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【短編ライトホラー】BloodCall

 時刻は23時35分。勤務先の丸刃まるば病院が見えてきた。勤務は24時からなので急ぐ必要はないのだが、左手にぶら下げたコンビニの袋がカサカサと鳴ると、つい歩調が速まった。

 真っ暗な夜道をLEDの街灯が照らしているけれど、やけに青白い人工的な灯りはどこかよそよそしくて、頼りにならない気がする。

「きゃっ」

 ととっとよろめいて、手に持っていたビニールを落としてしまった。突然、後ろから走ってきた人物がぶつかってきたのだ。

「やだっ。タルトが」

 慌てて、地面に転がってしまったビニールを拾っている間に、ぶつかってきた不届き者は走って行ってしまった。だけど呼び止めて戻ってきたりしたら、それも怖い。

仕方ないので、背中を睨みつける。けれど遠ざかって行く派手な赤色の靴裏が、チラチラするのもなんだか、からかわれているみたいだ。

 ため息をついて、ビニールの中を覗き込む。

――よかった。数量限定のチーズタルトは無事だったみたい。

 食いしん坊の看護師仲間、丸田さんと秋月さんが喜ぶ顔が頭に浮かび、自然と頬が緩む。

 看護師の仕事はチームプレーだ。勤務が誰と一緒かということは、その日の気分を大きく左右する。それは運次第、勤務表を作成する看護師長の指先次第のおみくじのようなものだから、仲良しの丸田さんと秋月さんと一緒の今日の深夜勤は、大当たり。

――まあ、休憩時間に話すネタが出来たと思えばいいか。

 病院に到着しナース服に着替える。患者さんの容態や注意事項の申し送りを受け、病室を回るラウンドと呼ばれる巡視からもどると、それぞれパソコンモニターに向かい記録を書いていく。気が合う三人なだけに、仕事も円滑、かつ順調だった。

「記録が終わって点滴の準備をしたら、チーズタルトを食べようよ」と私が言うと、「いいねえ!」と二人からすぐに返答が返ってくるのも小気味いい。

 秋月さんがスティックの袋に入ったパウダーで作るカフェオレと紅茶ラテをアイスで淹れてくれた。自分用には微糖のコーヒーを選んでいる。

「はい、花野さん」と私の前に紅茶ラテを置き、秋月さんは自分用の黒猫が描いてあるマグカップをスプーンでかき混ぜながら私の隣に座った。

「私ねえ、この病院、やめようと思うの」
「えーっ! 急にどうして? やめないで」

 丸田さんも私も矢継ぎ早に言葉を並べ立てて引き止める。

 秋月さんは言おうかどうしようか……というように黒目を左右に揺らしたが、すぐに私たちに秘密などできないと観念したらしい。テーブルにぐっと身を乗り出して、ナイショ話をするように声を潜めて話し出した。

