なぜ、医療ソーシャルワーカーを志したのか(祖父の死)
母方祖父が亡くなった。
祖父は、東京の六畳一間に祖母と二人暮らしをしていた。
息子はいなかった。
娘はたくさんいたが、全員都外へ住んでいた。
80を超えた祖母を一人にできないと。
伯母の一人が引き取った。
東京から出たことない祖母は「都落ち」と拒否したが、
娘たちに説得されて、しぶしぶ伯母の家に移り住んだ。
ただ、納得はしていなかった。
祖父の仏壇がある6畳間の部屋を与えられたが、
ほとんどその部屋から出なかった。
2カ月で足腰が弱り、4カ月で認知症になり、
ある日、ご飯を詰まらせ、誤嚥性肺炎で救急病院へ入院した。
全介護状態となった。
伯母や母たちは「もう、在宅では難しい」となった。
祖母は、老人ホームに入所した。
当時、老人ホームは「姥(うば)捨て山」と言われていた。
親を家で看取らないのは、世間体が悪いと言われた。
人里離れた辺鄙なところにしかなかった。
母や伯母たちは、祖母に会いに行かなかった。
私やいとこなどの孫たちにも祖母のところへ行くことが禁じられた。
ただ、亡くなったときの連絡を待つのみとなった。
そこに強い怒りを感じた。
怒りの矛先は自分自身である。
わざわざ福祉を学ぶために大学まで行ったのに、
この苦しみに何もできない。
祖母も苦しい。母や伯母たち、私やいとこたちも苦しい。
私の大事な人たちが苦しんでいるのに何もできない。
みんなには内緒で、こっそりと祖母に会いに行った。
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