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初恋の味と同じくらい、忘れられないおじさん。

特に憶えようとしたわけじゃないのに、なぜか忘れられない人や出来事はないだろうか。

「忘れる」という事象は、脳の不備ではなく機能なんだそうだ。身に起こることをいちいち記憶していたら、膨大な情報に押し潰されてしまう。そのため、定期的に不必要な記憶を忘れて、整理する。にしては、忘れたいことほど忘れられないようにできているのは、バグなんじゃないかと思う。

憶えておきたいことほど、肝心な時に思い出せなかったりする。逆に、忘れたいことほど付きまとう。ただ、そのあいだに、どちらでもないものもある。忘れても忘れなくても人生に差し支えない、凡庸な記憶の海の中で息継ぎをするかのように、フッと蘇る記憶だ。

先月、岡山の山奥で行われたフェスへ行った。毎年遊びに行っているフェスで、今年は本を売らせてもらうことになり半分仕事、半分遊びくらいのテンションで向かっていたら、行きの高速で車がエンストした。アクセルを踏み込んでいるのにスピードが徐々に減速していくあの感じは、人生で何度か感じたことのある、どれだけ足掻いても事態が好転しないときの怖さと似ていて、ゾッとした。

高速道路で一時間ほど待ちぼうけをくらい、救出に来てくれたレッカー車に乗り込む。レッカー車の車高は高く、助手席からはほぼ真下が見えた。その新鮮さを楽しむ余裕はもちろんなく、無事に会場へと辿り着けるのか、車の修理代はいくらぐらいになるのか、連絡と対応と心配に追われ、高い車高とは裏腹に気分はどん底だった。


「絵でも描きに行くんすか?」
と、運転手のお兄さんが聞いてきたのは唐突で、一瞬、離陸する瞬間の、あのフワッとした感覚に襲われる。「いや、さっき車の中に、大きいキャンバスが見えたんで」

何の話? と思ったがすぐに、トランクに載せていたキャンバスのことだと気付く。そのキャンバスは一緒に出展する相方のもので、車の積載スペースの3分の1を占めていたが、僕の頭は心配でいっぱいだったので存在をすっかり忘れていた。

「まあ、そんなとこです。岡山の山奥で」

「へー! じゃあこの二百円くらいのキャンバスが、二千万の絵になるかもしれないんすね!」
僕と雲泥の高低差の陽気さで、お兄さんは言った。

でもなぜだろう、その一言で妙に元気づけられてしまった。あまりの高低差に心が麻痺したのか、底抜けな陽気さに呆れてしまったのか分からない。けれど、あの言葉で、僕の心にかかっていた”黒いもや”のようなものが、たしかに晴れたのを感じた。

「キャンバスって実は高くて、この大きさだと二万円くらいするんです」
霧が晴れたことを悟られないように、軽口を叩く。お兄さんは「そんなの、二千万に比べたら誤差っすよ!」と笑った。名前も知らない、気さくなお兄さんだった。レッカー車に揺られながら、僕はなぜか、幼稚園にいた「タケちゃんマン」というおじさんのことを思い出していた。


幼稚園で唯一残っている記憶が、初恋の人と髭の生えたおじさんの名前だ。「さやかちゃん」と「タケちゃんマン」。どちらがどちらかは言うまでもない。

どうして初恋の人と並んでおじさんを憶えているか、僕自身も謎だ。ただ、タケちゃんマンが、僕の初恋と同じくらいの濃さで記憶に残っているのは事実だ。マカロンの中身が納豆くらい違和感はあるが、事実だ。

タケちゃんマンは当時、園児から絶大な人気を誇っていた。休み時間に運動場に出ては皆で「タケちゃんマーン!」と声を揃えて呼び出し、よく一緒に遊んでもらった。タケちゃんマンの本名はもちろん、用務員だったのか、バスの運転手だったのかも憶えていない。そもそも幼稚園関係者なのかも怪しい。近所の気の良いおじさんだったと説明されても、納得してしまいそうになる。

幼稚園の入り口には、大きなクスノキが生えていた。そのクスノキの高い枝に、自作の虫のぬいぐるみを付けては「あんなところに虫がいるぞー!」と叫び、悲鳴を上げて逃げていく僕たちを見てゲラゲラ笑っていた。園児の誰かが、それがタケちゃんマンの自作自演だと知り、周囲に触れ回ってからは皆「はいはい」という感じで、誰も相手にしなくなった。オオカミ少年ならぬ、昆虫中年だった。

ある日、僕はタケちゃんマンが昆虫中年の準備をしているところを目撃する。脚立に登り、クスノキの枝にぬいぐるみを引っ掛けていた。その頃はすでにタケちゃんマンが昆虫中年であることは周知の事実だったので、特に隠れることも焦る要素もなく、僕に見られながら堂々と準備を遂行していた。

脚立から降りたタケちゃんマンに、僕は「どうしてそんなことしてるの?」と訊いた気がする。純粋な質問だったけれど、今思えば、少し残酷な質問でもあったかもしれない。

「ただの木でも、よーく見たらそこに生き物がいたり、おもしろいことがあるんやで」
タケちゃんマンは軍手を外しながら言った。

僕は「へー」と、鼻くそをほじりそうなトーンで言ったと思う。その後、「でも、ぼく虫きらい」とも言った。西日が差す、夏の日だった。タケちゃんマンは微笑んでいたようにも、少し寂しげな顔をしていたようにも見えた。「でも、虫が好きな人もいるのも憶えといてな」と関西弁で告げて、脚立を抱えてどこかへ消えていった。


先月、仲良くなった画家の方が、同じ幼稚園の一つ上の学年だったことが発覚した。僕は思わず「あの、タケちゃんマンって憶えてる?」と聴いてしまう。すると、その人もたしかに憶えていた。忘れないようにしていたわけじゃない。憶えていても何の得も損もないあのおじさんのことを、僕も彼も忘れられなかったんだと思う。

レッカー車に揺られながら僕は、なぜかそのお兄さんとタケちゃんマンを重ねていた。ふたりとも、再会することはないだろう。必要か不必要かでいうと、きっと不必要に分類される記憶だろう。それでも、僕の人生には、初恋の味と同じくらい、忘れられないおじさんと陽気なお兄さんがいた。


二千万の絵:森元 明美

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