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#183 「余暇」の威力 ーー消費主義との付き合いかたについての雑記

 「消費主義(消費資本主義)」について、ずっと考えてしまうのです。きっかけは、#177の記事を書いてから。

 この記事の最後に、わたしの実家付近にあった大型スーパーが、イオン傘下になる等の変遷を経て、ついには閉店するという話を書きました。母によると、そこには斎場と老人ホームができるということで、そのあまりの露骨さに苦笑しました。

 その出来事のみを見つめれば、経済的合理性としか言いようがないのでしょうが、かつて開かれた街が「老人だらけになったので〆ます」という風になってしまうというのは、道徳的な何かを欠いているような気がします。(とはいえ、責める相手もいませんが…わたし自身も首都圏に出てきた身ですしね…)

 道徳的な何か。何かって、なんだろう?と考えてみましたが、それはおそらく「ふるさと」なのです。しかし、上記の記事には、富山市の「コンパクトシティ政策」が失敗であったことも書きました。地方都市には自然と「ふるさと」があるのだろうという想像は、現代においては通用しないでしょう。この話は、また機会があれば書いてみたいと思います。

 さて、わたしの話です。#181(すみません🙇有料記事です)では、買い物依存に陥った自身の行動を表すものとして、「代償的消費主義」という言葉がとてもしっくりくる、という話を書きました。労働で埋め尽くされた数少ない持ち時間の中で、楽しむことができるのは消費の快楽のみ(に、陥れることで回っている社会構造)という意味です。実際に、つまらない仕事、壊れ続けるメンタルと動かない身体、そうしたことへの代償として、毎日せっせとAmazonで「何か」を買い漁っていました。

 いま、わたしは休職中のため、毎日がお休みです。療養が目的とはいえ、ある意味では十分な余暇がある状態と言えます。そこで、わたしの「代償的消費主義」は、どうなったと思いますか?まだお給料は出ているので、多少ならば「使おうと思えば使えてしまうお金」を持っています。

 あ、これは違います!(え?)趣味のジャンルで、しかもわたしの守備範囲にある価格帯での、超お買い得品だったもので、なまじその良さを知っているために買ったものでございまして、決して「代償的」に購入した訳ではありませぬ!(セールは4月末まで!まだ在庫ありますよ!)

 話を戻しますね。正直なところ、心身の不調はありますが、アイデンティティの根幹という意味での「こころ」は、むしろ豊かな気がしています。散歩がてらに家電量販店に立ち寄ったり、暇つぶしにAmazonのタイムセールを覗いてみたりはしていますが、以前のような「買わなきゃ!」という気持ちが湧きません。

 そのことが不思議で、むしろ積極的に「次に買うべき何か」を探してみたのですが、今のわたしは基本的に、「買うこと自体が面倒くさい」と思っていることに気がつきました。(自称ガジェットオタクの看板が傾いていますね笑)

 だって、ガジェット関連のお買い物って、物欲が連鎖するじゃないですか。何かを買ったら、どこに置くかとか、どう使うかとかを考えるうちに、付随していろんなモノを買ってしまう。どうやらそういうことが面倒らしいぞと。家電店を散歩しながら内観した結果、そうした当たり前の境地に至りました。

 もちろん、その時が来たらスマホを買い替えたり、また素敵なイヤホンがあれば買ったりするとは思いますよ。でも、そのこと自体を希望にして労働する必要がない訳で、急ぐ理由が全くない。壊れてから買えば良いじゃんとか、そういう普通の感覚が、芽生え始めている気がします。

 服や靴やバッグなんかも同じですね。そろそろ衣替えの時期がやって来ますが、捨てる服こそあれ、新たに買うものは無いと思います。

 それでは、毎日のようにドトールに行って、サイゼリヤでランチを食べる。これは「代償的消費」の対象が、外食という贅沢を謳歌することに移ったのではないか?とも考えてみましたが、全然違うと思います。用事がなくても外に出る(日光を浴びる、歩く)理由になっているだけですね。

 今のわたしは、すぐに疲れてしまうし、刺激を受けすぎると身体がこわばり、脳が暴れて眠れなくなります。そのため、ごく近所にしかお出かけしません。趣味はあっても、それを楽しむ体力があるときにしか触れられません。一日の半分を寝て過ごすことなど、ざらにあります。

 しかしいま、とても豊かさを感じています。自分をゆっくり見つめる時間があるからかもしれません。こうした「余暇」って、万人に必要なのではないか?とすら思い始めています。

 「働き方改革」も「ワークライフバランス」も、賃労働と家事労働を両立させましょう、というだけで、結局は労働づくめなのです。余暇とは違います。単に時間があるということだけなのに、とてもクリエイティブな気分だったり、優しい気持ちになれる余裕のある時間、それが余暇の威力で、明らかにわたしの暮らしを変化させていると思います。

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