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虹色に輝く

こんにちはからなしです。

 

今回はスピリチュアル?とは全く関係のない話をします。
何本か前にさらっとカミングアウトはしていますが

 

私は

 

いわゆる

発達障害、ADHD

当事者です。

 

診断はされてませんが少しASDもあるかと思います。

 

社会や働くことに少し重心を置いて話します。

 

昨今では広く認知され始めたこの「障害」ですが
一言で言えば本当の認知はまだされていないと思います。

ちなみに軽度ですが鬱の経験もあり投薬もしてました。
(ADHDが原因ではなくトラウマが関係してます)

 

なぜ真の意味で認知されていないのか。
簡単に言います。

 

「他人からは見えない」

からです。

 

例えば手や足に欠損を持っている方が居たとしましょう。
思い浮かべただけでも「障害者」だと解ります。

ではADHDはどうでしょう?
症状を見ても「忘れやすい」「きょどきょどしてる」「集中力がない」
これを見たとき普通は何を思いますか?

人ははっきり見えないとその痛みを理解は出来ないんです。
特に現段階の社会や人々では。

 

理解や受け入れが出来ていたとしたらそういう方達に「甘え」だなんて言わないんです。
鬱だって経験したり目の当たりにしないと解れないんです。

足に障害を負っている方に「走れないのは甘えだ」なんて言わないのが答えです。

 

発達障害は脳の障害です。
その機能の症状が先程あげたような「忘れ物をしやすい」「タスク管理が出来ない」「衝動でなにかをしてしまう」なんです。

何度も悪いですが
足が無い人に走るなんてことは無理です。

それとおなじなのです。

 

そこの認知なくして社会的に発達障害の理解を得るなんてことはありません。
現に「あてはまったから私ADHDかも」なんてセリフが溢れています。
言い訳の材料にされているんです。

 

実際は言い訳に出来るほど甘い障害ではありません。
そのような程度で生きづらさなど産まれません。
努力という階段をことごとく崩してくれるんです。

 

もちろんある程度は対策は取れます。
しかし脳の機能障害自体は消えません。
薬を飲もうがToDoリストやチェックリストを用意しようがそれは変わらないんです。

 

ここから少し私の話しをします。
先程述べたことを前提にお話を進めます。
ちなみに私は不注意優勢多動型です。

 

【発達障害というのは実に難しい病気?】

この議題は何を以て発達障害だというのかということです。
定義が難しいのです。

何が難しいのか?

それは後の方で語ります。
まずは私のケースをごらんください。
少しお付き合いください。

 

【私のADHDとしての歩み】

自叙伝的なやつです。
この話はADHDとして振り返ってということに基づいています。
羅列するだけですけども。


~幼稚園児編~

お遊びがみんなと出来ない。
オモチャを貸してとコミュニケーションとしての会話が出来ない。
集団行動が出来ない、いつもひとりだけ違うことをしている。


~小学生編~

忘れ物が多い。
授業中の課題が時間内に終わらせられない。
集中力が周りと比べて続かない。
先生の話が普通の人と同じように理解できず違うことをしてしまう。
授業中に徘徊をしてしまう。
手遊びが多い。
コミュニケーションが上手く行かず人から避けられるようになる。


~中学・高校生編~

宿題をやらなくなる、忘れ物をする。
提出物がいつも期限を過ぎるかギリギリになる。
遅刻を頻繁にするようになる。
ゲームややりたいことに集中しすぎてしまう。
人の話が解らない。
いけないこと、わるいことの線引きが他人とズレる。
約束が守れない。


~大学生編~

講義が聞けない、集中できない。
提出物を終わらせられない。
講義をサボってしまう。
言い訳を良くするようになる。
約束を忘れたりする。


~アルバイト編~

複数のことが出来ない。
やらなくてはいけないことの優先順位が付けられない。
ミスをするとパニックになる。
見落としが多い。
後回しにしていた仕事を忘れる。
途中で手を離した仕事は忘れるか、最初からやらないと終わらせられない。
メモしたことを忘れる。
言われた通りが出来ない時なにもでなくなる。
注意が逸れたりするとやっていることが解らなくなる。
集中しているときに何かを声をかけられて頼まれたりするとそれが何だったのか解らなくなっている。
言われたことは出来るがそれ以外が出来ない。
大雑把な指示や抽象的な引き継ぎをやっても相手の求めていたことと異なることが多い。


