見出し画像

怒りについて②

以前、「怒りについて①」を探求・究中だった、ということもあり、かなり不完全な形で書きました。それをすっかり書き直すことも考えたのですが、自分の成長の記録でもあるかなぁ、と思って残しています(そのうち耐えられなくなって🫢古いものから順に消すかも知れません)。

これは、その続き、です。

①で怒りについて2種類あるのではないか、ということを書きました。
その際に「混合型」について考えていたのですが、今は、「混合型」はなく、2つに分けられる、と考えています。

なので、まず、私が「怒りについて①」で怒りと呼んでいた2つのものを分けます。

<<注意:この記事も、他の記事も、出典がない場合は、
                どの部分も「私の考えや意見です」>>

怒りではないけれど怒りのように見えるもの

一つは、生まれた瞬間から持っている命の動き。英語ではaffect(辞書の訳の1つは「感情」*)。これは、私が学んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)では怒り(Anger)とは呼ばないもの。
(*英語では感情に当たる言葉がaffect, feeling, emotionなどといくつかあります。この3つに関しては、下であらためて書きます)

赤ちゃんがお腹が空いて、ふにふに言っていて、それでも食べ物のニーズが満たされなかったらだんだん泣き声が大きくなってきます。生まれて数日経つと、ギャン泣きこともあるでしょう。

そして、ふにふに言っていてもミルクを得られずギャン泣きしたらもらえることが度重なると、お腹が空いたらギャン泣きするまでの時間が短くなるかもしれません(学習している)。

生まれて初めてギャン泣きした時も、度重なった時にも、赤ちゃんには「なんで食べ物(ミルク)をくれないんだ!わざとだな!悪いやつだ!」という「思考」がないので、これはNVCでは「怒り」とは呼びません。

では何か?と言ったら、「『自分の全体性が満たせない、満たしていない、損なわれている』ことを知らせているだけ」です。

さらに、例えば、生後すぐに注射を打たれて(**)、それを生存の危機として(思考ではなく肉体的に)感じているとしたら、つまり脅威と受信したら、「戦うか逃げるか固まるか(Fight, Fright, Freeze)」の反応の、「戦う」が始動して「ギャン泣き」するかもしれません。これも、「怒り」ではなく「感情表現」と考えます。
(**シドニーでは生後直後にビタミンKの注射を打つことが多いです)

つまり、「戦う」が始動する場合で、かつ「いい悪い・どっちが正しいか」という「思考」が共に始動していない場合は、「感情・体感覚(血圧が上がる、など)」が生じるけれど、それは「怒り」ではない「感情」である、ということです。

これが私が以前「根源的な怒り」と呼んでいたものです。現在は、「(怒りではない)生命を守ろうとする、全体性が損なわれたときに生じる感情」だと考えています。これが1つ目。

じゃあ怒りとは何?

以前、「怒りが教えてくれるもの」というnoteに、私が学んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)でみた怒りについて、ざっくりですが、まとめています。

そこにも書き、上でも少し触れましたが、(私が理解しているところでのNVCでいうところの)「怒り」は、「常に『なんらかの判断・解釈・思い込み・分析=思考』が生じていることにより生じ」ます。

怒りが教えてくれるもの」というnoteを読めば、今の所の私にとっての「怒り」についてこれ以上は説明は要らないでしょう、と思いつつ、「外的刺激と内的刺激と原因」について書いてみようと思います。

怒りの「外的刺激と内的刺激と原因」とは?

NVCには「鍵となる差異」とか「重要な差異」と呼ばれるKey Differentiations、通称KDというものがありまして、その中の一つ「刺激と原因」についても書きたい…。(そのうち書きます)

その「刺激と原因」をすっ飛ばして「外的刺激と内的刺激と原因」について書くと混乱するかも、といささか危惧しつつ、怒りについて書きはじめたのでこのまま書き続けます🏃

外的刺激

外的刺激(外側で生じる刺激)は、この場合だったら「大雨になった(ピクニックに行ける天気ではない)」です。

内的刺激

怒りが生じる直接の原因は「いつも彼女の願いが通る」という考え・思考・解釈です。これを内的刺激(内側で生じる刺激)と呼びます。

根源的な原因

怒りの場合の原因は「思考」です。
そして、怒りが思考から出ている、と気づいたら、じゃあその思考、思い込みはどこからきているのだろう?と探求していきます。
その思考は、何が大切だから生じていて信じているのか?それに気づいたらどんな感情があるだろう?と自分の内側を見ていって感情にたどり着き、そこから根源的な原因、つまりニーズに辿り着きます。

