お礼に行ってきた話
前回、不思議体験のお話を書かせていただきました。読んでくださった方は様々な反応をされたのでしょうね。思考することは自由の領域です。引き続き自由に捉えていただければ幸いです。
当初、異なる世界、所謂あちら側の住人が助けてくれたのかな、と思い文に書きました。でもちょっと違っていました。
自宅にて、助けてくれたお二方が伝えに来ました。馬の神様の所には少なくともお三方はいらっしゃるようでした。リーダーは、(という言い方が相応しいかわかりませんが)少し厳格な感じに思っていました。今考えると安易に交流してはいけない面もあったのではないでしょうか。私はこの方だけわかっていました。少女の声の方は猫ちゃんのイメージ、獣の方は茶色くて某住宅会社のキャラクター、スーモみたいな感じです。だから、お魚と、こちらでは獲れたてのじゃがいもを持って行きました。
時間は午後3時過ぎ、4歳次女とお話ししながら行きました。行ってみるとやっぱり木の上にいらっしゃった感じです。次女に「どこにいると思う?」と聞くと指差しで即答。立っていた場のすぐ真ん前を指しました。「そうなの?そこにも?わかるの?」母は思いました。そして言いました。「え?わかるの?」うなづく次女。
お礼をお供えして、二礼二拍手一礼をして、去り際に「良かったらどうぞ」と言って帰りました。リーダーの方が微笑んでいるイメージでした。お礼に行って来たこと、長女にも話すとすんなり納得していました。怖がっていましたからね、あの日の体験。
《追記のお話》
初登場する夫ですが、異世界パニック1日目は午前0時過ぎに帰宅しました。電話で「ちょっと今日色々あったから、帰り道気を付けてね!!」とだけ伝えましたが、内心かなり心配していました‥
次の日の帰宅後「ちょっと出掛けてくるから」「どこに?」「車買ったから取りに行って来る」「!? 何それ?何だそれ?なぜ車を買っている!?」彼の思考が一番異世界レベルだと思い知らされました。
因みに、彼は私のこの類の話には慣れっこで、「今日、馬の神様のところにお供えしてきたよ。ちょっと色々あってね〜‥」一暼しただけでスルーである。こうやって向き合わずにスルーするスキルはある意味現代社会において、正当な価値を要するものではないだろうか。スルーした後、彼はnoteではなく、Facebookで仕事に関連した繋がりを楽しんでいた。夫婦とは、互いの自由を確保し、尊重し合える方が上手く永く続けられるように思う。
私はnote派なのだ。実生活では関わることの出来ない、生きてきた環境も道も年も性格も性別も思考も違う方々と交流できることは、新しい自己の形成に繋がり、輝かしいこと✨に他ならない。違いは楽しい。もちろん自分と似ている方との思いがけない出会いや、魅力的な女の人、一見全然共通項がなさそうな方と、共有できる価値観や嗜好を発見できたときの喜びもまた、大切なのである。
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