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生きる意味は労働にあらず。

労働以外の生きがいを、見つけておく。

 先日、AIの技術革新によって、ホワイトカラーが代替される可能性がある旨を記した。もし就いている人は、仕事が代替されたとしても、日本は解雇規制が厳しい。だから失業することはないだろうと高を括るかも知れない。

 確かに雇用規制で安易にクビにはならない。だからまずは新卒の採用を絞ったり止めたりする。代表例が就職氷河期世代だ。定年退職による自然減で徐々に人が減っていくと、賃金は据え置きにも関わらず、一人当たりに要求される労働生産性は年々増加するだろう。

 それもこれまでの頭脳労働ではなく、ロボットやAIで代替できない類の、誰でもできてスキルも貯まらない、旨みのない作業を繰り返すだけの、今のブルーカラーのような道を、ホワイトカラーも辿る可能性が高い。

 労働は誰かがやりたくないことを、代行することで賃金が貰えるものだ。だからお金のためだと思って割り切れば良い。そう思える人も居れば、この単純作業に何の意味があるのかを考え込んで燃え尽きたり、心身に不調をきたす人も居る。

 もちろん、人間なんて複雑怪奇な生命体を、ざっくり両極端で区分できるはずもなく、実態としては中間のグラデーションで前者寄りなのか、後者寄りなのか、それも各々で濃淡が異なる。

 それを踏まえた上で、あえて二者択一で答えるなら私は紛れもなく後者で、20代半ばで内臓を悪くした。賃金を得るために割り切っていた部分もゼロではない。しかし、株式投資を通じて投資家目線で、従業員である自分自身を、社会システムの一角でしかない、一事業体の歯車でしかないことを客観的に認識した。

 そこでの人間関係や待遇など、あまりのスケールの小ささから、大抵のことは気にならなくなった一方で、人類は何のために労働しているのだろうと、哲学者染みたスケールで考えたが、未だに腹落ちするような答えは見出せない。

 多くの日本人は労働を美徳とするプロテスタント的な思想を持つ。だから勤勉なのだろう。しかしその労働は技術革新によって半分近くは代替される可能性が高い。だから、労働以外の生き甲斐とやらを、今のうちから探さないと、誰もが定年退職で築き上げたもの全てを召し上げられ、ボケ一直線の老人状態と化すリスクが潜んでいる。

生きる理由を考え、現状から抗ってみる。

 とはいえ、我々パンピーは生計を立てるために、賃金労働に頼らざるを得ない部分が、多かれ少なかれ存在するだろう。しかし、良い大学を出て、良い企業に勤め、その間に子供を授かれば養育し、住宅ローンを完済する頃に定年を迎えるだけでは、種の存続のため生きている感が強い。

 一度きりしかない人生の時間の使い方として、本当に自分自身がそれを望んだ上で、世間体の良い生き方を選ぶのか、何歳から真剣に考えても早過ぎることはないだろう。

 そうして、私のように理屈をこねて、生きる理由を考えるようになったら、現状を変えようと一生懸命になる人が増えて、毎朝ゾンビのごとく駅に集結し、死んだ魚の目をしながら満員電車で出勤する光景が、多少なりとも軽減されるのかも知れない。

 生活のための労働であって、労働のために生活している訳ではない。

 鉄道員という職業柄、出勤時にアルコール検査があるため、出勤する十数時間前から飲酒を禁じられている。しかし、それを守ったところで、肝臓の分解能力よりも多量のアルコールを摂取すれば、たちまち出勤不能となるから、前日には心置きなく飲むことが出来ない。

 また、頭痛薬や鼻炎薬などの、眠気成分が入っている薬を服用すると、乗務禁止となるため、出勤中に具合が悪くなっても薬を飲むことも出来なければ、定員制故に交代要員が必要なため、早退できることも稀で無駄に苦しむことが多い。

 これら諸々に加えて、次の勤務時間に合わせて、体内時計を調整している状態を、高校を出てから半世紀近くも続けたくはないと思い、働かなくても食っていける術を得るべく、株式投資の世界に足を踏み入れて、時間を掛けて金融資産所得と生活費が均衡する規模まではどうにか持ってきた。仕事のために生活している訳ではないのだから。

好きだけでは不十分。目一杯楽しむ。

 仕事のために生活している訳ではないのに、人間関係の大部分が職場に依存している日本人男性が多数派だし、労働そのものが美徳だから「好きを仕事に」が、社会全体に蔓延っている。

 学生時代の私も例に漏れず、解いた数字が現実に存在する物理は好きな部類だったため、高卒でも就ける物理っぽさのある職種として、キャリアを積めば電車の運転ができるかも知れない、安直な動機から鉄道員を選択した。

 やりたくでできる性質の職種ではないが故にブラック化しやすく、周辺的正社員として重責に見合わない薄給で酷使された末、ストレス過多で大病を患ったことで、好きだけでは不十分であることを入院中に痛感した。

 冷静になって振り返ると、好きで自分から選んだ職種のはずなのに、いつの間にか、気付かぬ間にそれが重荷になっていて、全く楽しんでいないことに気付いた。

 代わりはいくらでも居るのだから、現状が幸せではないと感じるのなら、いつまでも20代で大病を患った不幸者を演じ続ける必要もない。だから次は個人投資家として、社会の枠組みなど無視して、全てが自己責任という名の自由を、好き勝手に謳歌して、目一杯楽しむ所存である。

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