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ニートのお花見(ほぼ日記)

こんにちは。ニートのさくちゃんだ。

先週はちょうど桜の見頃だったね。
インスタを開くと、知人友人のストーリーズにそれぞれが撮影した桜の写真が載せられていて、横に回しても回してもお花見の写真ばかりで驚いた。だけど不思議なもので、桜のように美しいものは何度見ても飽きないのだな。

みんなはお花見、行ったかな。
さくちゃんは見頃の1週間くらい前に行ったので満開ではなかったが、美しかったよ。桜の下でおにぎりも食べた。三色団子も食べた。「花より団子か…」と言ってみたりもした。だけど実際は「花と団子」だった。青空に映える桜は本当に綺麗だったし、その下で食べる団子は格別で、どちらにも優劣はつけられなかった。

桜とともに、すずめやメジロ、モンシロチョウやミツバチが生きている姿も見られてね。みんな、春が来たことを喜んでいるみたいだった。
それにしても、すずめの動きが面白くてさ。よく見ていると、咲いている桜の花を己のくちばしでもぎ取っているのだよ。あれは何をしているのだろう。もぎ取ることで蜜が吸えるのかな。メジロは花の中に顔を入れて控えめに蜜を吸っているのに、すずめはなかなかに豪快であった。

その行為は、せっかく咲いた桜の花を散らしてしまっていて、桜の木の下にお花のまま、ぽとっと落ちているものはほとんどがすずめによるものだった。桜も大変だな、と思う。雨や風だけでなく、すずめにも気をつけなければならない。だけど、桜はいつもそこにある。しっかりと蕾をつけて、来年も花を咲かせる。

さくちゃんもな、桜のようでありたいと思うのだ。
今、さまざまなことが起こりうる世界で、世知辛さを感じたり、自身を不甲斐なく思ったり、いろいろと苦しいこともある。悩むこともある。考え続けている。それでも桜のように必ず花を咲かせたいのだ。強く生きたい。未来に光を見つけられる人間でありたいのだよ。

ちなみに、さくちゃんは毎年、お花見に行くようにしている。春のこの時期はどうしても心が不安定になりやすい。おそらく、寒暖差によって自律神経がバランスを崩しているせいだと思う。だからこそ、少ししんどくても、晴天の空の下の桜を見にいく。すると、ほんわりと心が穏やかになるのだ。私にとって、ある一種の精神安定剤なのかもしれないね。

昨日、電車に乗っていると、もう見頃を越えてしまった桜を沢山見かけた。葉桜になってしまった桜たち。その姿を見ていると、いよいよ初夏が近づいてくると感じる。時間の流れは残酷だが、一方で、また来年への希望を抱かせてくれるものだ。悪いことばかりではない。

どうか、みんなも各々の希望を捨てずに。
絶望なんて、さくちゃんも何回か感じたことがあるが、それに慣れちゃいけない。慣れてしまったら、それをぬるま湯として一生出られなくなってしまう。私たちはいつも幸せを感じていいし、願っていい。

桜のように気高く、凛と、強く生きていこう。
もちろん弱くなる時や傷つく時もある。だけど、どんなことがあっても美しくそこに在り続けよう。
それは意思であり、覚悟だと思う。
自分を真に幸せにできるのは、自分しかいない。

さて、書いているうちに長くなってしまったね。
冗長になっても良くないので、このあたりで終わろうと思う。
ここまで読んでくれた方、ありがとうね。

あと、いつもいいねをしてくれる方や、フォローしてくれた方、本当にありがとう。
すごく嬉しかったよ。

では、またの機会に。



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