私の見た世界 - 4
凍てつく寒さ
少し時間が空いてしまいましたが、前回の続きです。
初セッションでは6つの前世を見たと書きましたが、とても印象に残っていて心が温かくなったのは、現世の祖父母と過去にも何度かつながりがあったとわかったことでした。
まずは2つめに見た前世から。
先生がセッション後に送ってくれた記録には
と初めに書いてあります。確かに、舞台は地球(笑)で、さらに厳密にいうと日本のようでした。時代もそんなに古くない感じ。
雪の降る北国。しかも私は港にいて、こごえながらも、じーーーっと待っているシーンが現れます。遠く灰色にかすむ海をただただじっと見つめてたたずんでいて、もうそれを何か月も繰り返しているような感覚でした。
「誰を待っているの?」
「夫です」
漁に出て行ったきりなのか、捨てられてしまったのか、それとも死んでしまったのか…。消息が分からないために、来る日も来る日も、夫が帰ってくるのを港で待っているようでした。もどかしくて悲しくなってきました。
「その人(夫)は、今の人生の誰だかわかる?」
何の確信もないのですが、なんとなく父親のような気がしました。
現世では顔や雰囲気の記憶すら残っていないのに、そんな感覚がするなんて不思議です(少なくとも顕在意識に記憶がないだけなのでしょうが)。
さらには、愛情ゆえに帰りを待ってるとか、心配で早く会いたいという感覚とは少し違っていて、なんとなく「そうすることが当たり前」みたいな義務的な感じで待っていたのです。その時代の世間体からなのでしょうか。
会いたい!という強い感覚がなかったこと、どちらかというと、ただ事実を確認したいという気持ちだと気づいたとき、「あ…この感覚…」と何かが符号するような感じがしたのです。
催眠中ではあるものの「ああ、これって小さいころに父親に対して抱いていた感覚とダブるなぁ」という認識でした。
結局、その夫は帰ってくることなく、残された私は女手一つで息子と一緒に生きていくことになります。息子はなんと今の母親で、現世と役割が入れ替わっていました。いろりの前で細々と食事をしている40代前半の私と息子がいました。夫は商売をしていたのだけど、それも潰してしまったようで、ふたりの暮らしぶりは苦しいようでした。
次の重要な場面に…という先生の誘導で、見えてきたのは大きくて新しい蔵をじっと見上げている自分でした。
たぶん、米蔵かなぁという感じがします。
それは、息子と二人で手を取り合って、暮らしと商売を立て直したことに対する感慨深さ、誇りと安堵感でした。一方で、心にはさみしさを抱えていました。
実はこの舞台は北国だったのですが、この前世を見始めたときからずっと凍えるような寒さを感じていました。後から気づいたのは、舞台が寒いところだったからだけではなく、私の心がずっと寒かったんだということです。港で夫の帰りを待っている時から、心の一部が凍てついて、余計な感情を感じないようにしている感覚や、表情も乏しい感じがありました。夫がいなくなって以来、感情を押し殺し、抑えつけてきたようです。
「ずっとそうだったの?」
「・・・たぶん」
その答えを聞くと、先生は
「じゃ、家族が一緒にいて楽しく過ごしている場面に行ってみよう」
と、誘導してくれました。
すると、まるで日本昔話に出てくるような、日本の原風景ともいえるようなところで農作業をしている老夫婦と、そのそばを駆け回っている5歳くらいの子どもが見えてきます。不思議と気持ちがふっと軽くなりました。
「ああ、これは私だ。そしてこの老夫婦は現世のおじいちゃんとおばあちゃんだ」と。
この人生ではこの頃が一番幸せを感じていたのね…とか、家族揃った場面といっても夫は出てこないんだ…と冷静に感じているところもあって、それを思うとちょっと切なくなりましたが、でもこの老夫婦にかわいがられていたことも感じ、泣けてきました。現世の私も祖父母からかわいがられた記憶しかありません。
その人生を終えて振り返るシーンでは、
というようなことを言っていました。宇宙のときと似たような。
これはもう、魂の持つ性質なんでしょうね。
あーーーーー。また長くなってしまった。
かいつまんで書くつもりだったのになぁ~。猛省。
思い出しつつ書いていくと、どうしても長くなってしまうようです。
でも、3つめと4つめに見た前世には共通点があったので、次回はそれを1回にまとめます!
お読みいただきありがとうございました♪
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