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カミングアウト 「知る」とは

「無知の知」とは、「自分が無知であることを自覚すること」であり、ソクラテスは無知を自覚しているひとが一番賢い、と解釈したそうな。では、「知る」とは一体、どういうことだろう?

最近、自分の身近なひとが、性的マイノリティであることをカミングアウトした。

わたしは学生のころから、ジェンダーやセクシュアリティのことに関心があった。関連する本を読んだり、映画などの作品に触れたり、日ごろからたくさん情報収集してた。自分はそういうことに関してはよく知っている方だと、自分で思っていた。

でも、そのひとのカミングアウトをきっかけに、自分はなんにも分かっていないことに気づいた。だって、こんなにも身近なひとが悩んでいたことに、ずっと気づけずにいたのだから。

むしろ、本や作品やネットの情報を知っているだけで「分かった」つもりになっていた、「優れた人間」になった気になっていた自分のことを、心の底から恥ずかしく思った。

グッド・ウィル・ハンティングという映画で、カウンセラーが孤児の主人公に対して、「『孤児の君が経験した苦しみはよくわかる。オリバーツイストを読んだからね。』もしこう言われたらどう思う?君はたくさん本を読んで多くの知識をもっているけど、実際には何もわかっちゃいない」みたいなことを言う台詞がある。

まさにこの言葉を自分に突き付けられた気分だった。たくさん本や作品に触れ知識をもっていても、それはだけでは、本当に「知っている」ことにはならない。もちろん、そうやって情報収集することも大事なことだけれど、実際に当事者の声を聞き、経験し、自分の頭で考え、自らアクションを起こして初めて、本当の意味で「知る」ことができるのだと思う。

何事も、まずは知ること、つまり外から情報を取り入れることから始まる。その次に、何を考え、どう行動するか。今回の件を通してわたしは、「行動する」ところに重きを置きたいと感じた。

最後に、わたしが大事にしている言葉をふたつ紹介する。


「考えるだけで行動しない人は、何も考えてない人と同じだ」

「考えが言葉となり、言葉が行動となり、行動が習慣となり、習慣が人格となり、人格が運命となる」


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