批評 東京はるかに

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    最近の記事

    舞台の勉強会 開催のお知らせ

    東京はるかにという団体を主宰しております、植村朔也と申します。普段は批評家として活動しております。スペースノットブランクという団体での保存記録業を中心に、日々舞台について考えてばかりいます。 舞台についての考え方をより広げていくための勉強会を開催したいと考えています。月一冊のペースで、みんなで本を読んでいきます。 ただし、いわゆる演劇論のテクストを読むのではなくて、演劇論ではないけど演劇論として読むポテンシャルのあるようなテクストを読むことで、舞台について、あたらしい見方を

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      • 高校生と創る演劇2021『ミライハ』評

        荒々しく、ダイナミックな詩法では、無限の動詞が欠かせないだろう。動詞がなければ言語は動きださない。しかしそれには限界があってはならない。動詞が無限に動きだすことは、これまでのセンテンスの存在を否定するからである。彼は動詞に自動車の車輪のような動きを想像しているようである。アナロジーとしてその円環はスピードをあらわすのだ。 ――多木浩二『未来派: 百年後を羨望した芸術家たち』(p. 62) ・ミライハ  松原俊太郎さん作、スペースノットブランク(小野彩加さん・中澤陽さん)演出

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        • 迷宮としてのテクスト:スペースノットブランク『クローズド・サークル』評

          ・『共有するビヘイビア』  2021年11月に上演されたスペースノットブランクの『クローズド・サークル』は、『共有するビヘイビア』(以下、『ビヘイビア』)という題の一連の作品を土台としています。『ビヘイビア』は2018年1月にd-倉庫の「ダンスがみたい!新人シリーズ16」で、2019年1月に早稲田小劇場どらま館での「どらま館ショーケース2019」で上演されており、わたしは後者を鑑賞しました。  小野彩加さん、古賀友樹さん、中澤陽さんが独特なリズムでおおむねダンスについての会話

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          • 装われるキャラクタ:スペースノットブランク『ウエア』(再演)評

            ・キズナアイさんの分裂 2022年2月26日、バーチャルYouTuber[*1]のキズナアイさんは無期限のスリープ期間、すなわち活動休止期間に入りました。「世界中のみんなとつながりたい」をスローガンにYouTube上でいくつもの動画コンテンツを配信していたキズナアイさんですが、スリープ状態への移行はこのスローガンの限界を意味してもいました。  キズナアイさんはユリイカ2018年07月号の巻頭インタビューで、ホリエモンさんとのコラボ動画に多くの非難の声が寄せられたことについて「

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            • 反モニュメント:ルサンチカ『GOOD WAR』評

              ・モニュメント  2022年に大阪・東京で再演が予定されていたルサンチカ『GOOD WAR』(初演:2021年2月)はコロナの感染状況拡大の煽りを受けて、サウンド・インスタレーションの形式で発表されました。わたしが鑑賞したのは北千住BUoYで上演された東京公演です。  上演テキストは「あの日と争い」という抽象的なキーワードをめぐる一般人へのインタヴューを文字に起こし編集したものです。そのテクストを読み上げる、空間のあちこちから響き渡る俳優の声に、ひとり、じっと耳を傾け、言葉を

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              • スペースノットブランク『サイクル』&『ストリート』評(2022.04.10 追記)

                 スペースノットブランクは小野彩加さんと中澤陽さんが舞台作品を上演するためのコレクティブです。2021年9月上旬、スペースノットブランクは2つのダンス作品を上演しています。ひとつは、小野さんが標本空間vol.1「無選別標本集」で発表した『サイクル(ワークインプログレス)』(中澤さんは同作に大きく関与してはいません)。もうひとつは、富士見市民文化会館 キラリふじみで上演された『ストリート』です。 ・サイクル① 展示  『サイクル』は展示と上演の2形態で発表されました。北千住B

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                • シアターの心霊に:『舞台らしきモニュメント』評

                  ・「無人島へ家出」  2021年9月9-12日に祖師ヶ谷大蔵のカフェムリウイで上演されたスペースノットブランク『舞台らしきモニュメント』の上演テキストは、A・A’・A’’・B・B'・B’’の6セクションから成っています。それぞれのセクションのつながりは明瞭ではなく、そもそも各セクションの内容自体支離滅裂といってよい代物です。さらにいえば、上演にかけられる順序もテキスト上の並びに即してはいません。舞台はA''→A→B’→B→A’&B''、という風に進行するのです。この奇妙なテキ

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                  • スペースノットブランク「舞台三部作」評

                    ・舞台  小劇場によくある、低い、ともすると観客席と同じ高さのステージ。それは、目の前の俳優と観客とが同じ空間を占めている、ということでもあるし、物語が現実と距離を近づけて、水平に伸びて行けるということでもあります。客席とステージの一体感、現実とフィクションの融和。  しかしここには一つの逆説があります。フィクションがフィクションであるのは、あくまで現実との差異、現実に対するある種の目に見えない「高さ」のためであるはずだからです。  人々の集合性や、虚と実の横断・融合は今日多

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                    • 「弱いい派」は「かわいい派」か

