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4/26(日)東京大学UTCP主催「遠隔教室−大学におけるオンライン授業の課題を検討する」

今夜20時から開催された、東京大学UTCP(※)主催「遠隔教室−大学におけるオンライン授業の課題を検討する」にオンライン参加しました。
大学の話ではありましたが、校種を超えて共通する課題もあり、非常に示唆に富んでいました。ご参考までいくつか共有させていただきます。
尚、私自身の都合で最後のQAパートまでは聞けず、また聞きながらのメモのため全てを網羅しておりませんこと、予めご了承いただけましたら幸いです。

このnoteは、主に下記の方への情報となります。
・オンライン授業を検討または実施し、その課題について考えたい学校の先生
・オンライン授業についてその現状の課題を理解したい学生、親御さん
・オンライン授業におけるバリアフリーについて考えたい学校の先生、学生、親御さん

登壇者は、東京大学・國分功一郎教授(哲学)東京大学バリアフリー支援室・熊谷晋一郎室長(障害学)東京工業大学・北村匡平准教授(映像・メディア論)

“いま必要なのはオンライン授業を巡る諸問題を様々な角度から検討し、俎上に載せることです。”
(以下、発表順)

①東京大学バリアフリー支援室・熊谷晋一郎室長(障害学)
遠隔授業によって小さくなることが期待されるアクセシビリティ格差:
・様々な理由で教室へのアクセスが困難な学生(運動障害、広場恐怖など)
・様々な理由で情報の取捨選択が困難な学生(選択的聴取の困難など)
・様々な理由で長時間の着座が困難な学生(多動、過活動膀胱など)
遠隔授業によって大きくなることが危惧されるアクセシビリティ格差:
・各講義形式が多岐にわたるため、それに対応した支援の設計が必要(聴覚障害のある学生への語学の授業など)
・技術の向上だけでなく、教員の意識の向上が重要(講義内容の事前共有、情報保障への配慮など)

例:聴覚障害のある学生への遠隔授業(東大)
ZoomとUDトークを使った字幕付きオンライン配信を実施。
例:視覚障害のある学生への遠隔授業(東大)
講師がテキスト情報を事前に共有してくれれば、文字情報にはアクセス可能。問題は図や写真などの画像情報の共有をどうするか。

また、遠隔での実験・実習はどう考えれば良いか?これは障害有無関係なく全ての学生に関係あること。

②東京工業大学・北村匡平准教授(映像・メディア論)
オンライン授業で期待される効果:
・地理的な制約からの解放
・キャンパスに通うことが困難な学生に対する学習機会を提供
・移動する必要がないため大学間での教育の相互的協力の促進
・メディア技術・環境が可能にする双方向授業の効果
・メディアによる物理空間や身体性の「水平化効果」
・テクノロジーを駆使した新しい体験
オンライン授業の問題点:
・コミュニケーションの変質 
 →ジェスチャーのフレームアウト(ジェスチャーが全部映らない)
 →カメラ(視線の不一致に伴う非言語コミュニケーションの困難性)など
・眼差しの偏在性:監視と記録 
 →(学生側)私生活への介入、見られることなく凝視・記録できる
 →(教員側)眼差しの偏在化、記録性などは教員を萎縮させ、自由な議論を抑制し講義そのものの質を変化させる
・オンライン化する教室:ネット環境と家庭環境 
 →経済的な困窮状態にある家庭の通信環境の整備が必要
 →個室がなく親・きょうだいが近くにいる、社会人学生で小さい子どもの面倒を見ているなどの学生への配慮が必要

Zoomにはグループごとの対話を可能にするブレイクアウトルームがあるが、
メリットは、
・遠隔授業でアクティブラーニングを取り入れることが可能
・ワンクリックでグループ分けの処理ができる(効率化)
・恣意的にならず公平性を担保できる(ランダムネス)
デメリットは、
・グループ作りのプロセスの不在
・特定の学生への配慮ができない
・慣れないコミュニケーションの強要

③東大・國分功一郎教授(哲学)
・教室という空間の特殊性があった。教室は半ば公的だが半ば私的。
 オンラインで同じことができるか?
→バーチャルな空間ではむしろ公的な性格を強める(記録されるかもしれないので) 
→話す内容に変容をきたす可能性がある。
・Zoomの授業では人間の下半身が見えない。上しか見えないことの弊害とは何か?
・これまである一箇所に体を集めていたのは一体なんだったのか?
体を持った人間が集まることを前提にしていたが、その意味は何だったのか?

cf. ジル・ドゥルーズの「アベセデール」(國分功一郎監修、KADOKAWA)
「授業には音楽的側面がある」
授業は講演会と違う。講演会は小さい(画面が小さい)。
フランスは授業が2時間半あるがそんなに長時間受講するのは無理。 
内容が誰にでも当てはまるわけではないので、寝てる人もいるだろう。
そもそも内容が全部面白いことはあり得ないので、ある人があるところで熱心に聞き、別の人は別のところで熱心に聞くという現象が出てくるのは当然のこと。
聴衆が多様であることが絶対大切で、授業の中に織物ができていく。
授業をしている人もその織物に影響を受ける。
授業はコンサートと一緒で、全体で一つの織物を作っていくという側面がある。

身体が集まるときに大事なのは、単に出来上がってる内容を伝えるのではなく反応が行き来しながらできること。
身体同士の共鳴が授業では大切だった。
それをオンラインでどう作れるか?
もしそんなものは要らないということであれば(パッケージ化されたものを届けるだけで大学の授業は良いのだということであれば)、それは一つの選択。
國分先生も現時点で答えはない。ただ、オンライン授業だけになることは反対。

※東京大学共生のための国際哲学研究センター(UTCP)は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部に附属する哲学の国際的な共同作業のための研究センター。

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