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「真理」とは。

「真理」とは。
一体、その先に、何があるのか。


今まで数多くの人が、答えてきた。


・サピエンス全史/ユヴァリノアハラリ

「宗教・国家・経済は”虚構”である。」

「ホモ:サピエンスは、”認知”で発展してきた。」


・スティーブンホーキング

「神は存在しない。今後、AIが人間にとっての恐怖となるだろう。」

「宇宙は神が設計してない。自己創造するのみである。」


・google検索エンジン

「人生、宇宙、すべての答えは「42」」→銀河ヒッチハイクガイドより


・アインシュタイン

「神はサイコロを振らない。」

「一見して人生に何も価値はない。

しかし、一つの意味のないことはありえない」


・二コラテスラ

「あなたが3・6・9という数字の素晴らしさを知れば、宇宙への鍵を手に入れることになるだろう」


・キリスト

「求めよ、さすれば与えられん。」


・仏陀

「”そのまま”を”そのまま”に」


最近では、
ビックバン以前の「別宇宙の痕跡」の発見、

宇宙膨張は方向によって異なる可能性、
ダーウィンの進化論の否定etc...


”大前提”を根本から、覆すニュースが絶えない。


では、一体、「真理」とは。


「全とは一」。”自分”とは、即ち、”世界”である。


全てが有り、全てが無いことで、ある。


まさに、「9」の概念。
「空」と「矛盾」が同位している、パラドックス。


真理はあるけど、ない。

真理を見つけようとする自体が、ナンセンス。
真理を見つけようとするから、見つからない。


無知の知。
だからこそ、みえる「今・ここ」の境地。


あるけどない。
それが、わたしであり、せかい。


説明できない”何か”であり、説明できるもの。

人間の創造を、超越しているものであり、すでに、”ここ”にあるもの。


つまり、そうゆうこと。
考えるのではなく、感じるということ。


きっと、”そこ”に”答え”はあるし、”答え”はない。
すべては、自分であり、世界であるから。


このパラドックスを楽しむために、

きっと、人間は、この3次元を生きているのかもしれない。

だからこそ、”ノリ”で”人間ゲーム”を楽しむこと。


さぁ、「今・ここ」から。
まだまだ、知の探究は、終わらない。


たとえ、それが、意味があり、意味のない旅だとしても。
だって、この”世界”は、”自分”なのですから。

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