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雨の夜に

ベランダの草木の手入れが楽しくて、毎朝早起きしている。
今朝はまだ夜のように暗いうちから(時計を見たら4時だった)窓の外でツバメの声がして、外をのぞく。
鳥たちは一番の早起き。


鳥の声で目が覚めるって、いいですよね。ここは道路はアスファルトで、目の前にはいくつかマンションも建っていて、すぐ近くにはコンビニもあって・・・
ベランダのすぐ下に電線があるから、そこに鳥たちがとまって鳴いている。
(ツバメって、電線のあるところにやってくるそう)
少し歩くと堤防と川とその向こうには山が続くから、自然も身近ではある。
程良く町で、程良く田舎。


ゴールデンウィークといっても夫もわたしも普段と変わりなく仕事だし、これといってやることもなかったお休みの今日は、末っ子と二人で散歩に出かけた。もうすぐ雨になりそうな、どんよりと曇った空が見える。
見に行ったのは、見事な一重の薔薇(ハマナス)の木。


昔、若かりし頃ハマナスのピンクを買って、上手く育てられず枯らしたことがあった。(風通しと日当たりの悪いベランダだった)
今は、風通しも日当たりもばっちりで、ここに住むようになってからベランダの草木を育てるのが楽しみで仕方ない。


春先に、たくさんの草木の鉢植えの植替えをおこなった。
狭い鉢の中だと根っこがびっしりはってしまい、土が岩のようにカチカチになり、水もなかなか浸透しなくなってしまう。
面倒ではあるけれど、この作業を終えると手をかけた分、その後の様子を見守るのが好きなのだ。


公園でリスにも出会った



夕方からは、青木海青子さんの『不完全な司書』を読む。



最近ずっとこころでくすぶっていた嫌な気持ちがすんっと落ち着くような心持ちになった。
じっくりゆっくり丁寧に読みたくなる文章。



本の中で紹介されていた鈴木大介さんの『脳は恢復する 高次脳機能障害からの脱出』(これは読んで見なくちゃ。)からの抜粋に深く感心。


多くの当事者を取材するなかで辿り着いたひとつの結論が、「一番困っている人たちは見えないところにいる」だ。苦しいです助けて下さいと声に出し、適切な相手に伝えることができる人は、まだ良い(良くはないけど)。

 けれど最も問題なのは、こんな人たちだ。
 本当は苦しいのに、自分で自分が苦しいことを理解できない人たち。
 苦しいと言葉に出すことができない人たち。
 苦しいと人に伝える言葉や、その能力すら喪失した人たち。
 苦しさや貧しさを、誤った方法で自己解決してしまっている人たち。
 支援の手を差し伸べる人がいても、それを拒否する人たち。
 ・・・・なんと彼らの多くはたいていの場合、「支援しなければならない  
人たち」のようには見えないのだ。
もう、まるで見えないし、全然かわいそうにも見えない。

「『不完全な司書』 2 クローゼットをのぞいて」より


”自分で自分が苦しいことを理解できない人たち”ってところにドキッとした。
わたしのことだ。自分でも多分限界で「助けてほしい」と言えればいいのだろうけれど、自分の無能さのように思えて、隠して、何もかも嫌になり、人生をやめたくなるから。(生きていくのが億劫)
今ではそう考えだす時には、自分が疲れているのだから労わって優しく(自分に)してあげよう、休もう、と思えるようになったのではあるけれど。
(カウンセリングや先生のおかげだ。時間はかかったけれど)



そういえば、先日読んだ益田ミリさんの『今日の人生2』の中にも、ハッとしたエピソードがあったっけ。
「割り切って考える」ってこと。
いつも自分の思考は結局、同じパターンに陥ってしまうのがわかっているなら、その手前で思考をやめれたらな、と。


心(生き方)のことだけでなく、おすすめの本も紹介されていて、自伝的なエッセイのようでもあり、読書案内でもある。
わたしもりっぱに”不完全さ”を抱えているから(おまけに司書で本に助けられてきたところも)大いにシンパシーを感じた。



読んでいくと、”不完全さ”が愛おしくも思えてくる。
”不完全さ”ばんざーい!








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