見出し画像

2021年の総括

 激動の2021年が終わり、2022年がやってきた。
 
 昨年はwebライターとしては3年目、取材記者としては2年目を迎え、記名・無記名合わせてそれなりの本数を書いた1年だった。

 とりわけ昨年を代表する記事となったのは、以下の3本だ。


 記事の解説はさておき。

 仕事でもプライベートでも喜怒哀楽さまざまな事が振りかかり、感情はジェットコースター、理性は彼方へ散り失せ、深淵の入り口でギリギリ踏み止まる日々。
 嗚呼、よく発狂せずに生きてこられた。いや、そもそも30歳まで生きるなんて思っていなかった!

 年明けの出来事ですら、まるで前世の記憶かのよう。それでも記憶やそれに付随する思考は言語化しておかねばなるまい。この手記は私が私の為に残す記録であり、遠い先で必要とする遺書である。

 それじゃあ、はじめようか。


全体の総括Ⅰ―withコロナ時代のコミュニケーション―

 20年に引き続き、21年も仕事はオンラインメイン。上半期までは友人と遊ぶ機会もほぼなく、自宅で孤独を拗らせていた。
 コロナ禍のゴタゴタで同性の友人と軋轢が生まれたのが一昨年のこと。一度ヒビが入ったものを修復する気力もなく、「縁を繋ぎたかったらまた拾いにいけばいい。今は足元に置いておこう」を合言葉に、目の前のやるべき事と向き合っていた。

 とはいえ、途切れる縁があれば新たに繋がる縁もある。今年は同業者の友人・知人が一気に増えた。そのきっかけとなったのが、音声SNS「clubhouse」だ。
 アプリ流行のピークがほんの少し下がり始めた2月、どうにかこうにか招待コードを手に入れて参入。はじめは勝手も分からぬまま乱立するルームへ顔(声)を出し、ライター・編集者・人文学系の人々と挨拶を交わした。

 当時はコロナ禍での孤独感をMAXまで高まらせていた時期。声で直接誰かと繋がれるツールは、寂しさを癒すのにもってこいだった。四六時中、暇さえあれば誰かのルームへ行き、自分でもルームを立て、繋がりを増やしていった。それが続いたのも、ほんの1ヵ月程度だったが。

 春先になるとclubhouseの流行は廃れ、アプリには「自分なりの使い方」を見つけた人のみが残った。言わずもがな、私もそのひとり。夜な夜なくだらない雑談ルームを作り、お決まりの仲良しメンバーと話す。ピーク時に比べて新規の交流は激減したものの、それでもたまに新しい人との出会いもあり、10畳のワンルームから世界が広がる気がした。

 clubhouseに対抗するかの如く登場したのが、Twitterのスペース機能だ。最初は「クラハよりもクローズド感が無くて抵抗が……」と抜かしていたくせに、気が付けばしょっちゅう作業配信をするようになっていた。そうやって「寂しい時にすぐ誰かと繋がれるツール」を手に入れた先で待っていたのは、強烈なコミュニケーション疲れだったわけだが。

 ひとりじゃ寂しいくせに、誰かと常に一緒だとストレスを感じる。そんな面倒くさい性格が災いして、毎日誰かと喋ることに疲れを覚え始めた。それがどれだけ仲の良い人でも、だ。じゃあ喋らなければいいじゃないかと言われるだろう。でも寂しがり屋の元メンヘラは、ついスマホに手を伸ばしてしまう。
 今だってこのnoteを書きながらTwitterのスペースを開いているのだから、救いようがない。実家にいて、話す相手は事足りているはずなのに。完全に依存だ中毒だ。これはよろしくない、と自覚したのは最近になってから。

 それなりに感受性が強い人間にとって、ただの雑談でも他者との会話は感情や気力を持っていかれやすい。MPの回復をしないまま次々と新規ダンジョンに飛び込むのだから、そりゃ疲れたって当たり前。ツールとの付き合い方、オンラインが主流になった今だからこそのコミュニケーションの取り方(自分のコントロール法)について、見直す時が来たようだ。

全体の総括Ⅱ―オンラインが生んだ出会いと成果―

 と、のっけから暗い事を吐き出したが、他者とのコミュニケーションに溺れたからこそ良い事もあった。前述のようにクラハでは同業者や人文学系の研究者の方々とよく交流していたのだが、おかげでライターとしての仕事に広がりが生まれたり、院生としての自分の戒めになったりしたのだ。

 冒頭で掲載した「おじさん構文」の記事。取材協力してくれた松浦光先生とクラハで出会わなければ、この記事を書くことはなかっただろう。

 ライターを始めた時から、「学問をエンタメとして届ける記事を書きたい」とぼんやり考えていた。ただどんなネタでどう書きたいのか、自分でもまったく見えないまま、具体性の無いただの願望でしかなかったのだ。
 一見学問とは何の関係も無さそうなネタを、真面目に面白く学問したい。自分の専門領域でやるなら歴史学だ。でも専門領域だからこそ、下手な事は書けない。

