批評 東京はるかに

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AI To 集まる:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『セイ』評

・AIに面白い戯曲は書けない ChatGPTに代表される生成(せいせい)系AIが普及した今日では、AIが産みだした作品をどのように評価するかがしばしば問題にされます。  AIを利用した作品が2022年の星新一賞を受賞したニュースは記憶に新しいところです。アメリカでは月刊誌クラークスワールド・マガジンの投稿募集がAIによる作品の急増でパンクして話題になりました。作家という仕事をAIが奪ってしまう時代が現実になりつつあるのかもしれません[*1]。  一方で、演劇にはAIの猛威が

    • スペースノットブランク『ストリート』(2022)評

      この文章は、小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクが2022年10月に大阪各地の路上で上演した歩行の身振りを基軸とするダンス作品『ストリート』について書かれたものです。独立した記事として書かれてはいますが、以前の『ストリート』について書かれた評の続編となっていて、論点の重複はなるべく控えていますので、まずはそちらに目を通していただくことをおすすめいたします。 ・ストリート④ 別の空間性  『ストリート』は奇妙な経緯をたどっています。スペースノットブランクはその名の通りス

      • 舞台よ物体であれ:スペースノットブランク『本人たち』『オブジェクト(ワークインプログレス)』評

        保存記録の動機  今回スペースノットブランクが上演した『本人たち』についてわたしが言葉を紡ぐのは、これで2回目になります。公演直前に「イントロダクション」を執筆し、公開しているからです。そこでは保存記録としてのこれまでの仕事を振り返りつつ、この曖昧な役職に意義があるとしたらそれはなにであるのか、思うところを述べました。  しかし実のところ、やはりこれは奇妙な仕事です。お客さんへの導入文を書きながら、作品の批評さえしてしまうというのは、どういうわけなのでしょうか。作家から直接

        • 1. 舞台は水族館か? 2. 数えられてもダンスか? 3. 舞台はどこに行ったのか? 4. 見えないものがすべてなのか?:スペースノットブランク『ストリート リプレイ ミュージック バランス』評

           舞台は水族館か? と問うてみればふつう答えはNOに決まっています。舞台は水族館ではありません。逆に、水族館は舞台か? という問いは一考に値するでしょう。  それでは、なぜわたしはこんな問いから書き始めてしまったのでしょうか。答えはもちろん、スペースノットブランクの舞台『ストリート リプレイ ミュージック バランス』が水族館だからです。  まず確認しておかなければならないのは、この『ストンス』にはすでに二つの批評が書かれているということです。 ①佐々木敦「知覚の限定と振り付

        AI To 集まる:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『セイ』評

        • スペースノットブランク『ストリート』(2022)評

        • 舞台よ物体であれ:スペースノットブランク『本人たち』『オブジェクト(ワークインプログレス)』評

        • 1. 舞台は水族館か? 2. 数えられてもダンスか? 3. 舞台はどこに行ったのか? 4. 見えないものがすべてなのか?:スペースノットブランク『ストリート リプレイ ミュージック バランス』評

          舞台の勉強会 開催のお知らせ

          東京はるかにという団体を主宰しております、植村朔也と申します。普段は批評家として活動しております。スペースノットブランクという団体での保存記録業を中心に、日々舞台について考えてばかりいます。 舞台についての考え方をより広げていくための勉強会を開催したいと考えています。月一冊のペースで、みんなで本を読んでいきます。 ただし、いわゆる演劇論のテクストを読むのではなくて、演劇論ではないけど演劇論として読むポテンシャルのあるようなテクストを読むことで、舞台について、あたらしい見方を

          舞台の勉強会 開催のお知らせ

          高校生と創る演劇2021『ミライハ』評

          荒々しく、ダイナミックな詩法では、無限の動詞が欠かせないだろう。動詞がなければ言語は動きださない。しかしそれには限界があってはならない。動詞が無限に動きだすことは、これまでのセンテンスの存在を否定するからである。彼は動詞に自動車の車輪のような動きを想像しているようである。アナロジーとしてその円環はスピードをあらわすのだ。 ――多木浩二『未来派: 百年後を羨望した芸術家たち』(p. 62) ・ミライハ  松原俊太郎さん作、スペースノットブランク(小野彩加さん・中澤陽さん)演出

          高校生と創る演劇2021『ミライハ』評

          迷宮としてのテクスト:スペースノットブランク『クローズド・サークル』評

          ・『共有するビヘイビア』  2021年11月に上演されたスペースノットブランクの『クローズド・サークル』は、『共有するビヘイビア』(以下、『ビヘイビア』)という題の一連の作品を土台としています。『ビヘイビア』は2018年1月にd-倉庫の「ダンスがみたい!新人シリーズ16」で、2019年1月に早稲田小劇場どらま館での「どらま館ショーケース2019」で上演されており、わたしは後者を鑑賞しました。  小野彩加さん、古賀友樹さん、中澤陽さんが独特なリズムでおおむねダンスについての会話

          迷宮としてのテクスト:スペースノットブランク『クローズド・サークル』評

          装われるキャラクタ:スペースノットブランク『ウエア』(再演)評

          ・キズナアイさんの分裂 2022年2月26日、バーチャルYouTuber[*1]のキズナアイさんは無期限のスリープ期間、すなわち活動休止期間に入りました。「世界中のみんなとつながりたい」をスローガンにYouTube上でいくつもの動画コンテンツを配信していたキズナアイさんですが、スリープ状態への移行はこのスローガンの限界を意味してもいました。  キズナアイさんはユリイカ2018年07月号の巻頭インタビューで、ホリエモンさんとのコラボ動画に多くの非難の声が寄せられたことについて「