ざっとこんな感じです。

私生活でも
例えば家を出るとき

鍵を部屋に忘れたとします。

鞄を持ったまま鍵を取りに行きます。
部屋の電気を付け鞄を置き、鍵を取ります。

さぁ、家を出ましょう。
靴を履きます。

鞄を忘れていました、取りに行きましょう。
電気も付いています、消しました。

行きましょう。

そういえば定期は持ったっけ?
鞄を引っくり返します。
大きなものは出します、書類筆記具など。

ポケットに入っていました。
良かったです。

会社に着きました。
書類と筆記具を忘れました。

そういえば家の鍵を閉めるのも忘れてました。


これが現状です。
このレベルが多かれ少なかれ症状として外に出てしまうのが発達障害です。


物忘れなんて誰にでもある
ミスが連続して起きるのは誰にでもある

そんなの誰にでもある


健常者はこのレベルでミスしたりとかありますか?
違いますよね…というか普通ありえないですよね。

これが毎日、いいえ何かをする度に起きています。


少し話題になっていたので
YouTubeのオカモト夫婦さんの発達障害に関する動画見てください。

それがリアルです。
私の話しもリアルです。


【理解への難しさを産む問題の本質】

さて、なぜ難しいか。


他者から見たら

「そういう風には見えない」

からです。


怠けている
理解度が足りない
甘えている
努力してない
やる気がない

こういう評価をされてしまいます。
視点が違えばそうなります。

 

指示が上手く通っていない。
返事はしたのにやり終えていない。
今必要だから声をかけたのにやらない。
期限のある仕事の計画を立てている様子がない。
注意したことがいつまでたっても治らない。
etc…

こう見えます。
それでは上の評価をされて仕方ないのです。


別に手足が無かったりするわけでもないし
「普通に見える」
でもおかしいちょっと違う、頭の出来がちょっと…

そういう風に見えます、たぶんそうですよね。

それが難しさです。


判断が出来るモノがない

物的な証拠からなる評価は全て信頼や信用のカゴヘ運ばれてしまう


信用がない奴
出来ない奴

そういうタグを着けてしまえばおしまいなんです。

逆に言ってしまえば
なんでそうなってしまうのかまで面倒を見てくれる人なんて居ますか?
理解してなんとか1人で出来るようにしていこうと支えようと思える人は居ますか?


大人なんだから…
そんなに暇じゃないし…
出来れば一緒に仕事したくない…
仕事増やさないで欲しい…

普通はこんなところです。
それが第一の壁です。

 

そしてここからです。

発達障害の難しさはその多様さにあります。

なぜなら

 

ケースバイケース
場面による
日による
やっていることによる

その人の人格や性格からなるもの

発達障害ゆえの脳の機能の凹凸


これが絡み合って症状として外に出るからです。

つまり健常者が見ているのは


表面のそのまた表面


本人が自覚して提示したりしない限り
永遠に健常者から見たとしたら上で挙げたような評価にしかなりません。

問題は本人達にも大いにあります。


それもまた難しさの要因です。
何も理解しない社会や会社、健常者が一方的に悪いわけではないんです。
そういうことを言っていてもなにも解決しません。


【何が正解なのか】

ここまで読んで貰って「じゃあどうすりゃええねん」と思った方も多いと思います。


話しはトンと変わりますが
昨今では差別やジェンダーフリー、多様性についてかなり煩くなっています。

というより、それを受け入れろと言わんばかりの圧力で話が展開されています。

もっと簡単でいいじゃないですか。

「色んな人が居て色んな性質を持っている。それは人それぞれで皆違って皆いい。十人十色、あなたはあなたでいい。」

健常者でさえも
個々人によって得手不得手、趣味だって違うわけですよ。

その次元のものを腫れ物を触るようにして「壁を無くせ」「受け入れろ」「優遇しろ」「考慮しろ」なんて不健全です。

社会的にそういう動きが出るのは良いことかもしれないですけど
結局「あなたはどう?」って話じゃないですか。

 

「みんな違ってみんないい(多様性)」

ならそもそも
障害が~、性差が~、とか
そんな話しにならないと思います。

もちろん法律的なことなどはそれを持ち出す必要もあったりします。
なのでそれは別の話です。

ここでの話は"人と人が生きていくこと"です。

 

そういう感じで

分け隔てなく理解すること

これが社会的に出来たらいいなと私は考えています。
そもそも正解や答えを出すのが難しいです。
答えがないかもしれないですし、時代が変化すれば形も変わります。

 

答えを出すとしたら

あなたとわたし

どう手を繋ぎますか?

