筋トレと私が好きな哲学について

こんばんは
ワイマニです。

今日は丸一日Twitterの調子も悪く、いつものおふざけができませんでした。
午前中はひよこダイエットの話題でピーチさんと盛り上がることができ、とても楽しかったのですが、途中からバグが起きたのか、仲の良い人のツイートがほとんど見れなくなりましたので、自分が大好きな哲学の本を一日中読んでいました。
そのため、今日の私の頭は少し真面目モードになっています。
私のTwitterです。
https://twitter.com/chu5169d1

筋トレとTwitter、そしてそれに纏わる哲学について、少し触れていきたいと思ってます。
哲学と聞くと堅苦しいなと思うかもしれませんが、全然そんなことはないので、良かったら読んでみて下さい。

今日は『自分が置かれた環境で精一杯頑張る』意味について考えてみましょう。
『自分が置かれた環境で精一杯頑張る』とは、簡単に言えば『現状の条件や環境に応じて、最大限の努力を尽くすこと』を意味します。
あれれ?簡単に言えばと言いながら、逆に難しい表現にしてしまいましたね。笑
さて、、、続けます。
『自分が置かれた環境で精一杯頑張る』
これって、一見簡単そうに聞こえますし、難しそうにも聞こえませんか?
今日はその意味や背景について考えてみましょう。

先日私は、Twitterで外国人業者と英語でやり取りをしていました。
それを見たツイ友の皆さんから『ワイマニさんが英語できるなんて意外!』と言われましたが、実は学生時代から勉強と女性には真面目に取り組んでいた方ですから、成績は良い方でした。
勉強は常にクラスで1番か2番で、女性からモテたことはなかったので、その成績は常に最下位近くでした。

もちろん勉強ができることと、仕事ができることは別の問題ですし、学生時代の努力が必ずしも今の仕事に繋がったわけではありません。
しかし学生時代の成績は、その辛い『勉強』という作業にどれだけ取り組んだかを示す重要な指標になると思っています。
得手不得手は別として、努力した結果がそのまま反映されるといった点では、筋トレと勉強はよく似ているかもしれません。

ところで、勉強に取り組むことと、仕事をすることは全く異なるものですよね。
ですから『あの人は勉強はできるらしいけど、仕事はイマイチだよね。』のように、同じテーブルに載せて計るのはナンセンスだと、個人的には思っています。
ましてや勉強に費やした時間と経験を全て無視して『勉強ができても』と言う考えを持つ人は、他人の努力を認めたくない人かもしれません。
社会に出れば、努力が必ずしも結果に繋がらないこともありますが、筋トレや勉強のように、やった分だけ自分に必ず返ってくるものも存在します。

私は高校3年の時に一度大学受験に失敗し、1年間浪人した末、志望校に合格することができました。
私が通った大学のゼミの先生が哲学大好きな方でしたが、私はそこのゼミで2人の偉大な哲学者を知ることができました。
一人はニーチェ、そしてもう一人がエピクテトスです。
この2人の哲学者は今でも大好きです。
ニーチェに関しては、哲学初心者に向けた本も沢山出ていますから、本好きな方なら、本屋でよく目にしたことがある名前だと思います。
一方でエピクテトスのことを知っている人は少ないのではないでしょうか。

『自分が置かれた環境で精一杯頑張る』ことについて、エピクテトスの哲学に触れることで、この意味を少し深掘りして理解し、あなたの生活に活かしていくことができるかもしれません。
筋トレとエピクテトスの哲学は、現代人が幸せに生きる為に、不可欠なものだと個人的には考えています。

エピクテトスの1番大きなポイントとなる哲学は『我々次第であるもの』と『我々次第では無いもの』に分けて考え『我々次第では無いもの』は軽く見るようにしましょう。
と言うものです。
なんだか、意味がわかりませんよね。
今度こそ簡単に言ってみますが、要するに『自分のやり方次第でどうにかなるものは頑張って、自分ではどうしようもできないものは考えるな、悩むな』と言うものです。
どうですか、今のは分かりやすかったですよね。

一つ例えを出してみましょうか。

『判断』『意欲』『欲望』は我々の心の動きに左右されるものだから、我々次第。
一方で『体の調子』『財産』『他人からの評判』『地位』などは我々が決めることができない。
エピクテトスは、我々が決めることができないものに欲望を向けることが、NGだと説いています。
例えば『他人を羨む気持ち』って誰もがありますよね。
金持ちに憧れる、美人や男前に憧れるなどです。
私もいつも『女性にモテたい』と言ってますが、まさにそれです。
これらを羨ましく思ったところで、その地位や名誉や他人にモテることを自分の裁量でどうにかできるわけではありませんよね。
にも関わらず、他人の成功や繁栄を見て憧れの念を抱き、モテたいが為に自分も目立ちたくなったり、必要のない競争に駆り立てられたりすることがあります。
結果的にそうした思考は、自分が苦しむことになるだけで、こうした『我々次第ではないもの』に囚われてはいけないとエピクテトスは説いています。

また、病気・死・貧乏を避けようとすると、不幸になるとも述べています。
これについては、私も病気をするまでは意味が全くわかりませんでした。
私もくも膜下出血の経験がありますが、病気や死は突然襲ってくるものですし、事故や災害などで資産を失う可能性もあることを考えると、それらは自分がどうこうできる裁量の範囲外にあるものということですよね。
勿論、そうならないように努力をすることが意味がないという話ではありません。
努力をしていても、自分の裁量の範囲外のことで結果が左右されてしまうという認識を持っておきなさいということです。

エピクテトスの哲学を若い時に学び、それから私の中に常にあるものがあります。
それは、承認欲求が異常に高い人を私はとにかく苦手だということです。
承認欲求が高い人は、自分の称賛や評価を得ることに執着する傾向があります。
子供なら理解ができるんですが、成熟した大人が承認欲求が強すぎると問題になることが多いと思っています。
エピクテトスは、この承認欲求からくる感情で『何としても気に入られたい』と考えた瞬間に、人は気に入られたい対象の奴隷になると指摘しています。
自分の行動原理を他人が握ることは、自分の自由を制限するものであると言っています。

私は自分の人生において、全て自分で決めたことを自分自身で進めていきたいと思って生きています。
他人の評価に振り回されることなく、自分の道を進むことが1番大切だと確信を持っています。
他人の意見や評価を参考にすることは全部が悪いことだとは言いませんが、自分の信念や価値観を大切にしているのであれば、自分の行動原理も自分自身で握ることが、人生を豊かに生きるための鍵だと感じています。
言ってることがちょっと難しいですか?

今日紹介したエピクテトスの哲学は、彼の考えのごく一部にすぎません。
しかし、自己成長や自己の内面に向き合って、精神的な豊かさを追求する意味を示してくれます。
筋トレと彼の哲学は、現代人が幸せに生きるための指針になるんじゃないかと個人的には思っています。
自分の置かれた環境で精一杯の努力をし、自分の道を進む姿勢を大切にすることで、自己成長や向上心を養い、幸せな人生を築くことができるのではないでしょうか。
筋トレとエピクテトスの哲学は、人間の成長と幸福に向けた鍵を握っているかもしれませんね。

簡単と言いながら難しくなってしまいましたので、今日はこの辺で。
エピクテトスの教えについてはボリュームが物凄い為、後日これと思ったものをまた記事にしたいと思います。
次はまた筋トレについて書いてみようかな。

いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ワイマニ

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