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ノスタルジック京都:中学校でカルチャーショックを受ける

私が中学3年になるとき家族は神奈川県から京都に転居しました。関東から関西への移住です。私はカルチャーショックを受けました。京都で生まれた私ですが京都で暮らしたことはありませんでした。一人で暮らしていた祖母を訪ねて行ったことはありますが、私にとっては初めて暮らす町です。私は小学校で何度も転校しているので転校には慣れており、新しい環境に溶け込む術もある程度身につけているつもりでした。でもその時は環境の違いに大きく戸惑いました。文化の違いと言ってもよいかもしれません。多感な思春期だったということもあるのでしょうが衝撃は大きかったです。

まず言葉が違います。周囲から聞こえる京都弁にすごい違和感を覚えました。先生も生徒もみんな京都弁です。「いけません」や「だめです」に慣れていた私は先生の「あかん!」にびっくりしました。そして周囲の人が話す内容は分かるのですが、自分が喋ることはできません。話に入っていくこともためらわれます。私の関東訛が馬鹿にされるわけでも笑われるわけでもないのですが、何となく奇妙に思われるのではないかと不安でした。悪気はないのでしょうが私が話すとそれをまねる人もいました。きっと物珍しかったのでしょう。テレビなどで耳にしてはいても、私が京都弁に対して持つ違和感と同じように面と向かって話されればインパクトがあります。彼らも私の関東訛に違和感を持ったのだと思います。

時にわからない言葉があっても「それどういう意味なの?」なんて言って聞けません。そんな言い方したら馬鹿にされそうな気がしました。気取っていると思われるかもしれません。だからと言って「それどないな意味なん?」なんて無理に京都弁を使えばかえっておかしいです。そんな状況だったので私は次第に言葉を発することが減っていきました。

言葉の違いについてはnoteで「脱日本おじさん」が興味深い記事を書いておられます。「脱日本おじさん」の場合は関西から関東への転校で私とは逆パターンですが、適応力抜群の彼は私よりずっと巧みに切り抜けています。ぜひ読んでみてください。


言葉以外にも違いを感じました。西陣の下町にある学校だったので雰囲気も下町を反映していました。庶民的で元気な生徒が多いですが、男子の中にはやんちゃで無鉄砲な子も多く、私が初めて登校した日にクラスで挨拶をするとあちこちから口笛が聞こえました。廊下で先生と話をしている時も向こうから走って来た男子が通りすがりに「面!」と言って丸めたノートで先生の頭をパンと叩きました。先生は「何すんね!」と言いましたが生徒はそのまま走り去っていきました。転校初日の衝撃的な風景です。

当時はグループサウンズの全盛時代で、私が親しくなったグループはみんなタイガースに夢中でした。メンバーの実家も近くにあり「偵察」に出かける子もいました。ある日タイガースの映画を見に行くのに私も誘われました。私もタイガースは好きでしたが夢中と言うほどではありません。でも誘われたのでいっしょに行くことにしました。祇園にある安い映画館に行きましたが、そこは2本立てで入れ替えなしの上映でした。日曜日の朝一番の上映に間に合うように行きましたが、2本の映画を見終わってもみんな帰ろうとしません。次の上映も見ると言います。入れ替えなしだったので劇場に残っていれば何度でも見られます。「同じものを続けて2回も見るなんて!」と驚きました。結局その日は合計4本見たことになります。映画館を出たのは夕方でした。さすがに私は最後はほぼ寝ていました。一日中映画館で過ごしたのは後にも先にもありません。

いずれにしても私は周囲から浮かないよう気を遣って生活しました。だから友達もできクラスメートとも普通に付き合いましたが、どこか満たされないものがありました。自己主張をするのも我慢し自分をあまり出さずに生活したのでストレスもありました。仕方がないので勉強しました。他にやることがなかったからです。お陰で中3のこの年は成績が伸びました。どんな状況もプラスに変えられることをそこで学んだ気がします。


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