ですかね(*‘ω‘ *)


【発達障害者の課題】

私達にも課題があります。
ここはやはり触れないといけないと思います。

社会や周りにおんぶにだっこ
これでは話が通らないです。

 

まず取れる対策を取っておくこと。

たとえば

・雑記メモの整理用メモ
・タスク管理ための付箋等での色分け
・チェックリストの再三の確認
・どんな指示でも求められる結果を一度聞いておく
・手順を踏む仕事は一部ではなく全体と詳細を詰めて体系的に把握をする
etc…

こんな感じです。

私は現在アルバイトでレジをやっていますが
指差し確認、2度確認をしたりして違算を防いでいます。
人より時間は掛かりますが、人より確実にこなします。

ミスを減らすことで仕事の出来も変わるかと思います。


そして失敗はします。
そこで終わったらダメです。

失敗をした経験の蓄積をもってして失敗しないルーティーンを確立させることが出来ます。
普通の人がいい加減にやっていることを確実にした方がいいです。

あくまで私が経験して私のやり方です。
たぶん参考にあんまりならないと思いますし、アルバイトしかやったことがないですから。

ただ見えるようにする、見て解るようにする
"見える化"
これは凄く大事だと思います。

 

あとは服用したことがありませんが
投薬をしてみるだとか、カウンセリングにいくだとか

 

ここら辺までが本人が出来ることだと思います。

 

こんなこと言っている私ですが、それでも尚
忘れ物やミス、約束を忘れたり、パニックになったり1つのことに没頭しすぎたりします。

仕方ないかなと半分諦めています(笑)

 

あ、あと認知の歪みですね。
これは気付かないと人付き合いに難が出ると思います。

 

出来ることはやっているなら
あとは周りに理解してもらうことではないでしょうか。


発達障害は

出来ない理由にはなります。

でも

しない言い訳にはあまりなりません。

 

もし言い訳に発達障害を持ち出したとしたら…

それを他人から見たら不誠実に捉えられてしまいます。
もしかしたら他に秀でる才能があるのにチャンスを失うかもしれません。

それは周りのせいにも出来ないと思います。

 

それを周りがまた汲み取ってくれるのも難しいと思います。
だから一方的なことは成り立たないんじゃないかなと思います。

それぞれ色々あるかと思いますけども!

 


【何だかんだ言って】

やっぱりなんと言っても

環境が全て

なのではないかと私は思っています。


環境って一言に言っても様々あると思います。

職場環境
労働環境
組織体制
物理的な環境
人為的な環境
人間関係
心の環境
成長できる環境
停滞してしまう環境
楽しい環境
苦しい環境

こんな感じでしょうか。

 

少し考えてみてください。
これを成り立たせているのは何ですか。

 

そこに携わる"人"です。


つまり

環境を作っているのは人

です。


誰一人逃れることが出来ないほど関わっています。

 

でも

見方を変えれば関わり方次第で環境は作り替えられるもの

となります。

 

どんな人でも働きづらい環境で働けば
その人が持っている持ち味や個性、ひいてはやる気や気持ちまでも潰してしまい兼ねません。

普通の人でさえそうなのに発達障害者がそこへ身を投じればどうなるでしょうか。
あまり良い未来は期待できませんよね。

 

またまた話は変わりますが

「いじめはいけない、犯罪だ。」「道徳的に」
よく子供とかに向かって言われる言葉です。

でも普通に大人でもやりますよね、というか当然です。

「結果が残せなければ言われて当然」「結果が全てだから」「○○って評価されてたから」
こんな台詞なんて溢れています。

もちろん本人に問題がないとは思いません。

 

なんとなく似ていませんか?

 

何と?

 

向き合うことを辞めていること

 

です。

 

環境作りもまずその人と向き合うことから始めないと上部だけ取り繕っても後々綻びが出てしまいます。

人と業務そのもの、チームでやるならそれぞれの役割と連携のしやすさなど
擦り合わせないといけないわけです。

人を無視することは出来ないと私は考えてます。

 

だって人が働いているんだから

 

心地よく働くとか風通しが良い職場ってこれなんじゃないかなと思っています。

現に私はアルバイトでありながらそれを体験し現場の環境を変え人を育てることを少なからずしていたので解ります。

効率を上げるなら人を持ち上げる。

これは健常者であろうが障害者であろうが同じではないのかなと思います。

 

いい環境でそれぞれを発揮できたら素晴らしいと思います。

 

【武器を持て】

多くの発達障害の方はこう思っています。

「成功している人も居るけど、私なんてダメなところばっかりで出来ないことしかない」

 

このセリフめちゃくちゃ聞きます。

いやいや待ってください。
私達は凹凸の能力を持っているのですよね?
なんで凹凹凹凹凹…ばかりしかないと思っているんですか?

