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言葉遣いで「クラス内カースト」が決まる...子どもの間で深刻化する分断

みなさん、こんにちは☀️或いはこんばんは🌉
金嬢です✨


スクールカースト

意味
『スクールカースト(または学校カースト)とは、学校において自然発生する生徒間の固定的な序列、また、序列の近い生徒らが小集団を形成し、学校社会が階層化しているという仮説である。上下関係が固定化することから、ハラスメントやいじめの原因になっているとの見解がある。スクールカーストの呼称は、学校における生徒間の序列を、インドの固定的・階級的な身分制度であるカーストになぞらえた和製英語である。』(Wikipedia参照)


この言葉は好きじゃないですが、人が集まればどんなところでも、そこには小さな社会が出来て少なからず上下関係が出来上がりますよね😓


小学生時代➡️下から二番目
典型的ないじめられっ子
仲の良い友人がいたおかげで何とかなった

中学校時代➡️一番下
皆のサンドバッグ
頭痛と吐き気に堪えながら学校に行く
卒業式に感じた事は「これで顔を合わせなくて済む」

高校時代➡️上から二番目
私の知る限りいじめはなかった
少し自分のレベルより低かったのかインテリキャラになる
専門科でクラス替えもなく3年間平和に過ごす
高校時代のおかげで少し明るい性格になれた

大まかですが私の学生時代のスクールカーストはこんな感じです

今回紹介する記事にはスクールカーストについて語られています

https://news.yahoo.co.jp/articles/7644cd15d7c483e367621385ecc7c8d169be1a99

言葉遣いで「クラス内カースト」が決まる...子どもの間で深刻化する分断

記事要約

『言葉づかいでグループが分かれる

小川:『ルポ 誰が国語力を殺すのか』の中で、「国語力のカースト」の話が印象的でした。国語力によって学校の中で階層が分かれるのです。言葉を持っていない子どもたちは同じような子と集まり、粗雑なやりとりをする一方、言葉を持っている子たちは、豊富な語彙で複雑なコミュニケーションをしているんですよね。

石井:普段の学校生活の中では、国語力のある子のグループが有利というわけでもありません。むしろ、乱暴な言葉遣いをする子のグループが力を持っていたりします。でも、グループ内の人間関係が悪化したときなどに、言葉を持たない子たちはトラブルになります。

小川:今回『超こども言いかえ図鑑』を作ったのは、何でも「ヤバイ」とか「マジで」と言う子どもたちの語彙力を不安に思う親が多かったからというのもあるんですが、単に語彙を増やすだけではなく裏にメッセージがあるんです。

ここに登場する、「ヤバイ」ばかり言う「ヤバオ」、言葉を知っている「デキル」、大人顔負けの語彙力の「文豪くん」といったキャラクターたちが、それぞれ言葉が違うので最初は仲良くないけれど、お互いの言葉を認めてコミュニケーションする中で、最後は仲良くなれるという物語にしています。言葉は、自分のことを伝えたり、いろいろな人とコミュニケーションするためにあるんだよというのをテーマとして持っています。

実際には難しいのでしょうけど...。

石井:言葉が違うということは、思考も違います。思考は言葉を使ってするものですから、少ない語彙で考えるのと豊かな語彙で考えるのとでは深さが変わります。思考が違う子同士は付き合えないんですよね。

先日、ある高校の図書委員の子たちと話したら、面白いことを言っていました。「私は多くの語彙を知っているが、そのことによってソンしている気がする」。物事を深く考えられるようになると、余計な悩みが増えるというんです。自分の内面にも向き合わざるをえず、周りの人があまりそんなことを考えていない中では、孤独になってしまうんですね。

小川:なるほど、確かに。なかなか周りの子に理解してもらえないかもしれません。

多様な分断社会

石井光太さん
石井:でも、彼らは、同じように深い思考をし、語り合える仲間を見つけられるでしょう。だからいいのです。言葉の少ない子はそういうこともできません。

しかも今は、ゲーム好きな子とYouTube好きな子で使う言葉が違いますし、細かく分かれてしまっています。同じクラスでも、違う言葉を話す子たちがたくさんいるわけです。そんな中で、「みんなで仲良く」「多様性を認めて」生きていくのってものすごく大変ですよね。

小川:昔はメディアが限られていたので共通言語があったものが、今はバラバラになっているわけですね。

石井:何人かの先生に聞いたところによると、今の高校生はクラスの半数と喋ったことがないまま卒業していくそうです。名前も知りません。名字はわかっても下の名前がわからないんです。嫌いなわけではないけれど、文化が違うから交わらない。コミュニティも小さくなっていて、2~3人で1つのコミュニティになっています。多様性社会というより、多様な分断社会ですよね。
公立の学校では多様性に触れられるというのは本当か?

分断は幼稚園の段階から起きている?
小川:近年、中学受験が過熱しています。その中で、私立の学校に行くと同質性が高い集団の中に身を置くことになるのに対し、公立の場合は多様な人たちと一緒に学ぶことになるので、それが公立学校の価値だという考え方があります。そのあたりはどう見ていらっしゃいますか?

石井:建前はそうですが、実際に多様性を得られるかどうかは別の話です。学校が終わったあとにすぐに家に帰り、オンラインゲームの仲間とだけ遊んでいたり、習い事に行っているなどすれば、そこの小さなコミュニティでしか交わらないでしょう。地域によって、あるいは、その子によって、多様性を価値にできるかどうかは違いますから、一概に言えないですね。

ただ、私立の学校では同質性が高くなるのは本当です。先日、ある名門校で講義をしたのですが、そこの生徒たちに底辺校の実態を話しても全然ぴんと来ないんです。クラスの4分の1が生活保護世帯で、半分近く不登校で、親とも会話がなくて...というのが理解できません。

将来、そういった名門校の子たちが日本の未来を創っていくのだろうと思いますが、「社会を良くする」と言っても、底辺校の子たちの視点にはどうしたって立てないでしょうね。

こういった分断がリアルに進んでいっていると感じます。いま幼稚園も定員割れで大変になっているので、それぞれの幼稚園が特色を出そうとする動きがあります。幼稚園の段階から分断が起きていくのではないでしょうか。

こうなってくると途上国と同じです。途上国の富豪は、自分の子をスラム街の子たちと同じ場所で勉強させたくないと、小さいうちからエリート校に入れます。そうやって育ったエリートたちは、スラム街の子を見たことがないんです。

先が見えない時代に、さまざまな壁にぶつかっても乗り越えていける力は、やはり国語力がベースです。まずは自分が生きやすいようにすること、そして余裕があれば、生きやすい社会にしていくことを考えていきたいですね。


うーむ、なるほど🧐
最近の学校では分断が進んでいるんですね💦


昔と比べてコンテンツが溢れ過ぎていて、クラスという小さな社会の中でも更に細分化されたコミュニティがどんどん出来上がっていってるんですね😥

コミュニケーションって何かしらのツールがないと成立しにくいものですから、よく知らないコンテンツの話をしていても入れないですね😣


その中で「多様性なんだから皆認め合おう、仲良くしよう」って言っても大人でも出来てない事を子供に強いるのは酷ですね😣


スクールカーストなんて本当に、その学校の中での話であり、卒業してしまえば全く関係ないですからね🎓

会社員も同じです👩‍💼
辞めてしまえばカーストなんて全く関係ない話になります‼️


私も中学時代は一番下でしたが、高校では上から二番目になりましたから、如何にこの小さな社会が曖昧なものか分かります❗️

社会人になっても同じ事を感じてます🧐


最後まで、ご覧頂きありがとうございました😊

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