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闘争か、逃走か。

負の感情が闘争の原動力となる。

 人は危機的状況でストレスを受けると、「たたかう」か「にげる」ことで生き延びてきたとされている。ウォルター・B・キャノンさんが提唱した、闘争・逃走反応である。

 某RPGの世界なら「どうぐ」と「ポケモン」も使えるが、我々が生きるこの世界では、便利な道具もなければ、無条件で戦闘を代行してくれる者も居ないため、生き延びるためには文字通り、闘うか逃げるかしかない。

 私は一旦高卒で社会に出たが、振り返れば逃げも隠れもせず、ひたすら何かと闘って来たと感触が強い。それは鉄道業界という、労働組合が比較的機能している組織に新卒で入り、労組で重宝された経験から、闘うコマンドが強化されている可能性は否めない。これ自体は想定外だったが、適材適所の意味が少しだけ分かった気がした。

 とはいえ、闘う相手は何も職場の上役や、疫病神なお客様などの対人に限らず、一般常識や価値観と言った無形文化全般と多岐にわたる。

 何より生まれつき普遍的でありふれたもの全般が嫌いな性分であるため、側から見ればクセの強い変な人以外の何者でもない。

 お蕎麦の薬味でわさびがあるのだから、からしがあっても良いじゃないか。実際に新潟のへぎそばではからしを薬味として使っている。しかし、蕎麦屋でからしくださいと言おうものなら、十中八九わさびと勘違いしているおつむの弱い人だと思われて、何事もなかったかのようにわさびを盛られる。

 定食屋で食後のデザート的な位置付けで提供される果物だって、炭水化物やタンパク質よりも先に食べた方が、すぐに消化されるのだから人体の構造的に理にかなっているが、何の躊躇もなく果物から食べ始めると、周囲から不思議な目で見られる。

 例を挙げればキリがないが、これらの世間一般比でズレた行動は、賃金労働者の世界で生きる上では足枷となるだろう。しかし、他人と違う物事の捉え方や考え方の引き出しを持つことによって、株式投資による個別株運用で、長期的に市場平均よりも高いリターンを叩き出すことに寄与している可能性が高く、奇人変人であることが悪だとは思わず、むしろ褒め言葉と捉えている。

 大衆の価値観に従って生きたところで、大抵無難な結果しか生まれない。良くも悪くも大きな結果を生み出すには、大衆の定石は一旦無視して己の信念に従い、聖域を穢されることなく淡々と生きることが大切なのだろう。それが、他人と違った道を歩むことに繋がり、恐らく周囲の無難に生きる人たちが一生見ることのない景色を味わう要素となるのだろう。

 とはいえ、そんな崇高な思想が闘争本能を奮い立たせる原動力となったと言うよりも、みんな横並びで没落していく将来しか思い描けない、日本社会に対する怒りのような負の感情こそが、今まで長いものには巻かれずに生きてゆく力となったのだろう。

知識武装で逃走に備える。

 しかし、ライブドア事件や日産のゴーンさん事件のように、既存の価値観に利権を持ち、長い物に巻かれている側に脅威と認識された対抗者には、無理矢理にでも罪をでっちあげて追放するという、法治国家らしからぬ社会主義的なパワープレイを行う国民性であることは、阿武町の4630万円誤送金事件を見ても明らかである。

 要するに、多数派から敵と見做されると、袋叩きに遭う可能性が高く、「何を言っているか」よりも、「誰が言っているか」で善悪を判断する様になるからタチが悪い。

 度が過ぎると、大企業の粉飾決算や偽装、不正販売といった不祥事が発生し、勇気を持って内部告発した者によって、それらが明るみになることが多いものの、社内政治では追放される可能性が高く、不幸な結末を迎えることが多い。

 そんな社会正義すら捻じ曲げられる組織で抗ったところで、潰される時期が早まるだけで、かと言って大人しく服従したところで、泥舟にしがみついて没落する未来しかない訳だから、そんな腐敗した環境には見切りをつけて、そそくさと逃げるのが最適解だろう。

 逃げると聞くと、どうしても逃げ癖が付くのではないかという懸念があり、潰れる直前まで踏ん張るのが美徳とされがちだが、ヒトは自分がどこまで耐えられて、どこで潰れるのかを正確に把握することができない。私は我慢の度が過ぎてしまい大病を患い、入院中に後悔した。

 それに、学習性無力感と言って、長期間に渡り回避不能なストレスを受け続けると、「何をやっても無駄だ」と、その場から逃げようとすら思わなくなることが、心理学者の実験で明らかになっている。

 これが、自決する程辛いなら、仕事を辞めれば良いのにと、他人事なら至極真っ当な判断ができるのに、当事者になるとそれができず、発作的に身を投げてしまい、過労自殺などの痛ましい結末を迎えることになる。

 だからこそ、直感でヤバいと思えているうちに逃げることは、自身を守るために重要で、石の上にも三年などと悠長な根性論に真正面から取り合う必要などない。

 知識と情報に裏付けられた直感の正答率はおよそ9割と恐ろしく高いことが、イスラエルにあるテルアビブ大学の研究によって明らかになっている。

 裏付けがなければ単なる思いつきでしかないものの、脳は過去に入力した知識や情報を引き出しては、適切に組み合わせて正解を導こうとするプロセスを、無意識かつ瞬時に行い直感として出力しており、過去の自分専用データベースの傾向から導いたのだから、これまで世の中になかったものでもない限り、直感が外れることの方が稀だろう。

 いざという時に逃げ遅れない為にも、日頃から幅広い知識や情報に触れておくことが大切で、それが世界情勢が不安定で先行き不透明な時代に、自身を守りながら生き抜くことに繋がるのだろう。


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