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実は自責思考には夢がある。

 今日のNOTEは完全に昨日の続きなのだが(昨日「他責思考を辞めたほうが人生は楽しくなる確率が上がる」と言うような事を書いた)、自責思考で生きていると「自分の人生は自分が作っているのだから、自分の判断でどんな風にでも変えられる」と言う謎のコントローラビリティ(操縦可能感とでも訳しましょうか)の念が湧いてきて、希望が湧いてくる。

 嫌な会社に勤めているなら、誰の推薦があったとしても、実は最終的にその会社に入るという判断を下したのは自分なのだから、そこを辞めて、辞めても生きていける方法を模索するとか、結局自分の人生を変えられるのは自分自身だけだと腹を括れば、どこかに抜け道はあると思えるはず。「There must be some kinda way outa here」とボブ・ディランが「時計台からずっと」で歌ったように「どこかに抜け道があるはずだ」と言う気持ちになれると一気に希望が湧いてくるのだと思う。どうしてもこれはお互いにとって未来が無いな、希望が無いな、と言うパートナーと一緒にいるなら、潔くそのお相手とはお別れするとか。どれもこれも、色々な偶然はあれど、結局そこを選んだのは自分だよね、と認め、そして「自分は間違いを犯したのだな。ならばそこを認めて訂正すれば良い」と言う考え方で生きて行けば、もっともっと人生が楽しくなっていくような気がするんである。人生の時間は無限では無いので、間違った判断で引き寄せた判断は、早めに損切りしましょう。なんて、自責の念を含めて言っているのだが。 

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