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【共感小説】大人女子の友情物語「嫌いじゃない」

※こちら↓のYouTubeで朗読しているオリジナル小説です。


「あーあ、トモキくんが間違えて私の家に来ないかなあ」
 ミキのため息まじりのつぶやきを聞きながら、私はそしゃくしていた生ハムを辛口のスパークリングワインで飲み込んだ。
「トモキくんって、この間のドラマで主演してた、あの?」
「そう。あの超絶イケメン俳優のトモキくんよ」
 ミキはスパークリングワインを飲み干し、今度は赤ワインを頼んだ。しかもデキャンタで。この後来る牛ヒレとフォアグラのステーキが待ちきれないらしい。
 私たちが並んで座るテーブルの前はガラス張りになっていて、夜の銀座コリドー街を見下ろすことができる。2階からだと酒精を伴う人たちの群れがよく見える。
茶髪のウェイターがほうれん草とベーコンのキッシュを運んできた。黄色と緑とピンクの色合いが美しい。運んできた彼にモヒートを頼む。
「そのトモキくんがもし万が一ミキの家に来たら、どうするつもりよ?」
「決まってるじゃない。中に連れ込むわよ。『まあまあ、詳しい話は中で聞きますから』とか何とか言って」
 赤ワインで唇を染めながら、ミキはぐふふと笑う。
「そんなこと言って、あんた彼氏はどうしたのよ?」
 半年ほど前にマッチングアプリで彼氏を見つけたと言っていた。今回はバツイチのベンチャー社長だったか。いやそれはその前だったか?
「ああ、別れた」
 バーニャカウダソースをたっぷりつけたアスパラガスをミキはぼりぼりとかじる。悲壮感はない。それはそうだろう。
「ふうん。ミキにしては続いた方じゃない?」
「やっぱり?そう言ってくれるのはヨーコだけよ!他の友達は『いい加減にちゃんとしなさいよ』とか『そんなんじゃ結婚できないよ』とか説教くさいことばっかりでさあ」
 ミキはメビウスを取り出し、ターコイズブルーの指先で挟んだ。私は近くにあった灰皿を彼女のそばに寄せる。慣れた手つきで火を付け、顔を背けて煙を吐き出す。
 ミキは大学のゼミの友人だ。彼女の第一印象は派手な人。そして仲良くなれなさそう、だった。向こうは向こうで、「こいつ私のこと嫌いそう」と思ったらしいからお互い様だ。
 きらびやかなメイクに明るい髪色、いつでもきれいなネイルのミキと、黒髪にブラウン系のメイクしかしない私は対照的すぎた。ところがいざ同じグループになり、一緒に課題に取り組んでみると不思議なくらい気が合った。見た目は正反対でも、根っこが似ていたのだろう。
 ミキが派手なのは、ファッションの好みのせいではなかった。ぱっちり二重にまん丸の大きな瞳、通った鼻筋、シャープな顎を持つ彼女の整った顔は、アイライナーを引いて少しまぶたに色を載せ、リップを軽く塗るだけでモデル顔負けの華やかさを演出してしまうのだ。男がよく騙されるナチュラルメイクの女より薄化粧の可能性も大いにある。

