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したたかに生きることを、どれくらい伝えていけばいい?

高校で吹奏楽部に入ったとき、担当楽器を決めるためのオーディションのようなものがあった。

音楽室に全ての楽器が並べられ、新入生たちはひとつひとつ手に取り、音を鳴らしていく。

顧問、そして外部アドバイザー的な存在であるプロの奏者が立会い、新入生たちの適性を判断する。新入生は、事前に、たしか3つ程度、希望の楽器を伝えることができるが、決定権は彼らにはなく、全て顧問とプロの音楽家の判断に委ねられる。

ついに私の番が来た。
希望の楽器は、中学のときも担当していたトロンボーン。ひょろ長い形と、スライドで作り出すユーモラスな音が、他のどの楽器よりも、私らしいと感じていた。

順番に楽器を試す。木管から金管へ。低音から高音へ。どれも音は鳴らすことができた。

トロンボーンの順番が来た。この場では、簡単な音階程度しか吹くことができないが心を込めて音を鳴らした。

顧問、音楽家は表情を変えることもなく、私を見ている。
外はすでに暗く、まだ自分の後に大勢の新入生が控えていることを思うと、気が遠くなった。

次はホルン、そしてトランペット。どちらも手を抜くことなく、音を鳴らして終わりを迎えた。

「ありがとうございました」

と言って始めて、自分がしばらく声を出していなかったことに気づく。そして、その声がかすかに震えていることにも。頭を下げると視界一杯に広がった音楽室の絨毯の赤色を今も覚えている。

「少し待って」

音楽家が呼び止めた。

「歯を見せてくれる?」

どの程度、口を開くべきかわからず、控えめに開いてみせる。

「いい歯並びだ。では、次を呼ぼうか」

そそくさと音楽室を後にし、まだ名前も覚えていない次の順番の生徒に入室を促した。

オーディションを終えると、生徒たちは控え室に集まることになる。
控え室では、何人かの生徒たちが話していた。県南部から進学した私と違って、北部の学生は中学のときから大会や練習会、塾などで顔見知りの生徒も多いようだった。

「私、金管は絶対ムリだと思って、音鳴らさんかった」

つ、と背中を汗がつたうのがわかった。

「お姉ちゃんの代の話なんやけど、楽器選べないけど、音鳴らない楽器に行かされることはないって」

そうか…。その瞬間、猛烈な後悔と怒りで顔が熱く火照るのを感じた。

自分は、せっかく顧問の先生とプロの先生が自分に合う楽器を選んでくれるのだから、自分の好みだけを優先するのではなく、全ての楽器に対して全力で挑まなければならないという気持ちがあった。それでこそ適性がわかるし、そのうえで違う楽器に適性があるのであれば、つらくても諦めなければいけないものだと思っていた。

でも、そんなふうに上からの判断を絶対視しているのは、私だけで、周りはなんとかして自分の意志に沿う結果が出るように、したたかに動いていたんだ。
確かに、いい音を出すのは限界がある。でも、音を出さないことであれば、誰だってできる。

結局、私の担当楽器はトランペットになった。金管楽器の中で最高音を担当するトランペットは、強い圧を小さいマウスピースにかけるため、歯並びによっては唇が傷ついてしまい、演奏を続けることができない。だから、歯並びを見られたのだ。

私の場合は、唇から血が出ることはなかったものの、トランペットで思うような成績を残すことはできなかった。

これを含めて、私がこの部活から学んだことは「したたかに生きる」ことだったのかもしれない。

ただ、この「したたかに生きること」をどこまで是とするかは、いつも難しい問題だと思っている。おおっぴらに是とはいえない。だからこそ、身内など近しい人のみに口伝えされたり、周囲の行動や結果から学んでいくしかないのではないだろうか(それも身内などでない限り内情は見えなかったりする)

だから、私は、できるだけ自分の発信の中に、したたかなライフハック要素を入れていきたいのかもしれない。多分、自分が上手く立ち振る舞えなかったからこそ。

もしかしたら、他人からずるいと言われるようなこと、でも、知っているとプラスになることって、正直そうあって欲しくないと思うけど、実はたくさんある。

もちろん、どんなやり方も強制することはしたくない。結局、変に策を弄せずストレートにやっていったほうがよい結果が出ることも多くあるし。
でも、自分たちより後の世代の人たちに、少しでも多くの選択肢と知恵を伝えて、そのうえで選んでほしい。
そんな考えを、だんだんと私は持つようになった。

-あとがき-
いやー、蛇足かなと思ったけど、ちょっとこの話、あとがき書かずにはいられなかったわ(笑)本当に大した経験じゃないし、同様のこと経験されてる方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、自分の中で、本当につらい経験だったみたいで、書いてるとすごくそのときに戻っちゃって、息が苦しくなってきました(笑)
もう15年以上も前の話なんで、本当は細かい順序とか忘れていて、適当に再構築したんですけど、やっぱり悔しい感情はそのまま覚えてるみたいですね。(自分、怖…)

ちなみに音楽室の赤い絨毯はやっぱり覚えてて、なんかこのシーンには赤が似合うな!と思って入れたかった。
(もしかして血の赤と連動させたかった?)

あと、音楽家が歯を見せてというシーンは、ちょっとエロス的な要素が出ると面白いかなと思って、勝手にちょっと不穏な書き方にしたつもり(笑)実際には楽器やってる人なら歯並び見られるのってありますよね?だから、変な意味はなく、みんな聞かれるんだと思うんですけど、そんな演出にしたかった。
よくも悪くも、楽器を本気で演奏する人って身体も楽器の一部みたいなところあるし、その感じも入れたかった。あんまり人間扱いしてない感じというか。それは、非人間的で悪いってことじゃなくて、プロの奏者自身に対してもその目線は向けられてて、むしろそれはプロ意識の表れでもあるかなって思います。本気でクラシックとかやっている人は自己表現というより作曲者や指揮者の表現を具現化するピースになることに命かけてる、みたいなところあるのかなぁと勝手に感じていたので。

部活全体として、自分にとってはしんどい経験だったんですけど、こうして文章というひとつの形にできたから嬉しいな。楽器が下手すぎて、たどり着かなかった、「表現」というものに、別の形で、自己満足だけど、やっとたどり着くことができたのかな。そんな気持ちです。

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