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個人的にはあまり「世間が決めた価値基準」を盲信しないほうが良いような気がしている(連続投稿708日目)。

 例えば「会社をクビになってしまった」とか「愛する伴侶とお別れしてしまった」とか、確かに世間一般的な価値基準で考えると一見ネガティブな体験なように見える。しかし長い目で見ると「会社をクビになってしまった」お陰で自分が本当に人生をかけてやりたいものは何なのかを真剣に考え、結果的に「本当に自分が生きたい人生」を生きられるようになった人だとか、はたまた「長年この人しかいないと思って一緒にいた伴侶とお別れした」お陰で「もっと自分にピッタリのお相手を見つけた」人だとか、そういう「意外な展開」を経験しながら生きている人もまた少なくは無いような気がする。

 そしてそういう展開で生きている人にとっては「世間的な価値観ではネガティブとされている「職を失うこと」や「伴侶を失うこと」が結果的には逆に「良いキッカケ」と言うポジティブな体験に変貌している可能性もある。

 そう考えると「世の中が決めた価値観」ってかなり曖昧なんだな、とつくづく感じる。毎回何か「一見ネガティブな事」が起きた時には「いやこれってもしかすると実はラッキーな出来事なんでは?」と一度ぐらい疑ってみても良いのかもしれない。そこで疑ってみても「やっぱりネガティブ」であるならそこで初めてそう思えば良いんだし、それをその後の出来事や頑張りでオセロの黒と白をひっくり返すように「結果的にポジティブに変換してしまう」と言うポテンシャルだって、我々には程度の差こそあれ全員に備わっているはずだ。

 まあ我々に対する親切心や親心で言ってくれていたのだろうから、あまり親だとか学校教育だとかを悪く言いたくは無いが、そこでの刷り込み(結果的にと言う意味で、悪気がなかったのはじゅうじゅう承知しております)を頭ごなしに信じてしまう癖が付くと、同じようにマスコミが言うこと(もちろん正しい場合もたくさんある事はじゅうじゅう承知しております)も何の疑いなく信じてしまう体質になってしまいやすいような気がする。

 人生にはたぶん「みんなに当てはまる正解」と言う物は無いのだろうと思う。そして「その人にとってはこれが良いんじゃないのかな〜」と言う各自にとっての「正解に近い感じのぼんやりとした何か」が存在しているだけなのかな、と最近僕は感じている。なので僕はこれからも「世間の価値観」を信じ過ぎず、程よく疑いながら自分と対話して、とにかく「自分軸で生きて行かれたら良いなあ〜」なんて改めて思っているんである。

*ボーカルやベースの教則本を書かせて頂いております。リンクをご覧の皆さん、ありがとうございます!!!

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