怒りは二次感情

怒りは、二次感情と呼ばれたりもして、他の感情とは異なる扱いをします。

そして二次感情と呼ぶんだけど、体感や生理現象(血圧が上がる、汗が出る、体がフルフルと震えるなど)が生じるから「感情」と呼ぶのであって、実際には、他の感情が生じる時とはルートが異なります。

例えば、「悲しい」は「今日友達とピクニックに出かけようと思っていたら、大雨で断念することを決めた。楽しみにしていたので残念だし悲しい」ということもあります。

気分が少し落ち込んで、前屈みになるような、視界も狭いような感じがするかもしれません。誰がいいとか悪いとかもなく、自分で決めたことだし、雨は必要なものだと感謝する気持ちもあるけれど、出かけて発見や喜び、外にいる清々しさや刺激、インスピレーションなどを満たそうとしていた自分の一部はただ残念で悲しい。

もちろん、この「悲しい」も、現実に対していろんな解釈や期待をしているから悲しくなるので、全く思考がゼロであるわけではないのですが、このシチュエーションであれば、文化的、社会的に身につけた善悪や道徳観念からきた判断はなく、文化的、社会的背景が違う人とも比較的共有できそうな感じが(私には)します。

怒りが二次感情といわれる所以は、刺激となる出来事(大雨)に対して、実際には別の感情(例えば「残念、悲しい」)が生じているのだけれど、それに気づくより早く思考が生じていて「あー、なんで雨が降っているんだろう。友達ができれば別の日にしたいって言ってたからかな。あーあー、私は今日がよかったのに、なんでスムーズに今日行けないんだろう。いつも彼女の希望が優先される」と天気にすら「彼女の希望が優先される」という意味づけをして、さらに「不公平だ」「私の意見も聞かないのは悪いことだ」というふうに、めちゃくちゃ無意識だとしても「考え」たとしたら、「楽しみにしていたピクニックが雨で流れて残念、悲しい」を感じ切る前に「あーむしゃくしゃする!」となるかもしれません。

そして、後日、晴れた日にピクニックに行って楽しい時間を過ごしたとしても、「あーむしゃくしゃする!」が消えない、これが「怒り」の特徴でもあります。感情であれば、そんなに長持ちしない。

怒り以外の感情で「私のニーズが損なわれているんだ!」という「命のエネルギー」からくるものであれば(例えばギャン泣き)、ニーズが満たされた瞬間にそのエネルギーは別の感情を表現することにシフトします。

一般には「怒り」が生じても、生理的反応は6秒ほどでピークを迎え、すぐになくなるはず、と言われています。

怒りが(長ければ何年も)なくならないのは、刺激を思い出すたびに「思考」という燃料を足し続けているからです。

「あれは公平じゃなかった、悪いことだ、私の意見は聞かれなかった」という思考が怒りを生じ、「残念だった、悲しい」という感情を感じ切ることがないので、「残念だった、悲しい」という感情からたどり着けたであろう「自分の好みが聞かれること=自分が大切にされること、友人と屈託なく過ごすこと、外で爽快な気分になること」などのニーズを大切にするのではなく、「悪いことが起こってそれには過去のことなので何もできない」というループにハマって何年経っても腹立たしい、という可能性が生まれます。

感情は、ニーズが満たされたらすぐにコロコロ変わるけれど、「怒り」は次の時に自分の意見が通っても『また彼女の意見の方が大切にされるんじゃないか』という思考に気づいて、それをプロセスしない限り、いつでも燃料になり得ます。

これが、他の感情と怒りの違いです。

2つに分けたもの(おさらい)

つまり、いのちを守るため、自分を守るために発動する「感情」と、思考からくる感情(二次感情、怒り)は側から見たら同じように「怒っている」ように見えるかもしれないけれど、「ギャン泣き」と「怒り」の違いは、「思考が生じて『善悪、私の方が〇〇に値する』などの判断をしているかどうか」です。

