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夏目漱石『坊っちゃん』の読書感想文を書くのが難しい4つの理由 

『坊っちゃん』の読書感想文を書くのは難しい。読み返す度に、私はそんな思いを抱きます。大学生でさえ、坊っちゃんの置かれているシチュエーションを十分に理解できない可能性があります。したがって、全国の小中学生が散々頭を悩ませた末に、ヤフー知恵袋に助けを求めるのは当然のことなのです。
 それというのも、ストーリーから人間関係、そして恋愛描写にいたるまで、この物語は「大人」の要素で構成されているからです。
 今回は『坊っちゃん』を題材に読書感想文を書くのが難しい理由について、考察してみました。



『坊っちゃん』の難しいところ① ストーリーが「大人」


 物理学校を卒業して四国辺の中学校に赴任する坊っちゃんですが、序盤に起こる出来事だけでも、小中学生には共感しづらいものとなっています。

・下宿先の主人が自室に上がりこんで押し売り(骨董品)をしてくる。
・生徒たちが反抗的で、黒板に落書きをされたり、宿直の際に布団にバッタを入れられたりする。
・管理職者(赤シャツ)に釣りに誘われ、いやいや同行する。
・そこで先輩の悪評を吹き込まれる。

 この後は職場内の略奪愛や管理職者と上司の対立といった事件に巻き込まれるわけですが、この展開はまさに「サラリーマンもの」に分類されるでしょう。仕事の愚痴を言うと先輩に注意されたり、下らない会議に不満を募らせたりするところは、いかにも新入社員あるある的な感じがして、クスリと笑えます。ただ、こうしたストーリーや描写は大人が読めば共感できるでしょうが、子どもには何が何だかさっぱりわからず、置いてけぼりになってしまう可能性があります。

 そして物語のクライマックスは、管理職者(赤シャツ)が旅館(ラブホテル)から朝帰りしているところを襲撃するわけですから、小学生はもちろん、初心な中学生も話の展開についていけなくなるのは仕方のないことです。

『坊っちゃん』の難しいところ② 人間関係も「大人」


 私が『坊っちゃん』を極めて特殊な物語だと思うのは、「友人」や「友情」といった要素が一切出てこない点にあります。
 現に坊っちゃんと山嵐の二人を思い浮かべてみてください。彼らの関係は「友達」でしょうか? ちょっと違いますよね。坊っちゃんは山嵐のことを「気の合った友だち」と考える描写はあるものの、彼は職場の同僚であり、それも先輩、あるいは上司に過ぎません。
 だからこそ、四国の地を去った後、坊っちゃんは山嵐と連絡先を交換することもなければ、会うこともなかったのです。

 うらなりも同僚ですし、赤シャツと野だいこに至ってはより生々しい利害関係で結託しているように思われます。

 ドストエフスキーの『罪と罰』でさえ、ラスコーリニコフにはラズミーヒンという友人がいたことを考えると、『坊っちゃん』がいかに特殊な物語であるかがわかりますし、読書感想文を書きづらくしている原因となっているのです。

『坊っちゃん』の難しいところ③ 恋愛描写まで「大人」


 『坊っちゃん』に出てくる恋愛描写と言えば、うらなりとマドンナ、そして赤シャツの三角関係が挙げられますが、萩野の婆さんの話が事実であるならば、マドンナはうらなりから学歴も収入も上の赤シャツに乗り換えたという、これまた生々しいものとなっています。これに関して、しばしば自由恋愛を主張する人もいますが、うらなりとマドンナは婚約関係にあるわけですから、現代においてもツイッターやヤフコメで賛否が分かれそうな行為と言えます。

 そのうえ、赤シャツは陰で芸者遊びをしているわけですが、これに関してはセックスも含まれていると解釈して差し支えないでしょう。当時はまともな避妊方法がなく、相手を妊娠させれば産むか堕ろすかのどちらかになり、子どもの認知で揉めることがあったようです。
 また、当然のことながら性病(花柳病と呼ばれていました)も客と芸者の間で蔓延していましたし、梅毒の治療法も確立されていませんでした。

 つまりマドンナの置かれている状況を現代風に言えば、
「冴えない幼なじみの婚約者から東大出のエリートに乗り換えたものの、そいつが陰でパパ活女子と生でセックスをしていた」
 ということになり、普通の小中学生がこれについて共感したり自身の体験を交えて作文を書くのは至難の業だと言えます。

『坊っちゃん』の難しいところ④ 清の愛も当然「大人」


 しばしば『坊っちゃん』のテーマとして挙げられる、下女である清との関係と無償の愛というのもありますが、ここからアプローチして読書感想文を書くのも難しそうです。
 
 もちろん個人差はあるものの、大半の人が育ての親のありがたみを本当に実感できるようになるのは、実社会に出てからではないでしょうか。就職して理不尽な目に遭い、大人としての義務と責任を負わされるようになった時、初めて自分を無条件に肯定してくれる存在のありがたみに気付くように思うのです。

 私の叔父は中高時代はずいぶん荒れていたそうですが、就職した途端、実家にお土産を買ってきたり外食に連れて行ったりするようになったらしいです(70近くになった今でも毎週のように祖母の家に顔を出しています)。
 こうした叔父の心境の変化は、物語が進むにつれて清が恋しくなる坊っちゃんの姿と、重なるものがあります。

 そう考えると、親の保護下で生活する子どもが、坊っちゃんと清の片割れ的な関係に共感するのは難しいように思うのです(あるいは留学や寮生活で親元を離れている子どもならば、共感できるかもしれません)。

「解説文」を含めて、読書感想文を書いてみよう


 そういうわけで、一般的な小中学生はもちろん、社会人経験のない大学生でさえ坊っちゃんに共感し、読書感想文を書くのは難易度の高い作業だと言えます。
 果たして彼らが、上役との気の進まない付き合いや会議の必要性などに共感できるでしょうか? 同僚と友達の違いについて、自身の実体験を交えて論じられるでしょうか? 婚約破棄の是非や、交際相手の風俗通いと性病や堕胎について意見を持てるでしょうか(むしろ『こころ』の方が、学生にとってはよほど共感しやすく、感想文を書きやすい作品だと思います)。

 だからこそ、私は本の末尾に掲載されている「解説文」も含めて読書感想文を書くことをお勧めします。

①『坊っちゃん』のあらすじを書いて、②「解説文」の要約をまとめたり気になる箇所を抜粋し、③それに対してどう思ったのかを、本文や自身の体験を交えながら書いていくわけですね。

「解説文」まで含めてしまうと先生や友達から文字数稼ぎと批判される恐れもありますが、要約は国語力を養ううえでとても大事な作業だと言いますし、チャットGDPやネット上の感想を真似するよりも、結果的にはよほど実りある読書体験になるかと思います。

 したがって、私は「『坊っちゃん』を比較する」にあたり、とりわけ「解説文」に重きを置きたいと思います。

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