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2024年3月11日

この日は東日本大震災から13年。

石巻の父方の従兄の息子くんの誕生日でもあり、20歳を迎えた。

そして、私は…地元の海老名総合病院に入院していた。

なぜなら実は、3月6日に…

糖尿病性ケトアシドーシスを起こして救急車に運ばれ、緊急入院となったのである。


糖尿病性ケトアシドーシスとは…↓

インスリンが不足した状態では、脂肪の分解が高まり、最後に「ケトン体」という物質になります。このケトン体が著しく高くなり、血液が酸性に傾き、ケトアシド-シスと呼ばれる状態になります。ケトアシドーシスは1型糖尿病で主にみられ、糖尿病発症時やインスリン注射を中断したとき、あるいは感染症や外傷などによって極端にインスリンの必要性が増加したときに起こります。
2型糖尿病でも同じように感染症や外傷などの強いストレスがあったとき、また清涼飲料水を多量に飲んだとき(清涼飲料水ケトーシス)などでケトアシドーシスを起こすことがあります。ケトアシドーシスでは、口渇、多飲、多尿、体重減少、全身倦怠感などの糖尿病に典型的な症状が急激に起こります。さらに悪化すると、呼吸困難、速くて深い呼吸(クスマウル大呼吸と呼びます)、あるいは悪心、嘔吐、腹痛、意識障害などが起こります。


今年の2月中旬あたりから職場の人に『痩せた?』と聞かれたり、派遣社員として働いていたので営業担当から『元気ないって皆、心配してるよ』と言われたが、正直自覚もなくただただ普通に過ごしていた。

しかし、2月下旬に入ったあたりから…いつも歩く坂道や階段がしんどくなり始め、3月に入った途端に食欲がなくなって嘔吐を繰り返すようになり、体調を崩した。
近所の2つのクリニックを受診したが、診てもらって薬をもらうだけで回復の見込みが立たなかった。

そして、3月6日。
歩くのもままならず、息苦しさに限界を感じ耐えられなくなり…母に救急車を呼んでもらうようにお願いし、地元の海老名総合病院の救命救急センターに運ばれた。

搬送当時、血糖値が『1091』でHbA1cが『13.2』で…
身長164cmに対して体重がえらく減って52kgと後日知り、信じられないくらいに驚いてしまった。

入院した6日の夜中に2回ほど嘔吐した。
3日間ずっとベッドの上だったので、お尻が痛かった。

7日の朝、救命病棟の医師達が何人か私のところに来て…私自身の病状の説明を受けた。

糖尿病性ケトアシドーシスを起こした事で、糖尿病の疑いがあると。
奇跡的にも海老名総合病院には糖尿病内科があり…その診療科を担当している医師に診てもらう事になり、しばらく救命病棟で過ごす事になった。

そして、改めて主治医となった糖尿病内科の先生と初めてご挨拶した。
先生によると『年齢的にまだ若く、1型糖尿病か2型糖尿病かはまだハッキリ判らない』との事だった。

その時点で糖尿病でも1型と2型がある事を初めて知った。

父と母方の伯父が2型糖尿病なので、私ももしかしたらそれなのかなと思い込んでいた。

その日の夕方から食事が始まったものの…最初は少ししか食べれなかったが、翌日の8日からは白米以外のおかずは完食し、毎食出るほうじ茶や朝食だけ出る牛乳は飲めるようになった。
しばらく食べれなかった事もあり、病院食がとても美味しく感じた。

そして、東日本大震災から13年が経った
2024年3月11日…


『1型糖尿病』と
先生から直に診断された。


1型糖尿病とは↓
1型糖尿病は、膵臓のインスリンを出す細胞(β細胞:べーたさいぼう)が、壊されてしまう病気です。β細胞からインスリンがほとんど出なくなることが多く、1型糖尿病と診断されたら、治療にインスリン製剤を使います。
世界的には糖尿病全体の約5%が1型糖尿病と言われています。若い方を中心に幅広い年齢で発症し、生活習慣が関わる2型糖尿病とは、原因、治療が大きく異なります。


率直に言うと正直驚いた。
先生から『稀で特殊です』と言われた。

そして毎食前にはノボラピッド、夕食前はトレシーバを加えての2種類を打たなければならなくなった。
どうしても具合悪くてダメな日は『トレシーバ』だけは必ず打ってくださいと強く言われた。

その後、救命病棟から一般病棟へ移る事になった。
2日前から管が全て取れて自分の足で歩き始めたので、何とか歩けるようになっていた。

一般病棟へ移った病室の番号が『311』
運命的なのかただの偶然なのか…未だにわからない。


低血糖を起こした時のために必ずブドウ糖は携帯してくださいと言われたので、後日看護アシスタントさんと一緒に病院内のコンビニへ行きブドウ糖を1袋だけ購入した。

一般病棟に移ってからすぐCT検査に向かった。
お昼近くになり検査を受け終え、病室に戻った。
遅めのお昼ご飯を食べたが、相変わらず白米だけ残した。

14時を過ぎると母が面会に来た。

そして、14時46分…黙祷。


黙祷を終えた直後、父の故郷である宮城県石巻市、たかたのゆめちゃんの街・岩手県陸前高田市を思い出したのか…涙が止まらなかった。


今年の3月11日は私にとって、忘れられない出来事になった。


ちなみに…
現在は4月2日から社会復帰し、職場も変わった。
外国の方が多く、自分が1型糖尿病になった事を話した。
ある外国の方から私の姿を見て『痩せても糖尿病になるんですか⁉︎』と聞かれた事がある。
恐らく…1型糖尿病よりも、2型糖尿病の印象が強いと感じた。
『痩せても糖尿病になるんですよ…』と答えるしかなかった。

毎食前にインスリンを打ち、幸いにも私には好き嫌いがなかったので野菜→たんぱく質(肉、魚、豆腐、納豆など)→炭水化物(白米、全粒粉のパン、お餅など)の順番に摂るよう心がけている。
お菓子はロカボのクッキーとチョコにしているが…食べすぎは良くないので、バランスを見て判断。

そして、血糖値が70以下になると低血糖になってしまうので常にブドウ糖を携帯している。

1型糖尿病とうまく付き合っていかなければいけないが、無理せず前向きに顔晴る。

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