          装われるキャラクタ:スペースノットブランク『ウエア』(再演)評

          反モニュメント:ルサンチカ『GOOD WAR』評

          ・モニュメント  2022年に大阪・東京で再演が予定されていたルサンチカ『GOOD WAR』(初演:2021年2月)はコロナの感染状況拡大の煽りを受けて、サウンド・インスタレーションの形式で発表されました。わたしが鑑賞したのは北千住BUoYで上演された東京公演です。  上演テキストは「あの日と争い」という抽象的なキーワードをめぐる一般人へのインタヴューを文字に起こし編集したものです。そのテクストを読み上げる、空間のあちこちから響き渡る俳優の声に、ひとり、じっと耳を傾け、言葉を

          反モニュメント:ルサンチカ『GOOD WAR』評

          スペースノットブランク『サイクル』&『ストリート』評(2022.04.10 追記)

           スペースノットブランクは小野彩加さんと中澤陽さんが舞台作品を上演するためのコレクティブです。2021年9月上旬、スペースノットブランクは2つのダンス作品を上演しています。ひとつは、小野さんが標本空間vol.1「無選別標本集」で発表した『サイクル(ワークインプログレス)』(中澤さんは同作に大きく関与してはいません)。もうひとつは、富士見市民文化会館 キラリふじみで上演された『ストリート』です。 ・サイクル① 展示  『サイクル』は展示と上演の2形態で発表されました。北千住B

          スペースノットブランク『サイクル』&『ストリート』評(2022.04.10 追記)

          シアターの心霊に:『舞台らしきモニュメント』評

          ・「無人島へ家出」  2021年9月9-12日に祖師ヶ谷大蔵のカフェムリウイで上演されたスペースノットブランク『舞台らしきモニュメント』の上演テキストは、A・A’・A’’・B・B'・B’’の6セクションから成っています。それぞれのセクションのつながりは明瞭ではなく、そもそも各セクションの内容自体支離滅裂といってよい代物です。さらにいえば、上演にかけられる順序もテキスト上の並びに即してはいません。舞台はA''→A→B’→B→A’&B''、という風に進行するのです。この奇妙なテキ

          シアターの心霊に:『舞台らしきモニュメント』評

          スペースノットブランク「舞台三部作」評

          ・舞台  小劇場によくある、低い、ともすると観客席と同じ高さのステージ。それは、目の前の俳優と観客とが同じ空間を占めている、ということでもあるし、物語が現実と距離を近づけて、水平に伸びて行けるということでもあります。客席とステージの一体感、現実とフィクションの融和。  しかしここには一つの逆説があります。フィクションがフィクションであるのは、あくまで現実との差異、現実に対するある種の目に見えない「高さ」のためであるはずだからです。  人々の集合性や、虚と実の横断・融合は今日多

          スペースノットブランク「舞台三部作」評

          「弱いい派」は「かわいい派」か

          ・”弱い”って何だろうね  2021年7月、芸劇eyes番外編 vol.3『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』 が東京芸術劇場シアターイーストで開催されました。徳永京子さんが提唱した「弱いい派」の概念をめぐるショーケース公演です。  ところで、「弱いい派」という言葉には、それを代表する存在として選ばれた作家自身からも疑問の声が上がっています。以下に引用するのは、いいへんじを主宰する中島梓織さんのインタビューです。 ── “弱いい派”と言われることは、どう

          「弱いい派」は「かわいい派」か

          時間との戦いはなぜ戦われたか:スペースノットブランク『ささやかなさ』評

          ・別の音が鳴っている  まず、最も基本的な事柄について確認することにしましょう。演劇が「いま・ここ性」を獲得するのは、人々がいま・ここの外に到達した時にいつも限られている、という逆説についてです。この目的への緊張を欠いて「いま・ここ性」を称揚する態度は常に安易な現状肯定へと堕するでしょう。あるいは単なる現在地・現在時刻の確認に歓喜する狂態にすぎないでしょう。  かくして、物語の魅力と観客の想像力によって目の前の現実から飛び立つ装置としてのフィクションが舞台上に要請されることに

          時間との戦いはなぜ戦われたか:スペースノットブランク『ささやかなさ』評

          スペースノットブランク「劇場三部作」③ 救世主の劇場評

          ・呆然  スペースノットブランク『救世主の劇場』は2021年3月21日にかながわ短編演劇アワード2021で上演されました。同コンペティションは感染症対策の都合上無観客開催で、一般の観客は動画配信でしか視聴できませんでしたが、わたしは保存記録という役職上これを現地で鑑賞することができました。  2019年の『共有するビヘイビア』を観て以来ほとんどのスペースノットブランクの上演を鑑賞し、2020年からは保存記録として稽古場への見学も許されるという特権的な観客として同団体を追いかけ

          スペースノットブランク「劇場三部作」③ 救世主の劇場評

          スペースノットブランク「劇場三部作」② バランス評

          ・ダンス未然(≠未満)のダンス スペースノットブランク『バランス』は2021年3月に京都芸術センター講堂ならびに吉祥寺シアターで上演されました。出演者は荒木知佳さんと立山澄さん。わたしは同作品に保存記録としてクレジットされていますが、以下の批評はあくまでひとりの観客の位置に終始して書かれたものです。  スペースノットブランクが作品に寄せたステートメントは次のようなものです。 「舞台芸術に成る以前のダンスを考察する」という主題を基に『フィジカル・カタルシス』を作り続けているス

          スペースノットブランク「劇場三部作」② バランス評