あほうどり

手段と目的が混同しない生活を送るために備忘録として利用しています。

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最近の記事

学会発表で非常に便利だったのもの

近年、学会はハイブリットが多い。 パワーポイントには、レーザーポインターの設定があるが、 先に進む設定が少しややこしい。 そしたら、SEさんがレーザーポインターになる続けるアプリを教えてくれた。 便利だ。 赤は、気になるので、青にしてみた。

    • 医療ソーシャルワーカーが医学系学会発表をする上での留意点(実践編)

      近年、小児科分野ではいろいろな社会保障制度が充実してきている。 しかし、制度は複雑で、年々、さらに複雑化している。 そのため、制度に関する発表を学会側から打診されることが非常に多い。 今月は、4回、いろいろな場所で発表を行った。 医学系学会は、全国あらゆるところから、参加している。 制度のことを話す場合に感じたことでは、ご当地の部分と、全国で差異がどの程度あるかを理解することである。 学会は、開催地の周辺からの参加者が一番多い。 例えば、福岡で開催されるのであれば、

      • 学会シンポジウム ZOOM、ライン、メールでのやりとり

         医療ソーシャルワーカーが参加できる学会も以外に増えている。  今回、3つの学会のシンポジウムをそれぞれ、座長、シンポジスト、企画者を担当したので、その感想を述べる。  まず、ZOOMは非常に有用であった。    ただ、シンポジストが事前に原案を作らないと、限られた時間のなかで、なかなか論点まで辿り着かない。  また、意外に日程を調整する時間が少ない。  ラインは、もともと一言だけを書き込むことに有用なSNSである。  ZOOMのように日程を調整する必要がないため、そ

        • アウトドアにおける危険の”基”

           カヤックで川下りをした。  カヤックで楽しく川下りをするためにいくつかの条件がある。  一つは装備である。    ヘルメット、ライフジャケット、スプレースカート、パドルは必須である。耳栓や鼻栓もあって損はない。  次に技術である。    オールを漕ぐ能力、カヤックがひっくり返ったときのリカバリー能力などの技術が求められる。    次に仲間である。  川下りは、リスクが高いアウトドアのスポーツである。  死者が出ることもある。   仲間と一緒に下ることで、ある程度のリ

        学会発表で非常に便利だったのもの

          ソーシャルワーカー・メモ(家族からの相談)

          遠縁の高齢の親戚が、救急車で搬送された。 親戚は、子どもはおらず、80歳を超えている。 連れ合いは、認知症で徘徊が強く、 目が離せない。 2人きりの家族。 施設入所は拒否して、ずっと介護をしていた。 確定はしていないが、親戚はおそらく癌である。 遠縁であるが、長年、非常によくしてもらっていた。 ただ、移動だけで半日が費やされる遠方に住んでいる。 家族から、「何かできないか?」と相談された。 地の利のない地域ではある。 しかし、使えそうな社会資源は、何となく浮かんだ

          ソーシャルワーカー・メモ(家族からの相談)

          医療ソーシャルワーカーは伴走支援者になりえるか?

          医療ソーシャルワーカー像を、現場の中堅者に聞いてみた。「患者と伴走するひと」と言われた。 伴走支援を調べてみると、 厚生労働省のPDFがヒットした。 ザックリというと「ひとりにしない支援」ということらしい。 医療ソーシャルワーカーは、つながりを作ることに特化している。 相談を受ければ、社会資源を提供できるからである。 ただし、「つながり続けること」 という意味であると、 現在の医療ソーシャルワーカーには、 難しい。 急性期に、新人医療ソーシャルワーカーがあふれて

          医療ソーシャルワーカーは伴走支援者になりえるか?

          小児と高齢者 医療的ケアの考え方の違い

          だいぶ前であるが、高齢者で、気管切開をすることは少なくった。 これは、気管切開をすると、受け入れてくれる療養型や高齢者施設が少ないためである。 20年くらい前であるが、胃瘻はずいぶん推進した記憶がある。背景として、自分で経鼻栄養をしてみると、随分と苦しい。 胃瘻であれば、そういった違和感がない。 ただ、最近は胃瘻もしなくなっている。 経鼻栄養は、延命治療の範疇となりつつある。 小児の世界では、気切も胃瘻も積極的に行われる。 理由は2つある。 一つは、未熟性が改善

          小児と高齢者 医療的ケアの考え方の違い

          成年後見人と未成年後見人の大きな違い。

          成年後見人制度をよく利用する。 特に、法定後見人となった社会福祉士は、 とても働いてくれるありがたい存在である。 しかし、成年後見人は万能ではない。 治療の同意は、原則禁止である。 これは、法定後見人を守るための措置である。 しかし、未成年後見人は、親権者の代行であるため、 子どもの治療同意は可能である。 これは、児童相談所のCWであれば、 当たり前のことであるが、市区町村のCWでは、 経験がないから分からないかもしれない。 近年、重層的支援がじわじわと浸透しつつあ

          成年後見人と未成年後見人の大きな違い。

          ソーシャルワーカーが、MBAを取得する時に注意点

          急性期の病院は、 DPC(Diagnosis Procedure Combination)に大きく影響する。 DPCを作成した意図は、 本家アメリカのDRG(Diagnosis Related Groups)よりも、 様々な経営指標に利用できることを目指している。 DPCは、医師の技術への評価(Doctor Fee)と病院の経営努力の評価(Hospital Fee)に分かれている。 医療ソーシャルワーカーが、関与するのは(Hospital Fee)である。 よって、医

