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子に過度な期待を持つ親


令和の時代に昭和の生き方が、良い人生で幸せ?

 昔々あるところ(Xのタイムライン)に「100%応援ができない母親がいます」という胸糞悪いスクショが、どんぶらこ〜と流れてきたことで、上記の動画を視聴する運びとなった。

 上手くまとめられるか自信はないが、要約すると、定職に就いたことで、心身の不調を感じるようになったZ世代が、4ヶ月で仕事を辞め、軽バンを駆使して旅をしながら、フリーランスとして月に30万円稼いで自活するデジタルノマド的な姿と、その価値観に反発する公務員の両親とのすれ違い、いわゆる親ブロックを写したドキュメンタリー作品である。

 作中で気になったのは、両親が異常なまでに「普通」に拘っていることだ。“普通”に大学に行って、“普通”に就職して、“普通”に結婚する。私は以前にも記したが、「普通」など共同幻想に過ぎないと思っている。

 父親が「ちゃんとした会社に入って、社会保険料を半分会社に払ってもらっているっていうかたちでの生き方をしないと、後がかなり厳しくなるっていうのが実際の日本の今の社会だし」と持論を展開していた。

 作中の主人公と同じ世代として、自分の倍近く生きている人間が、社会保険料を半分「会社に払って貰っている」と未だに思っている金融リテラシーに色々と察した。

 簿記の知識があれば、会社負担分の勘定科目は「法定福利費」、従業員負担分も「法定福利費」と、明確に人件費として仕訳されているのだから、本来なら賃金として貰えるべきはずのお金が、見えない形で社会保険料として引かれているのは紛れもない事実である。

 サラリーマン以外は、後がかなり厳しくなるのが今の日本社会と、年金生活のことを暗に示しているが、厚生年金は国民年金の赤字分を補填するのに流用されているため、ほぼ全員が払い損となることが橘玲さんの著書で指摘されており、今の20代が受け取る頃には、悲観シナリオでおよそ半額になっている。

 賃金労働者として払い損となる社会保険料を天引きされるよりも、自営業者として税引前の報酬から、最大7万円/月の小規模企業共済、最大6.8万円/月のiDeCoと国民年金基金、付加年金を掛ける形で将来に備えつつ控除をフル活用し、税負担を最小限に留め、税引後のお金で拡充されたNISAを積み増すのが、これからの時代、最も確実なMy年金となるだろう。

 それに、娘と同年代の部下である公務員を見て、「彼女たち彼らたちを見ていて、やっぱり良い人生を送っているから、やっぱりこういう生き方(公務員)が一番幸せなのかな」と、既得権益にぶら下がる昭和的な生き方が「良い人生」であり、「幸せ」だと思い込んでいる辺りに、浮世離れしている感が否めない。時代は令和だ。

五体満足で生まれて欲しい以上の期待は欲張り

 価値観は人それぞれあって良いとは思うが、それを押し付ける人間に対しては、このハゲー!ちーがーうーだーろー!を脳内再生するようにしている。

 私は普通に大学に行けなかったが、高卒で電鉄会社に就職した。公共的な働き方で、ノルマがある訳でもなく、雇用や賃金も安定した低空飛行で、同業他社であるJRや東京メトロの前身は国鉄や営団地下鉄と、公務員現業職に準じた雇用環境とも捉えられなくはない。

 読者の方は何度も聞かされていると思うが、そんな昭和的「ちゃんとした会社に入って、社会保険料を半分会社に払ってもらっているっていうかたちでの生き方」をした結果、20代半ばで大病を患い入院、手術。

 シフトワークによる不摂生が仇となった医者の見解をガン無視して、休職後は今まで通り現業職で復帰するようにと、遠回しにタヒねと言われたため、過労死する前に退職したが、これが「良い人生を送っている」のだろうか?

 自分が潰れる前に、組織に縛られない生き方を選んだ作中の彼女の方が、私よりもよっぽど器用に生きているし、私も代償として内臓をひとつ失い、持病と付き合いながらではあるものの、何者にも束縛されず、適当にフラフラ生きている今の生き方が性に合っている。

 クラウドソーシングと単発住み込みバイトの合わせ技とはいえ、独力で月に30万円稼げるのは、年収以上に価値があることで、私は他者にスキルを売る芸当ができなかったから、仕方なしに株の売買でしのぎを削っている。

 そもそも親の多くは、五体満足で生まれて、元気に育ってくれれば、それで良いと願いながら、生まれてくる子どもを待ち望むはずだ。

 しかし、実際に元気に育つと、次第に“普通”に大学に行って、“普通”に就職して、“普通”に結婚する。みたいな、過大な要求という名の期待を押し付けるようになる。

 あなた方(両親)の願いや期待は、五体満足で生まれてきた時点で叶えた筈であり、手を離れたということは元気に育った証拠だ。子どもとしての義務は果たしたにも関わらず、何が不満なのだろうか。それ以上、何を求めるのだろうか。

 やれ良い大学に行けとか、定職に就けとか、そろそろ孫の顔が見たいとか、単なる欲張りに過ぎない。

 辛辣に思えるかもしれないが、私は新生児仮死状態で生まれた。というよりは、医療技術によって蘇生された。と記す方が正確かもしれない出自で、後遺障害の懸念もあった。文明が発達していなければ、名もない赤子としてそのまま死んでいるような個体である以上、周りと同じように元気に育つとも限らなかった。

 つまり、五体満足で生まれて、元気に育ってくれれば、それで良いという、親なら誰もが当たり前に願う、それすら果たせない可能性のある状態で、私は生まれた。だから兄弟と違って、親からは何も期待されずに育った。

 身体を壊して世間体抜群の電車運転士を辞める時も、私の「命より大事なものはないから」の一言で何ら咎められなかったし、怪我の功名もとい傷病手当金で1年半働かずにお金が貰えて、住む場所が選べる状況だから、地方で隠居することに関しても、資金繰りの心配はされたものの、それ以外は何も言われていない。

 そもそも、親と子が同じであるはずがない。親は先立つ以上、どれほど生前に期待したレール上に乗ってくれたところで、子の人生を最後まで見届けることはできない。

 安泰と思えた地位が簡単になくなるVUCAの時代だからこそ、耐乏生活に慣れ、自分の腕と頭で自活する術を知っている強さを身に付けることが賢明であり、それらはサラリーマンである限り、身に付けようにも限界があるとも思うが、いかがだろうか。


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