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流れていく日々に

暑い暑い真夏のようないち日。
空にはりっぱな入道雲が・・・


うだるような暑さの中、いよいよ高校野球が始まる。



毎年思うけれど、猛暑の中、炎天下でよく動き回れるものだ。
週末には野球の応援に出向く予定。(野球もなんだけど、娘の(チアリーダー)応援がメイン)
高校3年生だから最後の夏だね・・・
チアの応援を楽しみながら、いつのまにか野球も夢中になって応援していて、多くの人と同じように高校野球に魅せられていく。


先生たちは受験勉強にハッパをかけるけれど、高校時代にしか味わえない大切な思い出になるだろう。
受験のためにやりたいことをあきらめてほしくない。(彼女はチアリーダーの他に美術部にも入っているし、今の時期は応援団と一緒に応援合戦のリーダー(援団)の練習もしている)




つぎの詩は子育て中のおかあさんたちのことだけれど、置き換えて考えて見れば、同じようなことがいろいろな立場の人に当てはまる。



『今日』 (伊藤比呂美訳)

今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう

人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの?とか

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな

たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ

『今日』(福音館の単行本)より




受験勉強だけでは得られない大切な時間を過ごしてるのだ、と見守りたいな・・・


そして娘のことだけじゃない。
世の中の色々な人のこと、一見あれって思うようなことも、もしかしたら目には見えないけれど、大切な時間を過ごしているのかな、と
そうゆう視点を持っていけたらいいな、と思う。


この詩は看護学校で小児看護を教えている友人が教えてくれた。
自分たちの子育て期にはお互い悩んで苦しんでいたけれど、(比べたりもしちゃって)
今となってはそのことをお互いに懐かしんでいる。(わたしは老化の一つでもあるなぁ、なんて思うけれど(笑))


子育てはその時には精一杯。どんな人も一生懸命にならざるを得なくて、極限まで追いつめられるような気持ちにもなったけれど、
過ぎてしまえば、わりとみんなちゃんと育ってくれていて、ただただ正解はわからずに、子どもだったころの過ぎ去った愛しさを名残惜しく思う。



そんな風に日々は過ぎてゆきます。


琵琶湖まで娘とドライブ




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