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「ファッション」について少しだけ考えてみたが、正直僕にはもう分からなくなってきた(連続投稿707日目)。

 今日現役の「若者」である何人かの学生さんたちにかのSHEINで買い物をしたことがあるか聞いてみた。今日聞いてみた人達の中では唯一、日本人の女の子1人が「何回か買い物をした事がある」と答えてくれたのだが、けっこう中国や台湾からの留学生のみなさんでもSHEINの存在自体を知らなかったり、知っていてもそれが中国の会社である事を知らず、僕がそれって「漢字で書くと幸音らしいよ〜」と説明したのを聞いて「あっ、本当だ〜」なんて言って初めて中国の会社だと気づく人もいて面白かった。

 僕はそんなにファッションに詳しい方では無いのだが、ファストファッションを強引に「大量に同じ形のもの(色違いは様々あれど)を作ってコストを押さえるユ*クロ型」と「ファブレスで多くの製造元に委託して小ロットで服を作るファッションセンターし*むら型」に分けると、SHEINはどうやら服を作る段階では「し*むら型」らしい。しかし小ロットで作った物の売れ行きをAIが解析して、それが「良い感じに売れている商品」だと分かったらそこからその服を大量生産するそうなので、場合によっては途中から「ユ*クロ型」にも変貌できるスタイルなわけだ。

 そこでふと思ったのが「人と着ている服が被る問題」。当然ながら「ユ*クロ型」だと、世の中に出回っているその服の量そのものが多いので「人と服が被る」と言う事象が起きてしまいやすい。しかしそれって本当に問題なのだろうか。確かにファッションを「その人の個性を主張するアイテム」だと捉えると問題になり得るのかもしれない。

 それと、そもそも服って1個人にとってそんなに種類が必要なのだろうか。毎日違う格好でヴァリエーションの高い人になればなるほど「オシャレな人」になるのだろうか。そう考えるといつも同じデザインのタートルネックだったスティーブ・ジョブスとか、タンスの中に全く同じデザインの「白い頭から被る服」を何着も保管している「おばけのQ太郎」とかのミニマリストはオシャレでは無いのだろうか。

 う〜ん、もし個性がオシャレで「価格は関係ない」のならば古着屋さんで自分が本当に気に入って買った古着が本当にたまたま300円だった人と、同じようにこだわって古着屋さんを探し回って「ようやく見つけて履いているデッドストックアイテムのジーンズ」が10万円だった人のどちらがオシャレなのか。

 いや〜もう正直僕には分からなくなって来たっす。個人的には「その人本人が自分に合っていると信じている物」を堂々と身に着けている人、そして「それを着ると程度の差はあれど、少しだけ気分が上がるもの(このnote的には「それを着ると自己肯定感が上がるもの」になるのでしょうか)」を身に着けている人がオシャレな人なのかなあ、なんて思っているのですが、皆さんはどう思いますか???

*ボーカルやベースの教則本を書かせて頂いております。リンクをご覧の皆さん、ありがとうございます!!!

*そしてここからは「本日の記事」に関連していそうな本のリンクです。


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