怒りの外的刺激と内的刺激と根源的な原因

上の例でいえば、
外的刺激は、大雨→ピクニックに行かない、
内的刺激は「彼女ばっかり」という思考
根源的な原因は、ニーズ、です。

外的刺激に対するニーズは、「一緒に出かける=交流」「外で清々しい気分になる=リフレッシュ」などかもしれません。

内的刺激に対するニーズは、まず、思考が内的刺激になっている、ということに気づくところからたぐっていきます。

だから、怒っていることに気づいたら、思考があるということなので、どんな思考があるのか?を探求します。

そして、刺激が単に「大雨でピクニックに行かない」ではなく、そこから瞬時に「彼女ばっかり」と考えたことが内的刺激となっており、怒りを誘発していたことに気づいて、内部刺激が生まれる元となった昔の記憶を掘り返してみてもいいし、現時点でわかっている「自分の希望が通らなくて残念、悲しい」に辿りついてもいい。そうして「自分の希望を聴いてほしい、大切にしてほしい、交流したかった、爽快さを感じたかった」ということに気づいたら、「あれ?いつも聴かれないわけではないな」ということに気づいたり、「交流、爽快さは実際には次回満たせそう」となったり、「それでもなんだか『大切にされている』感じがしていないんだな」と気づいたら、「自分か相手にリクエストをして『大切にする・される』というニーズを満たそう」とすることができます。

こうプロセスすると、怒りも他の感情、体感などと同じように大切なことを教えてくれていることには変わりありません。ただ、怒りの時には「思い込み」や「現状にあっていない解釈」が混ざり込んでいるよ、ということに気づく必要があります。

つまり、怒りという二次感情を思考に気づいて一次感情をたぐっていくと原因であるニーズにたどり着ける、はず。
興味があったら、自分の怒りの例で思考が絡まっているのをプロセスしてみてください♪

(めちゃくちゃ長文になっているので、この辺りをもっとスッキリ説明できるようになりたい…。いつか書き直したいけれど、今日はとにかく伝えたい、表現したい、のでこのまま書き続けます)

(伏線回収)英語でいう感情について

上で、英語では、感情という言葉をaffect, feeling, emotionなどという、と書きました。他にも言い方があるかもしれません。

この3つについてざっくり説明します。
私にとっての「全部ひっくるめた感情とはなんぞや」というのを書くと「体感覚と生理現象を伴うものに名前をつけたもの」です。だから「ドキドキする、お腹の辺りがキリキリする、胸の辺りがもやもやする」も、病気でそうなっているのではなく、刺激に対して体感覚として表れているものに名前をつけたものを感情と呼んでいます、という前置きをしつつ…。

Affect

これは、針がチクっと刺さったら、びっくりして飛び上がる、ドキドキする、泣く、などの生後0日の赤ちゃんにも備わっている感情です。
かなり純粋な外側からの刺激に対する反応

Feeling

文化的、社会的なものを含む経験からきた反応を含む体感覚、体内の感覚。
ロジャーズの言っていた「内臓感覚」もこれかと思っています。
(私にとっては、「暗雲が立ち込めるような」などのイメージなども含みます)

Emotion(探求・究中)

Affect + Feeling + 思考

つまり、純粋な体感覚(世界中の誰もがする反応)+体感覚(週刊的に身につけた反応)+思考

この思考があるから、AffectやFeelingが生じて、それに対して動こう、とか、やめよう、という「動き」が生じるようです。

語源を調べると
emotionは「強い感情」を意味し、語源はex(外)とmovere(動く)
e-「外へ」mot「動く」-ion「こと、もの」 心から湧き出るもの
などというのが出てきます(出典は「・」にリンクを貼りました)。

emotionとは、感情が湧き出てきてそれにより強く何かしたくなる、ということみたいです。

画家や歌手や俳優が表現したくなるのはemotionによるもの、という説明もあり、このemotionに関しては、私も説明を読んだだけでまだ腑に落ちていないので、探求・究し続けたいと思います。

リクエスト

ここわかりにくい! これ違うんじゃない? やってみた〜!など、感想やコメントがあれば、ぜひお知らせください。



サポートありがとうございます。 いただいたサポートは情熱をもって学んでいるNVCの講座参加費とカウンセラーコースに使い、さらにnoteに学びを還元、循環します❣️ たくさん書いてたくさん学びに使いたいと思っています。応援📣よろしくお願いします。