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夢を実現させる道筋が分からずにいた20歳の私。その時浮かんだ唯一の行動が海外に出ること…

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夢を実現させる道筋が分からずにいた20歳の私。その時浮かんだ唯一の行動が海外に出ること。 ヨーロッパに来て早15年。気づいたら子供の頃からの夢は叶え、今は、自分が生まれて来た使命を実感したいなぁと歩む日々。世界中から集まる人との関わりから学んだ、優しく、幸せに生きるフィロソフィー

最近の記事

素敵だなと思う人達って

私が素敵だなーと心を動かされる人ってどういう人なんだろう。 そう考えるきっかけになったのは言うまでもなく 素敵だなーと思う人にお世話になったから。 自分の情熱を何かに傾けている人が大好き。 たぶんこれが1番はじめに来る心を奪われるきっかけ。 そして人と関わる事を大切にしている人も素敵だなと思う。 長年ダンスで酷使した身体を少しでも良い状態にしたいなと帰国の度に最近お世話になっている整体の先生。 彼らの仕事は身体の不調を訴える人達に寄り添い、サポートをすること。 真摯に

    • 相手は自分の鏡写し

      母の言動に怒りと嫌悪感を覚える。 こんな事正直書きたくないし、こう書けてしまう自分がすごーく意地悪な冷たい人間だなとも思う。 でも、そのすごくネガティブな感情を母に対して抱いた時にそのすぐ後に浮かぶことは、 あ、私も同じだ。似たような感情になったり似たような行動を大切な人にしている。って。 それですごく自分が嫌になり、自分の人生がこわくなる。 私の大好きな人がいつか言っていた。 りえちゃんはお母さんの事を一度嫌いになる時間が必要なのかもって。 でもお母さんを嫌うってい

      • 家族だからしていいことの境界線

        また続く家族のこと。 向き合わなくちゃいけない時なんだと思う、すっごく逃げたいけど。 母と盛大に傷つけ合い大会。 あまりに考え方が違うから、もうあまり深く話はしたく無いと思っていた。言われる事1つ1つがトリガーになるばっかりで、久々に怒りで震えるところまできた。 母はそういう私を見ると詰めてくるタイプで言葉を発するまでとにかく推し続けるので、思った事を話した。 人の悪口しかしない母が嫌で、私の言う事も批判されたり普通じゃない人間だと思われていると感じると。私たちはきっと

        • 好きな人とお父さんと

          ここ数年、帰国の度に父と1日はしっかり!遊ぶ日を作っている。 私達親子にとっては、紆余曲折あってのこの距離感。連絡の無い数年感やお互い様子を伺いながら接する年月を経て、今はそれなりにお互い心地良く一緒の時間を過ごしていると思う。 祖母のお墓参りをしてから浅草でお芝居を観劇。そしてお酒を呑みながらゆっくりおしゃべり。 私は父の事が大好きなんだと実感した。 距離はあるものの、 なんて優しいんだろうと思う。 楽しいお店をたくさん知っていてかっこいいなぁと思う。 センスがあると思う

        素敵だなと思う人達って

          家族のこと

          今一時帰国をし実家に身を置いている。 母が今は1人で住む家、そこが私が小学校の高学年からヨーロッパに出るまでに10年程暮らした家。 昔は父が居て、ふたつ上の兄が居て、犬も2匹居た家。 母との2人暮らしはさて、心地良いとは遠くにある生活。兎にも角にも窮屈なんだ。 私はひとり暮らしがもう5年以上になるのかな。だから1人の生活に慣れているというのももちろんある。 でもね、やっぱりそこでは無いんだ。 私は母とは相性が悪い。 母はそこにどこまで目を向けているか不明。彼女は、私の唯一

          家族のこと

          優しい言葉を選んで

          自分にとってすごく大切な人。大好きな人。心の距離を近くに持てる存在。そんな人と意見が噛み合わなかったり、相手にその意図は無くても傷ついちゃったり。生きていれば当たり前の事だよね。 昔はそんな時よく、被害者になってどれだけ傷ついたかを感情のままに相手にぶつける事がよくあったと思う。言葉を選ぶ余裕も無ければ、その必要性も感じていなかったかもしれない。 でも最近やっと、言葉を丁寧に使いたいって思う様になって、自分の考えや気持ちはなるべく細部まで相手に伝わる様に、そして私らしさも乗