 おまちかねのステーキがやってきた。薄く切ったフォアグラとヒレ肉を重ね、醤油ベースのソースと絡めて口に運ぶ。ふわふわのフォアグラと赤身の肉肉しさがよく合う。
「ヨーコは知ってると思うけど、私いつも彼氏と長続きしないじゃない?」
 ミキは赤ワインをゴクゴクと飲んだ。顔に赤みが刺す。
「そうね。半年以上続いた話は聞いたことないわ」
「そうなのよ。別にそれに悩んでるわけじゃないけど、めんどくさいからヨーコ以外の友達には新しく彼氏ができたって言わないことにしたの。別れた時にごちゃごちゃ聞かれるのが鬱陶しくて」
「まあ、気持ちはわかるわ」
 ミキは添えられていたニンジンを丸々私の皿に移した。
「ヨーコは何も聞いてこないから楽なんだよね」
「似たようなことが多すぎて、聞く気が失せたのよ」
「うわあ、毒舌!」
 ケラケラ笑いながら、ミキは次のタバコに火を付ける。
「ヨーコは前の彼氏と長かったじゃない。5年だっけ?」
「4年半よ」
 すかさず訂正してしまい、みじめさが滲んだ気がした。
「どっちも大して変わらないわよ。どうやったらそんなに長く付き合えるの?コツとかあるの?」
デキャンタからグラスに赤ワインを注ぐミキの指には、火のついたタバコが挟まったままだ。
「コツなんてないわよ。性格じゃない?」
「元も子もない!」
 タバコに口をつけた後、ミキは大きく切ったヒレ肉とフォアグラを口いっぱいにほおばった。
「ソースついてるよ」と私が指摘すると、ミキは舌を伸ばしてぐるりと唇の周りを舐めた。こういう素の姿を見せれば、変な誤解も減るだろうに。
 ミキはその見た目のせいでとにかく勘違いされやすい。尻軽でパリピで二股三股は当たり前、インスタ依存がひどくていつもキラキラした写真をアップしては「いいね!」をむさぼり、無理して港区のタワマンに住んでいる、というのが私の耳にした噂だ。
 私の知る限り、ミキはたしかに付き合う期間は短いけれど、不誠実なことはしないし、インスタはやっていないし、住んでいるのは港区ではなく中央区だ。しかも趣味は映画と落語鑑賞。映画といっても『全米が泣いた!』とか安い謳い文句で大々的にマーケティングされる作品ではなく、ミニシアターで上映される隠れた名作を好み、落語は幼いころからおじいさんに末廣亭に連れて行ってもらっていたという古参だ。
「死神は、六代目三遊亭圓生師匠のが一番好きなんだよね」とか言っていた気がする。
「ヨーコは最近どうなの?」
 メニューを眺めながらミキが尋ねた。まだ食べる気らしい。
「どうって何が?」
「れ・ん・あ・い」
 ミキはタバコをもみ消しながら、チーズリゾットとハイボールを追加した。
「もう恋愛はいいや。私は仕事に生きるのよ」
 グラスの底のミントの葉を潰しながら、私はそう言った。
「それもありね」
 空になったデキャンタを振りながら、軽く答えるミキがありがたかった。他の友達に同じことを言うと、「きっといい出会いがあるよ」とか「仕事だけなんて、つまらないよ」とか「いい人紹介してあげようか?」とか、的外れなことばかり言ってくる。
 4年半付き合った末に別れたと話した時も、ミキは「そうなんだ。じゃあ今日は朝までコースだね」と笑っただけで、他の友達のように大騒ぎはしなかった。

 2年前に私は会社を辞めてフリーランスのウェブデザイナーとして働き始めた。最初の1年は仕事のことだけを考えていたかった。このスタートダッシュが成功するかどうかで、今後長いキャリアが順調に進むかどうかがかかっていたからだ。
 しかし彼にはそれが我慢できなかった。フリーになると平日や土日の概念がなくなる。やるべきことが終わっていなければ、土日など簡単に潰れてしまう。それが彼には受け入れられなかった。いや、私の「今は仕事を第一に頑張りたい」という気持ちが受け入れられなかったのだ。
 別れた当初は、私の仕事が落ち着いたらヨリを戻せるのではないかという甘い考えもあった。けれど、時間が経って冷静になると、それはあり得ないと気づいた。
付き合って2年ほど経った頃、彼は若手ながら大きなプロジェクトのメンバーに選ばれた。それを誇りに思っていて、「忙しくなるけど、理解して欲しい」と言った。それが嫌だったのではない。頑張ってほしいと思っていたから、会えなくても連絡がなかなか取れなくても文句は言わなかったし、責めることもなかった。それなのに、いざ立場が逆になると彼はかつて相手に要求したものを飲み込めなかった。しかもそのアンフェアさに本人は気付いていない。
 これは、無理だな。
 湯舟につかりながらそう悟った。これがいわゆる「価値観の違い」というやつか、とあんなに悩んだのが嘘のようにあっさり気持ちに整理がついてしまった。

「なんか、いろいろ言っちゃったけどさあ」
 ミキはため息まじりにグラスをカラカラ鳴らす。
「今の私、嫌いじゃないんだよね」
 その言葉とともにメビウスのメンソールの香りが漂い、そういえばあの男もメビウスを吸っていたなと唐突に思い出した。
 私は腕を伸ばしてミキのメビウスを一本引き出し、唇に挟んだ。ミキがライターで火を付けてくれる。久しぶりのタバコ。深く吸い、深く吐き出す。
「わかるよ。嫌いじゃないっていうミキの気持ち、すごくよくわかる」
 人に見せびらかすほどきらびやかな生活じゃない。
 抱え切れないほどの幸せに満ち溢れているわけじゃない。
 ないものを数えればキリがないし、仕事は楽しいばかりじゃないし、自由にやっているがゆえの苦しさもある。
 だけど、嫌いじゃないのだ。この生活が。この生き方が。とても深く息が吸える。それだけで、まあいいかと思えるのだ。
 コリドー街はさきほどよりも人が増えたように見える。足元がおぼつかない人も大口を開けて笑っている人もいる。そんな彼らを、冴えた頭で観察しながらこう思う。
 彼らにも深く息を吸える時があればいい。
 私とミキは長く煙を吐き出して、灰皿にタバコを沈ませた。

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