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漫画『峰くんはノンセクシャル』炎上騒動を振り返る

あるノンセクシャルの漫画が、Twitterで炎上した。

2020年8月下旬。ノンセクシャルを題材にした漫画がTwitter上に投稿された。以前、商業誌でも活躍している漫画家さんが描いた同人誌(2019年11月のコミティア新刊)のあとがき以外のページを無料公開した。

(2020年9月いっぱいで無料公開終了。pixivにて少し見られます→こちら

だが、その無料公開した漫画の内容が火種となり、Twitter上で拡散されていく。私が見た限りでは、漫画に対して怒りをぶつけて呟いていた人たちが多かった。さらには、漫画についての批判と評した記事(主にnote記事)が書かれるほど、炎上してしまった。

しかし、現在。今はたまに触れられる程度で、多くの人たちには忘れられている存在と化したこのノンセク漫画炎上騒動を振り替えようとあえて思う。そこに浮かぶ、ノンセクシャル・アセクシャルの問題を忘れないためにもだ。


1.曖昧なノンセクシャルの定義、その理由

ここでまず、ノンセクシャルとはどういう意味なのか書こう。
(あくまでも、私個人の解釈であるのを前提として読んでいただきたい。)

ノンセクシャル、ノンセクシュアル。略して、ノンセク。

各種メディアで書かれている意味だと、恋愛感情はあるが、他者に性的惹かれを持たない人たちのことを指す。また、その対になる用語として、恋愛感情を持たない性的な惹かれを持たないをアセクシャルと指す。だが、これらはあくまでも恋愛感情があるorないで考える、日本独自の言葉だ。

現在(2020年)では、恋愛/性愛を分けて表記するのが世界的主流である。
したがって、世界的主流の表記になると…

※ノンセクシャルの場合
ロマンティック(恋愛: 恋愛感情はある)
アセクシュアル (性愛: 他者に性的惹かれを持たない)

※アセクシャルの場合
アロマンティック(恋愛:恋愛感情は持たない)
アセクシュアル (性愛:他者に性的な惹かれを持たない)

となる。しかしながら、ノンセクシャルという言葉はアセクシャルの次に各種メディアなどで使われている言葉であり、説明するのにも何かと便利なのだ。

だが、このような複雑な経由があるため、ノンセクシャルという言葉は取り扱い注意なのだ。特に、世界的主流の意味を重視する人たちにとっては、「恋愛と性愛を分けて書いてないから、ノンセクは正しくない!」と思う人もおり、正しさを求めるが故に攻撃的になりやすい。けど、各種メディアなどお陰でアセクシャルとセットでノンセクシャルが広まっているからか、まだ世界的主流のほうを知らない人たちも多い。また、世界的主流をなるべく重視する派の人たちでさえ、ノンセクと書いたほうが相手に伝わりやすいため、私みたいに世間的には広まっていて便利だからとノンセクを使っている人たちもいるだろう。


さてさて、少し話を漫画の方へ戻す。今回、炎上した漫画のタイトルにも、ノンセクシャルとはっきり書かれている。さらには、「恋愛感情はあるけど性的欲求のないノンセクシャルなんだ。」とノンセクである主人公の台詞もある。先ほど書いたとおり、ノンセク自体が非常に曖昧で当事者間でも議論になる言葉だからか、「ノンセクシャル自体が表現として正しくないのでは?」という呟きも見かけられた。たしかに、世界的主流(恋愛と性愛を分けて使う)で表現したほうが、いいのかもしれない。しかし、日本独自のノンセクという言葉のが世間的には広まっているのが現状だ。何せ、恋愛と性愛を分けて使うというのが、読み手側に伝わるかどうかというと非常に難しい。そういった複雑な面もあり、ノンセクシャルのがスムーズに伝わりやすいから、この漫画ではノンセクシャルなのだろう。



2.創作でのノンセクシャル、その限界

漫画『峰くんはノンセクシャル』では、主人公の峰が村井と恋愛関係を持ち、最終的にお互いの恋愛的価値観の違いで別れるという物語。恋愛漫画によく出てくるような性格、恋愛好きで典型的な恋愛を求めている女性、村井という存在。誰かと恋愛関係は持ちたいが、SEXは嫌でキスも出来ればしたくない峰というノンセクな存在。どちらも相手に求めているものが違うのに恋愛関係でいようとする姿をリアルに描いている。だか、それが炎上のキッカケにもなってしまった。

ここで、『峰くんはノンセクシャル』についてのいくつかの批判記事から、太字の部分を引用して載せよう。

(ここでは、いくつかある批判記事の中から、記事内で漫画への批判or批評と書いてある記事を引用した。)

「ノンセクシャルの彼氏のお話」としながら、限りなく性愛者側に寄り添った世界から描かれている…(中略)…この話は性愛至上主義を強化するものである

出典:キスに飲み込まれた言葉|羽田ゆきち

https://note.com/docohedemo_/n/n33622635b934

Aセクシュアルの社会的認知度がほぼゼロに等しい現時点では、性愛者とのラブロマンスにするのは悪手でしょう…(中略) …Aセクシュアルはまず社会問題として描け!!!