          優しい言葉を選んで

          90年代Jポップの底力

          頭が考え事でパンクしそうな時。 ネガティブな思考がどうしても頭から離れてくれない時。 瞑想をしても、ヨガに行っても涙が溢れてしまう時。 私、1985年生まれ。 Spotifyで90年代ソングのプレイリストを流して家事をしてみた。 歌えるんだよね、いまだに。小学生高学年、中学生ころに何度も聴いた曲達は考えなくても口ずさめる曲がたくさん。 頭の中が少しずつスペースを見つけたような気分になった。 昔の、懐かしい、あたたかな思い出がそのスペースにそっと場所を見つけてくれるから。

          90年代Jポップの底力

          わたしの心にわたしの愛が足りてない時

          最近辛い事があって。いや、事柄でなく、物事を見つめる視点が狭く、少なくなってしまっていたのだと思う。 もうすぐ引っ越しをして、新天地へ。そして仕事は新たなチャレンジが始まる。家族や友達はほぼゼロの地へ人生のステップアップを夢見て。 大切な人や楽しかった職場から離れる。 冷静に考えたら分かるよね。すごーくたくさんのエネルギーが必要なんだよ。たとえポジティブな変化であったとしても、新しいこと=未知な世界。ただでさえ不安だよね。それをひとりで進める不安。 小さな不安が少しずつ大

          わたしの心にわたしの愛が足りてない時

          音を消して独り言を

          今絶賛引っ越し準備中。 1人暮らしの私はひとり時間を楽しみながら、でも最近気づくと常にYouTube,音楽、ポッドキャストが流れ続ける生活になって来ていることにきづく。シャワーもYoutubeをつけながらが日常になっているわ。気づけてよかった、寂しいのかな?それともただのルーティン化した不必要なものなのかな? 最近考えたい事があって、それは答えがすぐに出ない様な人生の、そして自分自身に対する考え事なのだけど、考え事って「よしっ考えようっ!」って時間をつくるのはなかなか難しい

          音を消して独り言を

          ありがとうを振り撒いて

          私は数年前に、人生の節目に辿り着いたなと思うタイミングがありました。詳しいことは割愛するにして、人生で1番長く続けて来たことから退くこと、が、その中でも節目だと感じた1番大きな理由なのかな。 その時に、私はこれからの人生、今までお世話になってきた人、私をここまでに育ててくれた人、サポートしてくれた人、大きな気づきを与えてくれたりチャンスを与えてくれた人に感謝を表現しながら生きて行きたいなって心から思ったの。 行動派というか、直感で勇気が湧いた時にばっと進む力はあるのだけど、

          ありがとうを振り撒いて

          辞めるから気づけた感謝。

          この9月から新しいチャレンジが始まる私。住む都市が変わり、生活がガラッと変わる。変わらないのは芸術とともに、ダンスとともに生きていくっていうこと。5歳からもうすぐ39歳になる私に唯一離れず寄り添っているのがダンス。感謝だね。 さて!今日書きたいこと。それは職場を辞めた時に、たくさんのありがとうを貰ってびっくりしたということ。 私は教えることを仕事にしていて、ダンスを生徒に教えている。ダンス教師とか書くと自分らしく無さ過ぎるので、私は踊りというツールを通じて自己成長や自分を見

          辞めるから気づけた感謝。

          新たな視点から物事を見ること

          8月のはじめに2週間半日本へ帰国! 帰国という言葉自体もう不思議な言葉遣いとして捉えているのだけれど、日本国籍を持ち日本に家族が居るわたしなので帰国。どこがホームと捉えるか、何を自分の中でホームとしているかっていう話はまた違うチャンスに。 休暇中に日本へ帰り数週間の時間を過ごし、ヨーロッパの日常生活に戻るっていうリズムをもう15年ちょっとしていると、帰国のイベントはいつも心が多かれ少なかれ揺さぶられるイベント。自分自身について、言ってみるならば自分の生き方や価値観を振り返る

          新たな視点から物事を見ること

          ファーストインプレッションは『わたし』をしっかり出して

          ここにつらつらと書き出すほどの自信をもった理由はないのだけれど、私は人に何かを伝えていく使命があるのだ、そう確信している。偉そうに聞こえるかもしれないし、私も自分で言って、え、何様だ?私、って笑っちゃいたくなるのだけど。。。 私はバレエダンサーとしてヨーロッパ、スイス、ドイツ、オーストリアの劇場に所属して踊ることを仕事にしてきました。競争の世界であり、高い身体能力とコンディションを要求され、そして芸術として身体を使った表現を用いて観客の感情を動かす仕事。その経験から培ったダ

          ファーストインプレッションは『わたし』をしっかり出して