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難病で寝たきり生活の孤独や不安について 【本編+おまけエッセイ『旅の途中』付き】

【※本編は全て無料で読めます。おまけエッセイ『旅の途中』のみ有料です。】

持病のせいで寝たきり状態になってしまうと、寝たきりじゃなかった頃に比べて、家族以外の他者と直接関わる機会が圧倒的に減る。

じつは、私には線維筋痛症と慢性疲労症候群という病気があり、ここ2年以上は寝たきりで介護されて生活している。そうして暮らしていると、いつの間にか世の中との距離が遠くなっていく。病気だけが私の人生すべてではないのに、病気のために生きなきゃいけないように感じてしまう。

けれど、寝たきり状態の人間が直接的に社会と関わることは難しい。でも、ひとと会う機会が減ると、世の中に置いてけぼりにされたかのように寂しくなって、ひとが恋しくなる。コミュニケーションが苦手でも、寝たきりによる孤独と不安が他者を求めてしまう。

そこで、社会との関わりを忘れないために、私はSNSを使っている。寝たきりの人間がリアルタイムでの世の中の様子を知るためには、どんなに殺伐とした空間でもSNSを使うしかないのだ。とくにTwitterはリアルタイムで人びとの様子を見られるのでよく利用する。リアルタイムの呟きという一体感が孤独と不安を紛らわせる。また同時に、他者を勝手に想うことで、他者の存在を感じることが出来る。


どんなに殺伐としたSNSでも

ある日、国内で安倍元首相を狙った銃撃事件が起きた。アプリの通知で報道各社のニュース通知がスマホの画面にズラズラ並ぶ。そうして、悲惨な事件が起きたことを知る。政治的には合わなかったが、このような事件でひとが亡くなるのは悲しい。

持病の全身の激痛に耐えながら、報道各社の事件についてのニュース記事を読む。そうして読んでいるうちに、ふと世間がこの事件をどう思っているのか、SNSで様子を知りたくなった。世間に置いてけぼり

すると、どうやらTwitterでは割と高い確率で、発信力がある人物が事件について過激に反応した発言を見かける。そして時には、人権よりも真相を追い求めてしまい、被害者の日頃の振る舞いなどので事件が起きたと思わせるようなことをTwitterに投稿する人たちがいる。また、加害者である犯人の動機を認めてしまうかのようなものをTwitterで投稿してしまう人たちもいる。

だが、まだ捜査は始まったばかり。現時点の情報だけで、安易に事件の真相を決めつけて語るのは非常に危ない。下手したら、陰謀論的な語りに加担することにもなるし、もう少し事件の真相を語ることに対して慎重になってほしい。しかし、この流れはどうも止まりそうにもない。

今回の銃撃事件でも、攻撃的な呟きばかりしすぎて、相手を想う気持ちが消えて、自分とは違う意見を持つ他者の存在を否定し続ける人たちをたくさん見かける。いくら賛否両論がある元首相とはいえ、ひとりの人間が死んだ事件なのに。けれども、SNSでどんなにどうしようもない人間の愚かな部分を見せ付けられても、SNSは寝たきり状態特有の孤独と不安から救うものとして、他者の存在を確認するためのツールとして、まだまだ捨てることが出来ないものなのだ。


無駄な抗い

それにしても、Twitterはまともに見れば見るほど、ほんとうに嫌になっていくツールだ。正直なところ、元首相が亡くなった銃撃事件でもこれなのかと引いてしまった自分もいる。その一方で、次から次へと炎上する話題や政治運動のハッシュタグがコロコロ変わって、物凄いスピードで消費されることに対して、もうどうしようもないと思っている。

なのに、私は未だにこうしてTwitterのことを話題にして書いている。Twitterで発信もしている。こうやって今も文章を書けば書くほど、物凄く体力を消耗して寝込んでいるくせに。そんなことして無駄な抗いではないか、と。

それでもまだ、こうやって無駄でも抗おうと言葉にするのには理由がある。もし、無駄だからって言葉にするのをやめてしまったら、それがキッカケとなってきっと何もかも投げやりになってしまう。そうなってしまったら、他者を想う気持ちが消えて、病気が私のすべてであるかのような閉鎖的な人生を送ることになってしまうのではないか、と。


他者を想う気持ちを忘れないために

数年前。まだ今の病気になったばかりで受け入れることが出来ずにいたあの頃の私は、自分のことで精一杯になっていた。何もかも投げやりになっていた。あの頃みたいに、他者を想う余裕がなくなれば、どんどん視野が狭くなり、自分にとって都合のいいことしか考えなくなる。

どうせ、まともな治療法もなくこのまま寝たきりなのだから、社会に関わることなんて少ないのに真面目に考える自分が馬鹿らしいと、今でもごく稀に思ってしまうことがある。寝たきり生活になると、そちら側の誘惑がより一層強くなる。少しでも誘惑に負けそうになると、そちら側へ一歩踏み込んでしまう危険性が常に潜んでいる。

ひとや社会について言葉にするならば、他者と関わらなくてはならない。他者と想うことを放棄して、他者と関わらないでひとや社会について書くことはなんて出来ない。ひとは理論だけでは心が動かない。少なくとも、私はそう考えている。

だからこそ、寝たきりで他者との関わりが減っても、ひとと関わることがどんなに苦手でも、他者を想うことを諦めないで続けていきたい。今日も寝たきり状態で他者を想いながら、明日のために私は言葉を書いて生きる。




【ここから先は、本編とはとくに関係ないあとかぎ的な有料記事です。気になる方はぜひ、購入してみてください。】


あとがき的な『旅の途中』:近況報告と本の話

いま、本編書き終えた後にこれを書いています。やっと、あとがきだ。なんだか解放感でいっぱいです。

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