出典:『ラブロマンス』のスパイスにされるAセクシュアルについて|樫井https://note.com/ksii/n/nf8ed934ea3cf


漫画『峰くんはノンセクシャル』に対しての批評記事の引用でもわかるように、この漫画の主人公の境遇に同情し、作品内の峰と村井の出来事と現実の恋愛至上主義な社会に対して混ぜ合わせた怒りを込めながら、記事を書いている。当時、炎上した際も、Twitterでそのような呟きが多かった。そして、だいたいは漫画を無料公開だけのページでしか判断しておらず、先ほど引用した批判記事を書いた人たちも、少なくとも記事を公開した時点では無料公開の部分でしか判断してないのが見え見えなのだ。

なぜかそう言い切れるのかというと、無料公開では載ってないあとがきでこの漫画の印象がガラリと変わるからだ。具体的に言えば、村井の女友達だ。漫画を批評した羽田ゆきちさんの記事では、「性愛至上主義バリバリ、セックスしてこそ彼氏彼女」と、村井の女友達を評している。私みたいに漫画を購入した人たちから見たら、それは全く違うと言い切れてしまうほど、あとがきで変わるキャタクターだからだ。(ちなみに、もうひとつの樫井さんの批判記事では最後の方に漫画を購入してないとしっかり書いてある。)

果たして、そのような漫画批判は、ありなのだろうか。作品に対する批判記事を書く際に、すべてのページを読んでもないのに批判記事を書く…、私はその時点で批判記事としてダメだと思う。気に食わない描写があるから、無料公開だけで判断して批判記事を書く。それって、無料公開内でしか漫画を読まず、自分の主張を文章にして気持ち良く書いているだけに過ぎない。ある意味、Twitterでの発言を都合よく解釈したクソリプとあまり本質的に変わらないだろう。それは、本当にいいのだろうか。

ある創作物に対して批判記事を書くなら、まずは全部読んでからが当然のように思う。しかし、昨今の流れではそんなの通用しない。同じ8月にハッシュタグで社会運動と評した単なる三浦瑠麗さんへのいじめがあったりする世の中だ。もはや、相手のことについてじっくり考える時間なんて、消えてしまっているようだ。即座に反応したもの勝ち。とりあえず、自分の意見を怒りに任せて言えばいい。そんな思考停止したかのような流れがTwitterで蔓延しているのだ。

今回の炎上騒動でも漫画を購入して読んでから、「ここの描写は正直、微妙かも。」という批判をしていた人たちも、もちろんいた。しかし、その人たちの声が消えてしまうほど、この漫画は人々に拡散され、炎上してしまったのだ。もう、この思考停止したかのような流れは止められない。けれど、そういった流れが世間にあって、このような炎上騒動があったことを書き留めておくことならできる。それは、ノンセクシャル、アセクシュアルの未来のためにも必要なことだと、アセクシャルである私は感じている。


3.今後のアセクシャル、ノンセクシャルの創作批判について

私は、創作物で批判をするなとは言ってない。作品を途中まで読んで不快に思った人たちに全部読めとも言ってない。創作上の表現も批判も、なるべく自由であってほしいと願っている。しかしながら、いくら不快な内容であれ、創作を全部読んでもないのに批判記事を書かれてしまったら、創作上の自由と批判の関係がこじれてどうしようもなくなるからだ。今回、ノンセクシャルの恋愛漫画が炎上したことにより、ノンセクシャルについて描こうと思った他の漫画家さんは炎上リスクを避けるためにやめてしまうかもしれない。今回の炎上騒動と同じように毎回炎上していたら、ノンセクシャルまたはアセクシャルから人びとが遠ざかってしまう。それは良い事だろうか。

今回炎上した漫画でも言えるが、未だにノンセクシャルまたはアセクシャルついての書籍が出てないのも、影響していると思う。創作物では描かれているが、アセクシャルについての基礎知識について書かれている書籍は、日本ではない。唯一、英語圏のアセクシャルの書籍があるくらいで、そういう教科書的な知識がネット上でしかないのも、今回の炎上騒動と関係があるだろう。教科書的な書籍がないからこそ、漫画にも教科書的な正しさ・展開を求めてしまうのではないか。無関係とは言い切れない気がする。そこに、何かしら私たちに潜む問題があるのだろう。


4.最後に

創作をする上で、多少なりとも誰かを傷つけることになるだろう。それは、創作する側に立つ人間なら、ある程度覚悟しているだろう。しかし、無料公開された漫画の一部しか読んでないのに暴力だハラスメントだなどど批判記事に散々書かれてしまったら、これからノンセクシャルの漫画があったら読もうとしている人たちが検索して、漫画よりも批判記事の存在に気付いてしまったら。おそらく、あんなに批判記事を書かれていたら、殆どの人が読まないだろう。ハラスメントや暴力を描いた作品なんて、読みたくないってなるからだ。あまりも、悲しいこと。だからこそ、私は今回の炎上騒動での批判記事をとりあげ、しっかり向き合って言葉にしようと思ったのだ。


私は、このような悲しい出来事を減らしたい。『峰くんはノンセクシャル』は確かに少しここは読み手側に伝わりにくいかもと思う部分があるが、それでも素晴らしい作品だと言える。現実は残酷だ。ノンセクシャルの人たちが誰かと恋愛関係を持ちたいと思っても、今の恋愛観ではSEXなど求められてしまうのが現実だ。そんなつらい現実を綺麗に時には残酷に淡々とグレーな感じに描いてくれた作品が、『峰くんはノンセクシャル』だと思う。







他には、アセクシュアルについてこういう記事を書いております。



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