「うーん。実はね、私、血液型がRHマイナスAB型なのよ」
「知ってますよ。珍しいですよね?」

「確か2000人とか2500人に一人しかいないとか」

 血液型が珍しいということが、病院をやめるのとどう繋がるのか? 私と丸田さんは相づちを打ちながらハテナマークの浮かんだ顔を見合わせた。

吉良きら先生も同じなの」
「吉良先生って、形成外科のイケメンドクターですよね」

「へえ! それはそれは、また偶然な!」
「吉良先生、再婚しているんですよね」

 秋月さんが退職したい理由を聞くはずが、イケメンドクターの名前ひとつで話題はゴシップに横滑りする。

「再婚のお相手はうちのナースだったような?」と言って、丸田さんがクリクリと黒目がちな丸い瞳を輝かす。

「そうそう。それで彼女、一年前に寿退職しているのよ。私、別に仲が良かった訳じゃないんだけど、この前たまたまデパートのセールで会って、お茶することになったの」

 仲良くなくてもお茶することになるのが、人当たり良し、断れない体質の秋月さんらしいと思う。

「彼女、吉良きら先生のこと、就職してからずーっと好きだったんですって。それでね、私は知らなかったんだけど、彼女もRHマイナスAB型なの」

「えっ……?」
「それは……、珍しい、ですよねえ……?」

 同じ血液型という符牒がなぜだか不吉だ。丸田さんと顔を見合わせる。秋月さんは不倫をするタイプじゃない。だけど……、何事にも例外はつきものなのかもしれない。

「不倫とか?」

 丸田さんが大胆にもストレートに聞いた。

「そうなのよ!」
「ええっ!」 
「本当?」

「それは止めた方がいいんじゃないですか?」

 怒涛どとうの質問攻めに秋月さんが笑い出す。

「あ、私じゃないのよ。吉良先生、再婚でしょ。だから再婚は不倫のはての……ってやつなんだって」

 わざとだ。わざと自分が不倫をしたと思わせて、驚かせようとしたに違いない。でもそういう秋月さんのふざけ体質は嫌いじゃない。

「彼女がおごってくれるっていうから、デパートの五階にあるカフェで、二人用の三段のケーキスタンドのアフタヌーンティーセットを食べたのよ」

「美味しそう!」

「さすがドクターの奥様ね、ナイフとフォークを使って、優雅に私のお皿にもサンドイッチを取り分けてくれたんだけど……。こうして……」

 秋月さんは前かがみの姿勢をして、手で首の後ろを触ってみせた。ナース服は襟が詰まっているので肌は見えないが、襟の開いた服なら首筋の下の方まで見えるだろう。

「このあたりにね、キスマークが付いていたのよ!」

「きゃー! もう秋月さんたら、やだー」

 丸田さんがきゃっきゃと秋月さんの肩を叩く。ところが秋月さんは突然、真剣な目をして、声もぐっと低くした。

「それがね……、話はここからなのよ……」

 私と丸田さんは思わず唾を飲み込んで、秋月さんの話に耳を傾けた。

「キスマーク付けちゃって、って軽くからかったの。ラブラブでいいな、って。そしたらね、彼女、急にすーっと表情がなくなったの」

「秋月さんがからかったから怒ったんじゃないですか?」

「私もそう思ったんだけど、違うの。彼女、そのキスマークを手でこう……さすってね、秋月さんならわかるでしょ?って言うの。
急にそんなこと言われたって、なんのことだかわからないから、何が?って聞いたの。そしたらね、血が呼ぶのよって」

「血……ねえ?」

「確かに私達みたいに珍しい血液型の人は、他の人よりも血を気にしているかもしれない。例えば大量に出血するような怪我はしたくないし」

「そりゃあ、そうですよね」

「だから普通よりも、血液に対して多少思いが強くてもおかしくないとは思うけど、彼女はね、血には特別な力があるって言いだしたの。
ほら、大昔、若い女の子の血が若返りの効果があるって思いこんだ殺人鬼がいたらしいじゃない?」

「エリザベート・バートリですね!」

 ホラー映画が好きな丸田さんがすかさず答える。

「血の伯爵夫人とも呼ばれていますよ。自分の若さと美しさを保つために、若い女性をさらってきては殺して、お風呂にその娘の血を溜めて、暖かいうちに湯あみしたと言われています」

「うわー」

 思わず口を押さえる。職業柄、血には慣れているけど残虐行為には慣れていないのだ。

「そう、そのエリザベートが血には特別な力があるって言っていたのは、本当なんですよって言うのよ」

「若さを保つ力があるってことですか?」
「ううん。そうじゃなくてね、彼女は血は人を操れる、って言うの」

「えー?」

「私達の体には、毛細血管も含めたら、それこそ血が体中に張り巡らされているでしょ? だから血に私たちは操られているんだっていうの。血に操られているマリオネットだって」

「うーん、そうかもしれませんけど、自分の血だし……」

 丸田さんが首を捻る。私も同じ気持ちだ。ところが秋月さんはわが意を得たり、とばかりに深くうなずく。

「そうなの! つまりね、彼女は自分の血を他人の体に入れることが出来れば、その人を操れるんだっていうのよ」

「でも……人の体に自分の血なんて……」
「あっ、輸血?」
「ピンポン!」

 秋月さんは人差し指を立てて、場にそぐわない効果音を自分で言う。

「あっ、イケメン先生、以前に輸血していますよね?」

 数年前に吉良きら先生は食道がんの手術を受けていたのを思い出した。

「でも、自己血だったと思いますけど?」

 丸田さんが言う通り、吉良先生は珍しい血液型のため、手術前にあらかじめ自分の血を採血しておき、手術時にはその血を輸血したはずだ。

「それがね、これはもみ消された不祥事らしいんだけど、いざ手術しようとしたら、保管してあるはずの吉良先生の血液のパックがなくなっていたんだって。
でももう麻酔はかけてしまった。大問題になるのは覚悟の上で手術を延期するしかない、と誰もが思ったその時、今は吉良先生の奥様になっている彼女が、自分もRHマイナスAB型だから自分の血を使ってくれと申し出たらしいの」