                      ・”弱い”って何だろうね  2021年7月、芸劇eyes番外編 vol.3『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』 が東京芸術劇場シアターイーストで開催されました。徳永京子さんが提唱した「弱いい派」の概念をめぐるショーケース公演です。  ところで、「弱いい派」という言葉には、それを代表する存在として選ばれた作家自身からも疑問の声が上がっています。以下に引用するのは、いいへんじを主宰する中島梓織さんのインタビューです。 ── “弱いい派”と言われることは、どう

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                      • 時間との戦いはなぜ戦われたか:スペースノットブランク『ささやかなさ』評

                        ・別の音が鳴っている  まず、最も基本的な事柄について確認することにしましょう。演劇が「いま・ここ性」を獲得するのは、人々がいま・ここの外に到達した時にいつも限られている、という逆説についてです。この目的への緊張を欠いて「いま・ここ性」を称揚する態度は常に安易な現状肯定へと堕するでしょう。あるいは単なる現在地・現在時刻の確認に歓喜する狂態にすぎないでしょう。  かくして、物語の魅力と観客の想像力によって目の前の現実から飛び立つ装置としてのフィクションが舞台上に要請されることに

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                        • スペースノットブランク「劇場三部作」③ 救世主の劇場評

                          ・呆然  スペースノットブランク『救世主の劇場』は2021年3月21日にかながわ短編演劇アワード2021で上演されました。同コンペティションは感染症対策の都合上無観客開催で、一般の観客は動画配信でしか視聴できませんでしたが、わたしは保存記録という役職上これを現地で鑑賞することができました。  2019年の『共有するビヘイビア』を観て以来ほとんどのスペースノットブランクの上演を鑑賞し、2020年からは保存記録として稽古場への見学も許されるという特権的な観客として同団体を追いかけ

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                          • スペースノットブランク「劇場三部作」② バランス評

                            ・ダンス未然(≠未満)のダンス スペースノットブランク『バランス』は2021年3月に京都芸術センター講堂ならびに吉祥寺シアターで上演されました。出演者は荒木知佳さんと立山澄さん。わたしは同作品に保存記録としてクレジットされていますが、以下の批評はあくまでひとりの観客の位置に終始して書かれたものです。  スペースノットブランクが作品に寄せたステートメントは次のようなものです。 「舞台芸術に成る以前のダンスを考察する」という主題を基に『フィジカル・カタルシス』を作り続けているス

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                            • スペースノットブランク「劇場三部作」① 光の中のアリス評

                              ・劇場三部作とは何か  2020年12月のスペースノットブランク『光の中のアリス』、それから2021年3月の『バランス』と『救世主の劇場』のことを「劇場三部作」とまとめることができると思います。これは「舞台」というものそれ自体についてのフォーマリスティックな思考を中心に構成された彼らの「舞台三部作」(『舞台らしき舞台されど舞台』『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』『すべては原子で満満ちている』)に倣ったものです。  「劇場三部作」の特徴は劇場そのものの作品への自覚的な取り込みにあり

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                              • スペースノットブランクのワークショップ「身体の経験を交差する」評

                                ・ワークショップの良さは問われなくてはならない  必ずしも完成を目指さない手探りのもの、作品が立ち上がるプロセスやその偶然性、作品と観客の相互作用を重視し、むしろ未来の可能性に開かれている状態を大切にすること――このような姿勢は今日の芸術全般においてしばしば見受けられます。  しかし美術批評家のクレア・ビショップは、そのような作品は手放しに誉めることはできないとしています。その理由は次のようなものです。 ①失敗している作品と、意図的にワーク・イン・プログレスの状態に置かれて

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                                • 感想 2021/03/01 池袋ミカド劇場

                                   劇場はほんのりと暗く、中央ショースペースを挟んだ両隣の席はかなりが埋まっていました。客層としては中高年男性ばかりで、若い女は自分ひとり。おそらくそれ故にけっこう客と目が合ったのですが、女性客も普段はそれなりに居るのだそう。  池袋ミカド劇場にて、先輩とストリップを観に来ました。ストリッパーといえば、それまで『closer』内でナタリー・ポートマン演じる赤毛のアリスのイメージが強く、クラブ内でのポールダンスに近いものをイメージしていたのですが、わたしたちの行ったそれは完全なる

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                                  • 殺しの美学と裸体について:茶道、歌舞伎、ストリップ

                                    ・歌舞伎の殺しはなぜ美しいのか 西村清和さんの論考「殺しの美学」(『フィクションの美学』所収)は陰惨で苦しみや不快感を与えるはずの殺しの情景が歌舞伎においてはなぜ美しいのかという逆説的問題を扱うものです。西村さんは坪内逍遥の「徹底的遊戯性」概念に着目します。  歌舞伎は踊り手の容色や扇情的な身振りに主眼を置く女歌舞伎や遊女歌舞伎、若衆歌舞伎に出発しました。その後、幕府の禁止を受けて、筋書きのある多幕物の「続き狂言」が成立しますが、歌舞伎は一場の放狂言と、かぶきものの太夫の妖艶

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