 そうやってうだうだと過ごしていたある日、クラハで松浦先生からこう話を振られた。

「倉本さん、キャバ嬢の頃におじさん構文のメールってやっぱりもらっていたんですか?」

 ちょうど某ラーメン評論家のブログが燃え盛っていた時期。雑談のひとつとして投げかけられた問いをきっかけに、「おじさん構文記事プロジェクト」は動き出した。

 松浦先生とは趣味関係のルームで出会い、趣味仲間としても(分野は違えど)先輩研究者としても親しくしてもらっている。おじさん構文に関する彼の論を聞き、「これは記事にできる。そして私がやりたかったことも叶う」と確信。担当編集者さんに企画書を送り、GOサインが出てからは執筆に励んだ。
 
 実は「真面目に学問する記事」は秋に一度出していたのだが、数字としてはいまひとつな結果に終わっていた。

 こちらの記事は学部時代にお世話になった先生に協力を依頼。先生からは「とてもよく書けているし(私の話を)理解できている」とお褒めの言葉を頂いた。自分自身でも良い記事だと思えてはいる。しかし、数字を求めてしまうのがWEBを主戦場とする者の性。

 リベンジだ! と意気込んだ今回、なんと公開翌日にTwitterのトレンド欄に掲載されるという快挙に。

 Twitterのトレンド欄に載るのは密かに夢だったので、これ以上ないクリスマスプレゼントとなった。もちろん、私だけの成果ではない。協力してくれた松浦光先生、良い記事になるように、注目されるようにと動いてくださった担当編集者さんのおかげだ。
 望んでいた形で、やりたかった事を仕事として成し遂げられた。こんなに嬉しいことはない。

 クラハでよくお話する研究者の方々からも評判は上々で、「新書にできるテーマだ。各分野の研究者を集めて、共同研究で新書にしましょう」とまで言っていただけた。その場のノリもあるだろうし、彼らから見れば学生と同じ私に対するリップサービスもあるだろう。だけどやはり、素直に嬉しいってもんだ。

 おじさん構文だけではトレンド色が強すぎて新書にはできない。最低でも3年は通用する切り口、構成で書籍にできないか。2022年度は私自身が修論を控えているため派手には動けないが、どこかに企画を持っていけるくらいには構想を練りたいと考えている。実現すれば嬉しいな。こういうのは考えている時がいちばんワクワクする。

 それはそうと、Twitterで文字通りバズったことにより、「コツコツ真摯に仕事していれば必ず報われる」と絶対的な自信を持てた。根拠ある自信は生きる上で大事だ。今までの人生でもそれなりに成功体験は多かった。しかしどちらかと言えば、「自ら追い込んだ窮地で火事場の馬鹿力を発揮し、結果的に成功してしまった」パターンが多かったのだ。

 一夜漬けのテスト勉強で学年トップを取るとか、センター試験後の約2ヵ月だけ真面目に勉強して偏差値60越えの大学に受かるとか、3日徹夜で書き上げた卒論で卒業できるとか。

 人が見たら「すげー!」となるだろうし、自分でも「私すげー」となる時はある。が、年を重ねれば重ねるほど、「あれは負の成功体験だ」と捉えるようになった。「本気出せばいける(今までそうだったし)」と胡坐をかいてしまい、ケツに火が付いて燃え盛るまで怠惰を極めるのだ。そして毎回、「もっと前からやっていれば、もっとちゃんとしたモノ(結果)になったのに……」と後悔するのだから、学習しないアホである。
 
 要するに、ADHD特有の(グレーゾーンだが)先延ばし癖と過集中の特性が合わさった結果、なんとかなってきてしまったわけだ。コツコツ積み上げた努力で正当な評価を受けた経験に乏しい人生。だからこそ「コツコツ努力できる人間になる」を人生の目標として掲げているのだが、おじさん構文の記事はその努力が認められた結果でもあった。

 だってすげぇ読んだもん論文。松浦先生が「記事を書くならこれは必読」ってたくさん論文を送ってくれたから。

 一般(マス)に向けて学術的な内容を分かりやすく書く。そのためには書き手がまず理解しなければいけない。幸い、ポンコツ底辺院生といえど、論文を読んで理解してアウトプットする力は少しだけある。むしろそれは当たり前の能力だと思っていたが、どうも違うらしい。気付かされたのは担当編集者さんとの会話だ。

ここから先は

1,797字

¥ 100

この記事が参加している募集

スキしてみて

振り返りnote

おもしろいと思ったらサポートよろしくお願いします。サポートは書籍購入に使わせていただきます。