やり方変えてみましたか?
人より失敗してみましたか?

もっと他を探してみたりしましたか?

(芸術とかに秀でたりする人が多い気がしますけども、それに紐付けてみたりとかも出来ると思います)

 

凹しかないというのは正直あり得ないと思います。
あなたにしかない能力が絶対あります。
見付けるまでが大変だと思います。

大丈夫です、絶対あります。

 

確かに生きてて自己肯定感も低かったり人格がちょっとそっぽを向いたりもしてしまったりしてます。
それでも何かあります、出来ることがあるんです。

 

見付けましょう。

 

きっとあなたの能力は何かをもたらすことが出来る
きっとあなたの人生に花を咲かすことが出来る
きっと何かがぜったいにあるはず

 

私はこうやって言葉を紡いだり、写真撮ったりするのが自分の能力だと思っています。
誰にでも出来ることかもしれない、でも私にしかない世界で何かに響かせることが出来る。

武器(強み)にしてしまえばいいんですよ(*‘ω‘ *)

 

【考えるべきは】

私がこの記事の本質というのをどこに置きたいのかというと

増えるからです。発達障害者が。
大人の発達障害なんていうのもあります。

健常者同士でさえもお互いを認めあったり理解しあったりするのに壁があるのに
それより理解がしづらいされづらい発達障害者がそこに加わっても余計に壁が高くなるだけだと思います。

 

その壁をたくさん目の当たりにしたりすることが増えると思います。
ネットの中は特に顕著になると思います。

その折に「障害者"だから"」とか他人が言うべきではないと思います。
それは本人達が自覚して工夫していくべきことだからです。
ただしそういう障害もある、というのは知ってもらえていたらいいのかなと思います。

 

おそらく互いに出来ることって

足の無い人が走りと願い出たりしたとき
「無理だ」とか「辛いよね」ではなくて
義足はどうか、走れなくとも競技用の車イスがあるとか
そういう手の取り合い方が実際に出来ることかなと思います。

 

なので私が言いたいのは

 

お互いに向き合うことの大切さ

 

理解は手を伸ばし合うこと

 

多種多様を受け入れた社会を作るのは
他人や社会、政治からではなく

 

あなたからはじまる

 

この3点です。

そして問いかけたいのは

 

あなたはどうしますか

 

という問いです。

 

【障害について思うこと】

私は2年ほど前にADHDの疑いを自分にもって心療内科へ行き、カウンセリングと検査を受けてADHDの診断を受けました。

実際にその障害があるから辛さが産まれる場面も上手く行かないこともあります。
理解していれば「仕方ないか」で終わらせられます。

特に人付き合いとか、約束が守れなかったり忘れてしまったりとかもたくさんあります。


最初の方に書いた「甘くない」というのは事実です。

でも自分で特徴と思えばそれほど苦しくはないです。

 

しかしながらADHDの記事などが取り上げられたりすると
「私ADHDかも」と至らなさを肯定しているように見える書き込みなどがみられたりします。

言わせてください。

 

苦しんだり悩んでいるなら

すぐに

心療内科へ予約して

診断を受けてください

 

なぁなぁにしていたら痛い目をみます。

ネットの診断ではなく医師の診断を受けてください。

 

ただ診断されることで自分を受け入れられる人と受け入れられない人の両方の方が出てしまいます。
なのでもし「この人発達障害かも」と思っても叩きつけてあげないでください。

その癖や症状で悩んでいることには変わりません。
めんどくさいかもしれませんが話を聞いてみてください。

例え普通の人であっても自分の考え方や人生の生き方などで悩む方も多く居るかと思います。
その人に向かってただダメ出しすることが正解とはとても私には思いません。


やっぱり向き合わないといけないわけです。

 

私は自分に思います。

障害を背負ってみて、自覚して生きた2年間。
苦しかったことへの自分への理解と思い通りにならない歯痒さ。

色々ありました。

特に人からは理解されないこと。
自分でも対策は出来てもコントロールまでは出来ないこと。


人との関わりの中で欠いてはいけないことや大事にしたいもの。

そういったものをそんなつもりがなくとも簡単に壊したり手離してしまう時があったり。

申し訳ない気持ちや自分を責めたい気持ちもたくさんあります。
正直上手くいかないことだらけです。


でも考え方を変えました。

この発達障害というものを忌み嫌うのではなく
自分の武器として使おう

至らないところがたくさんあるのならば
いいところをたくさんでなくても深めていこう

出来ないことを無理にやらなくてもいいから
自分の色でやってみよう


それの表れとして
このnoteや写真をやっています。

正直
言葉は上手くありません、伝えたいことも伝えられるように書けてないことも解っています。
写真だって上手い人はたくさんいます、技術だってありません。

でもだからと言って私は私を諦められません。

これが私だ!