          ソーシャルワーカーが、MBAを取得する時に注意点

          転職2年目の思い出(完全箱入り)

          小児分野の社会保障制度が分からない。 連携すべき機関も分からない。 他の小児専門病院への実習を希望したが、 「出張費は出せない」と言われた。 完全に軟禁状態。 5つ下の同期たち。 それなりに仲良かったメンバーもできた。 県庁用一人一パソコン。 病院にはなかった。 仲の良かったメンバーが、 終電を逃して、 良く泊まりに来ていた。 「なんで来なかったの?」 良く聞かれた。 だって、そのお誘い、 パソコンないから。 県の社会福祉士会に入会した。 定期的な集まり

          転職2年目の思い出(完全箱入り)

          MSW6年目の思い出「転職1年目 2/2 窓際族と光合成」

          1万人を超える県職員のなかで、まさかの一人職。 5年間、一般・高齢者の医療分野だった。 小児分野は何も分からない。 社会保障制度も良く分からない。 実家に帰る道のりで、通過する3都県の小児専門病院に訪問した。 いろいろと制度などを教えてもらった。 研修が終わり、病院に派遣された。 上司は医師であった。 食堂と喫煙所に案内された。 部署は前職と同じ地域医療連携室。 病院から一番遠いところにあった。 県知事が県庁スリム化を公約にしていた。 新しい部署の許可が下りな

          MSW6年目の思い出「転職1年目 2/2 窓際族と光合成」

          MSW6年目の思い出「転職1年目 1/2 辞令:小児専門病院への勤務を命ずる」

          大学は自宅から通えるところ。 就職先も同じ県内。 20数年間、一度も県外に出たことがなかった。 新天地は、地元から3つの都県を超える。 山と海が見える景色。聞いたことのない方言。 県庁所在地には、一度も来たことが無かった。 道を歩いていると、おじさんが話しかけてくれた。 程よい田舎に来たと感じた。 児童相談所で働くと思った。 児童相談所にはたくさんのケースワーカーがいる。 スーパーバイザーもいる。 上下関係があって、同じケースワーカー同士で、議論できる。 これからはた

          MSW6年目の思い出「転職1年目 1/2 辞令:小児専門病院への勤務を命ずる」

          MSW5年目の思い出(「辞めます‼」「おめでとう♡」)

          ようやく師匠のもとで、ソーシャルワークを集中して学ぶ日々を得た。 毎日が充実していた。 しかし、師匠から「民間病院より公的病院の方が良い」 と頻度高く言われるようになった。 当時、国立病院が行政法人へと移行する時期。 公的機関の外郭団体系の医療機関も、民間法人への売却が検討されていた。 同じ公務員なら、病院採用よりも行政職採用が良いと考えた。 師匠に、「行政職(地方上級)に受かったら辞めます」と伝えた。 師匠は「いいよ」と言ってくれた。 とりあえず、地方上級の試験

          MSW5年目の思い出(「辞めます‼」「おめでとう♡」)

          MSW4年目の思い出(黒字化と肩たたき)

          就職当時、夫婦で働いていた医師が開業した。 外来・入院が激減し、月300万円以上の赤字を計上していた。 療養・介護病棟はほぼ100%の病床利用率となった。 この年から1000万円/月の黒字へと転じた。 介護報酬の改定で、介護度の単価が大きく変わり、 経営側は介護度4,5の入所を指示したが、 スタッフの負担が大きくなり、 離職に拍車がかかった。 看護師や介護士ともよく話すようになった。 介護度3~5のバランスを、スタッフをよく相談して、 決めることにした。 離職は少なく

          MSW4年目の思い出(黒字化と肩たたき)

          MSW3年目の思い出(終の棲家)

          急性期の半分を、療養病床、介護療養型医療施設に移行した。 親くらいの年齢の人たちが、他の急性期から「早く退院しろ」と迫られて相談に来る。 皆、ヘトヘトだった。 なぜか、他の病院の療養病床に入院しているのに、相談に来る家族も多かった。 不思議に思った。 同じような療養病床がある病院をまわった。 どこでも言われたのが「療養病床は180日で次へ転院」。 いろいろな院長に180日問題を聞いた。 「急性期を空けるため」であった。 いろいろな事務長に180日問題を聞いた。

          MSW3年目の思い出(終の棲家)

          MSW2年目の思い出(資格取得の効果検証)

          2次救急輪番や夜勤の交代要員など、積極的に当直を引き受けた。 そうすることで、次の日は休みとなる。 師匠の仕事に付いていくことには、何も言われない。 医事課の先輩や同僚からは、次第に、医療ソーシャルワーカーの兼務を応援してくれるようになっていた。 診療報酬請求事務能力試験に合格すると、基本給が上がる制度があった。 何度目かの試験で合格したら、医事課の職員も勉強するようになり、合格者が増えてきた。 診療報酬の基本的な考え方や、療養担当規則なども学べるので、医療ソーシャ

          MSW2年目の思い出(資格取得の効果検証)