが今、自分の子育てに(子どもの接した方や態度、言葉かけ)に影響を与えているとも限らないと気づいたのだった。


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子どもの私(小学生時代)の記憶の中に「愛されていない」と感じている記憶が、2つ3つあった。もしかすると、もう少しあるかもしれない。

そう感じているときの情景が鮮明に記憶されている。 私は自分の部屋の勉強机の椅子に座っている。なんで弟ばかり可愛がられているんだろう、そう思いながら私は寂しさを感じている。

私なんてどうせこんな子だから、お母さんは嫌いなのかも。私のことを好きじゃないのかも。
母と弟はくっつきながらリビングのソファに座り、テレビを見ている。
その姿を羨ましそうに自分の部屋から眺めている私がいる。

私も仲間に入れてと言いたい、その場に行きたいけれど、行くことのできない、姉としての寂しさ。悲しさ。

甘えたいけどいつからか、お母さんに甘えられない自分がいた。


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涙がたくさん流れたとき、あ〜 私、愛されたかったんだな と、
心の奥深くでそれを確かめている感覚だった。

自分が育てられたときの、もっと本質を突き詰めていくと、この「愛されていなかった」(と私が思っていた)記憶や、母の怒りの行動や態度、母のイライラの表情や言葉までもが、
私の日頃の子育てに影響を与えているかもしれない、私のパラダイム(思い)としてあるのではないだろうか、と思いはじめたのだった。

そして時々息子へ感情的になったり、冷たい態度をしてしまったり、他にも色々あると思うが、息子へ「ごめんなさい」という気持ちも、涙と共に湧き上がった。

この気づきは、私の大きなパラダイムシフトだったと思う。自分だけではこの出来事を、感じていることを、咀嚼できずにいたので、すぐに夫に打ち明け (もう一度何が起きたのか理解するために) 話しながら、自分の中に落とし込んでいった。

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「愛されていなかった」と私は思っていたけれど。それは私の視点であって。母の立場からの気持ちというのもある。

すべてではないけど、実は大人になってから、子供の頃されていたことで「嫌だったこと」「されたかったこと」を私は勇気を出して、母に泣きながら、話したことがあった。

それを話した時、母は静かに泣いていた。その母の涙を見て、私も涙が止まらなかった。さらに子育ての苦労や母の生い立ちを知ったとき、お母さんを許すことができた。またその時初めて、私の心に留まっていたものが、スーッと溶けていくのを感じた。(このことが、その後の母との関係を大きく変えていった)



母は、私が中学時代に入った頃に7つの習慣的に言えばパラダイムシフトしていった「見方=在り方」を変えていった。

それは、私を“子ども”としてではなく、一人の人間として接してくれていたことだった。子供は親に依存状態にある。だから、一人の人として接して来た時には、恐怖や寂しさを感じていた。

自分の考えや気持ちを持つ、人生の選択も自分で責任を持たなければならなかった。最初は、お母さんから冷たくされているとさえ感じていたこともあった。

しかしそれは今思うに、母がしてくれた私への愛だったと感じている。母と「大人の会話」をするようになったのも早かったし、それは「私の自立へ」と促されていく力にもなった。 




「仮にあなたが、子供の頃に両親に虐待されたからと言って、あなたも自分の子供を虐待する必要はない。
ところが現実には、親に虐待されて育った子供は自分が親になって同じように我が子を虐待する例が非常に多い。

しかし、あなたは主体的な人間なのだから、自分からその脚本を書き直すことができる。子供を虐待しないことを選択できる。そして、子供を一人の人間として認め、子供が前向きに生きていく脚本を書いてやることが出来る」
完訳7つの習慣 P469
“流れを変える人になる” )


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