「まさか、彼女が輸血用のパックを?」
「そうとは言ってなかったけど」

「でも血液保存用の冷蔵庫には鍵もかかっていないし、誰でも触れますよね……」

「ところでその話はアフタヌーンティーを食べながら、彼女から聞いたんですか?」

「そうなのよ。赤い紅茶を飲みながら、ね」

秋月さんは肩をすくめてみせた。

 豪華なスイーツの美味しさは、気味の悪さで半減したんじゃないだろうか。気の毒に。
 秋月さんは思い出しただけでも寒気がするのか、湯気がたっているマグカップを両手で包み込んだ。

「でも、無事に手術は終わったんですよね」

「まあね。だけど彼女が言うには、その時に自分の血に念を込めておいたんだっていうの」

「念……」

「そう。同じ血が欲しい、血を呼べ、血が欲しい、血が欲しい、血が欲しい、血が……」

「それで……」

「そう。吉良きら先生は同じ血液型の彼女が欲しくなって、ついに妻とは離婚。彼女と再婚してからも、血の念の指令は消えていないから、理性を失うと彼女に吸い付いてキスマークを付け、血が肌に浮いてきたようになると、さらに狂ったように吸ったり舐めたりするらしいの。
あの人、本当は血が吸いたいんじゃないかしら、って彼女、笑ってたわ。キスマークを手でさすりながらね」

 秋月さんはそこで言葉をきると、両手で自分の体を抱いてぶるりと身を震わせた。

「それでね……、別れ際に、秋月さんもRHマイナスAB型でしょ、気を付けてね、って……」

「それで辞めたいってことになったんですね」

 気持ちの悪い話だが、オカルトめいていて信じがたくもある。

「秋月さんが吉良きら先生と同じ病院にいるのが怖くなるのもわかりますけど……何も辞めなくてもいいじゃないですか」

「そ、そうですよ。それに、同じ血液型の奥様がいるんだし、何も秋月さんの血まで狙ったりする必要ありませんよ」

「そうかな……」秋月さんは首をかしげた。
「そうですよ」

 大丈夫と確信は持てないものの、秋月さんが退職してしまうのは嫌なので、二人そろって首を縦にふる。

 その時、救急搬送されてくる救急車の音が近づいてきた。
 電話についているボタンを押すと、スピーカーから救急隊員の声が響く。

『受け入れお願いします。患者は首と上胸部に深い刺し傷。全身に切り傷。出血がひどい。刺した犯人は夫で未だ逃走中です』

「逃走中……って、怖いですねえ」

 丸田さんが緊張感のない、のんびりとした声で言う。まさか犯人が縁もゆかりもないこの病院に来ることはないと思っているのだろう。

『おそらく輸血が必要です。患者はRHマイナスAB型。輸血用の血液はありますか? キチヨシ マユミさん、女性、三十四才です』

 ヒクッという音が丸田さんの喉から漏れ、口を両手で抑えた。

『もしもし! もしもし! 応答お願いします!』

 喉がつまって、救急隊員の呼びかけに答えることができない。

 キチヨシ……。 聞き慣れない名前が頭の奥に引っかかる。

「犯人は逃走中……?」

 カーテンをめくり窓の外をのぞくと、雨が降っていた。LEDの青白い街灯の光の中を、白衣姿の男性が横切り、夜の街に足早に去っていく後ろ姿が見えた。吉良先生によく似ている。

――あれ、あの靴は…… 

 赤色の靴うらがチラリとのぞく。雨に濡れた路面に、赤い足跡が滲み……、あっという間に雨に流れて消えた。

 私は秋月さんを振り返ると、彼女を見つめたまま「輸血用の血液はありません」と電話に告げた。

「辞めるの、やっぱり少し遅かったみたい……」

 そう言って、哀し気な顔で首を振る秋月さんの胸には手術用のメスが突き刺さり、さっきまで真っ白だったナース服は真っ赤に染まっていた。

 両手で包み込んでいるマグカップに描かれた黒猫が、手を透かして徐々に見えてくる……。

 やがて黒猫がはっきりと姿を現すと、秋月さんはマグカップから立ちのぼる湯気と一緒に、一瞬ゆらっとゆらめいて夜に溶けて消えて行った。

 秋月さんが座っていた場所には、手つかずのチーズタルトとすっかり冷えたコーヒーが、ぽつん、と残されていた。

「最期に……、一緒に夜勤したかったんですかね、秋月さん……」丸田さんが呟いた。

 そしてその言葉を待っていたように、喉を引き裂くような入院患者の悲鳴が院内に響き渡った。

 すぐに駆けつけるべきなのに、悲鳴の主が何を見たのかわかっているのが悲しくて、動けない……。

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