そう叫びたいんです。ダメダメでも。


話がかなり反れてしまいました(笑)


健常者でも障害者でもここはきっと同じだと思うんです。

自分のことで悩んだり、不安になったり、怖くなったり
それでも自分というのは切り離せないしずっと抱えて生きていく

私は私でしかないと

ならそれって全て
特徴であり特色であり
個性であり武器であり

誇ってもいいものじゃないんだろうか

だってそれだけの歩みが自分にしかないんだから


そういうものだと私は思うんです。


【これからの社会はどうなるんだろうか】

今の社会はどんどん機械化が進んでおります。
AIはきっと大きく生活に絡んでくると思います。
人との関わり方も変わることでしょう。


でも本当に変われるんでしょうか?
人そのものがです。


コロナ禍の前の社会だって生きづらい人沢山居たと思うんです。
自分を磨り潰して生きてた人も。


コンビニのレジを見てても

ありがとうと言える人がとても少ない
ミスは絶対許さない
自分の思い通りを押し通そうとする


抽象的ですが言いたいことは解りますよね。


人や今の社会が持っている問題を抱えたまま
次の時代へ行こうとしている

もしかしたらこの問題は暴発してしまうかもしれない


なぜならもっとネットを通した社会になれば
一方的なコミュニケーションになるから

そうなったとき今の社会で抱えている人そのものの問題は人をもっとあからさまに傷付けていくかもしれないからです。
今の段階でもそれは起きています。


人は完璧ではありません。

間違うし
意見はそれぞれだし
言ったことを違えるし
約束は守れないし
自分勝手だし
屁理屈や能書きはいくらでも垂れるし
綺麗事は言うし
意地になるし
筋が通ってないことはするし
歪み合うし
絶対なんてないし


だとしたらどうしていけるんでしょうか。


私はもうシンプルに「許容する世界」になればいいと思います。

逆にそれらを絶対にしないと誓って生きられると思えません。
というかそれが人間だと思います。

もちろんこういうネガティブなことじゃなくて
とてもいい面もあります。
それもまた人です。


なら優しくはなくとも

人として自分が歩める社会

それが次の社会にはあって欲しいものです。


発達障害についての話でしたが
私はここに帰結すると思っています。


みんな生きたい

どんな自分であっても

だから時に悩むし傷つくし苦しむし解らなくなる
でも自分を見つけていっている過程でもある

そうやって生きているなら社会とは

人と人が関わり合う場所

なのではないでしょうか。


だったら人に冷たい社会より
やっぱり触れ合える社会の方が生きることにとって必要ではないんでしょうか。

障害とか関係なく


【最後に】

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
発達障害について詳しくは専門書やYouTubeなどをご覧いただければと思います。

私自身は障害という言葉は好きではないです。
小学生のころから仲が良かったのはそういう子達でした。
すごく生き生きしているし輝いている子達ばかりでした。

可愛そうにしているのは可愛そうとだと思う人達です。

小さい頃の記憶なのでこれが正しいとは言えませんけどもね。

話したとおり私も障害をはっきりと持ちました、それで良かったと思います。
解らないまま人と接するのは怖いですから。


現在ネットですが私はとても素晴らしい方達とお話しさせていただいたり、素晴らしい景色を見せて頂いたりと
感謝も多く過ごせて頂いています。

ダメダメ君なこんな私でさえ、生きるのが少し楽しいと感じてしまいます。

だから思ったんです。


人の暖かさって大事なんだ

人は独りでは生きてないんだ

と。

同時にそれを私も私なりにそれを人にもたらすことが出来る。


たぶん人と関わって生きるってこうなんだろうなって。
そのおっきな輪が社会なんじゃないかなと。

そう思ったんです。


色々脱線して書いてしまいました(笑)
もしこの記事良かったよと思ってくださいましたらハートとTwitterなどでの共有をお願いします♪

ありがとうございました!
またnote書きます。お楽しみに♪


PS.桜ですか?

写真がいいと思ってくれた方はこちら↓
(カメラのレンズ揃えたりどこかへ写真を撮りに行きたいです。それでみなさんの心に届けられたらと思っています。)

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