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量、そして質

何かの技術を得たいとき、仕事であれ趣味であれ、まず量をこなさなければならない。量をこなしていくなかで、必要・不必要の仕分けが段々とできてきて、いつしか質を追求できるようになる。その段階になるまでには、多少の我慢が必要である。

コミュニケーションも同じことだ。コミュニケーションの活性化といっても、まずは量を増やさねばならない。その中で無駄なこともきっとあることだろう。しかし、多少の無駄があっても増やしていかなければ、本当に必要なコミュニケーションが何なのかは、ずっとわからないままだ。いきなり質を求めてはいけないのは、トレーニングと同じことである。

会社の上司と部下の関係性を考えてみる。部下は「上司は自分の考えなんて聞いてくれない」「朝と晩で違うことをいっている」など、コミュニケーションがうまくいっていない事例はたくさんある。一方で上司のほうも「部下の考えていることがわからない」「言われたことしかやらない/言われたこともできない」などと不満を募らせていることはある。あるべき姿はわかっているのに、現実は些細なことですれ違う。

他人に期待しすぎるあまり、本当に伝えなければならないことを伝えていないことが多いのだと思う。同じ職場で働いているとはいえ、他人なのだ。言わなければ、伝えなければわからないことがたくさんある。それを「言わなくてもわかってほしい」と思うのは、伝える側の怠慢である。もちろん、言いにくい環境を作っている上司がいたら、それは改善しなければならない。コミュニケーションは相互に歩み寄らなければ、一向に良くなるものではない。

以前いた職場で、「御用聞き」をやっていたことがある。ただ、ふらっとそこに行って雑談をする。話している内容は仕事とは関係ないので、それ自体は仕事をしているわけでないが、話しているうちにそういえばと、話したかった要件を相手が話し始めることもあった。人間、いきなり本題に入れるわけではなく、ちょっとした助走や準備が必要だ(ウォーミングアップといえばわかりやすいだろうか)。一見、仕事とは関係ないなと思っても、意外と大事な役回りだったのかと、周りから指摘されて(自分でも)ようやく自覚したものだった。

無駄なことだと恐れず、面倒くさがらず、まずは相手を理解しようと努める。その意識を持つことで、コミュニケーションの量、そして質が少しずつでも変わっていくのではないかと思っている。

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