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時代遅れになるか、GAFAの奴隷となるか。

Threadsが話題らしいが…

 GAFAと呼ばれる米国メガテックの一角である、Meta社がInstagramと連動する形で、某青い鳥にそっくりなアプリのThreadsを7/6にリリースした。

 別に失うものなどない。無敵の人予備軍の私は、興味本位で使ってみようと思い、おもむろにMacBookで調べ始めたが、ある現実に直面した。ついに時代がここまで来たのか。

 7/7に放送された日経モープラFTの、豊島キャスターが私が思っていたことを代弁する形で、Webブラウザからは利用できずスマホアプリのみと、おじさんには使い勝手が宜しくない仕様であることを言及していた。

 iPhoneは持っているが、ある種のデジタルミニマリスト故に、SNSアプリの類は一切入れておらず、Webブラウザから能動的にアクセスするため、現代の若年層らしからぬ通知の頻度で、少ない時はこのnoteもそうだが、ルーチンがまとめられたリマインダー1回だけである。

 HSP気質な側面も影響しているかも知れないが、基本的に集中力が途切れる通知の類が嫌いで、スマホを持ち始めた学生の頃から一貫して、受け取りたくないほぼ全ての通知は設定で拒否している。

 当時は多感で自分の感覚がおかしいのではないかと思った時期もあったが、後にGAFAが広告収益を最大化する目的で、いかに人類の可処分時間を画面の世界に持っていくかを意識して、ドーパミン中毒となるようなUIになっていることを知り、直感から来る嫌悪感の正体が分かってからは、気にするどころか、むしろそれに抗うようになった。

 脳科学や行動経済学などの知見を駆使して、通知のバッジは人類が最も強く認識できる赤。

 画面を更新するのが下方向に引き下げる仕様なのは、スロットレバーを暗に示しており、技術的には現状よりも早く画面を更新できるが、ドーパミン分泌を最大化させるために、絶妙な間で焦らすようコンマ数秒単位で調整されている。

 それらのUIを遺憾なく発揮するデバイスがスマホであり、Threadsがスマホアプリオンリーなのは、Webブラウザ版で幅広いユーザーに提供するメリットよりも、気付かぬ間にスマホ依存、ドーパミン中毒に陥っている人間に特化したアプリ版で、囲い込むメリットの方が大きいと判断したからと勘繰ってしまう。

 だからこそ、私はついに時代がここまで来たのかと、黎明期を知っている身として感慨に耽っていた訳である。

もはや現代版マイルドドラッグ。

 デジタル弱者ほど、ことある毎に、ながらスマホはけしからん!的な説教を垂らしている気がするが、ついついながらでやってしまう、当事者の行動心理や原理まで踏み込んで考えようともせず、ただただ感情論で言っている薄っぺらさを、本人が自覚していないのも、如何なものと思いながら、結局両者とも小馬鹿にしている私はおそらく性格が悪い。

 良くないことだと頭で分かっていながらも、ついついやってしまう。歩きタバコや、飲酒運転の常套句感が漂うが、スマホにも中毒性がある何よりの証拠であり、無意識のうちに理性や意思で制御できなくなっている意味では、アルコールやニコチンと同列で語るのが適切だと考える。

 その裏付けになるかは分からないが、Apple創業者のスティーブ・ジョブズ氏が、我が子のiPad使用には慎重だったし、Microsoft創業者のビル・ゲイツ氏も、我が子にスマホを持たせたのは14歳になってからと言われている。

 メガテックの重役ほど、自分達が創り上げた世界の恐ろしさを知っているが故に、我が子にデジタルデバイスを与えるのに消極的なのだろう。

 その恐ろしさを理解してか、中国はGoogle Amazon Facebook Appleに対抗して、Baidu Alibaba Tencent Huaweiと、検索エンジン、ECサイト、SNS、デジタルガジェットそれぞれを、GAFAに頼らず自国の企業で賄っている抜かりなさには恐れ入る。

 日本も表向き独立国家として振る舞うのなら、多少は見習うべきところがあるのではないかとすら思うが、アメリカンコンプレックスな戦後の国民性含め、米国漬けとなっているのが現状である。

relentless.comと、本質を見抜く力。

 養老孟司さんの書籍や講演の鉄板ネタだが、戦前の日本は「本土決戦」「一億玉砕」と教えられていた。しかし、1945年のあの日を境に「マッカーサー万歳」に変わり、教科書には墨を塗った。塗った部分の方が多かったと記憶している。だから人を信用するのは危ない〜と繋がっていく。

 どこかで、あの天下のGoogleだから、Amazonだから、Facebook(Meta)だから、Appleだからと安心しきっていないだろうか?

 誰もが知っている日系企業や、人間関係でも同様だが、何事も良い部分と悪い部分がまぜこぜになっているのが世の常であり、一部が良いと感じても、その全部を盲信するつもりはなく、自分なりの鑑識眼を持つように努めている。

 Googleは四騎士(GAFA)の中で一番掴みどころがないが、かの有名な20%ルールは、業務時間の2割を自分の好きな研究に使えるホワイト企業感すら醸し出している。

 しかし、それによって生み出されたAndroid、Gmail、Google Map、Google Chromeなどの、革新的サービスの功労者の名前は、一般に知られることはなく、Googleの名前を冠している点で、技術者の成果を企業が丸呑みしている。労働時間中の成果だから当然と言えば当然だが、発明をした当事者ならどう思うだろうか?

 Amazonは脅威になると判断した競合他社は、資本力を駆使してM&Aで手中に収める戦略を多用するが、たとえそれに応じなくても、圧倒的資本力の差から、赤字覚悟の価格設定で対抗して、相手がジリ貧になったところで買い叩く、執拗なえげつなさを遺憾なく発揮して、自社の主張を曲げることがない。

 因みに「執拗な」を翻訳した単語にドットコムを付加した、relentless.comを検索バーに入力すると、至極真っ当なWebサイトに飛ぶが、意味がわかると怖い話並みにゾッとすること間違いなしで、暑い季節にはちょうど良い。

 Meta社(Facebook)は先述のドーパミン中毒で、人類の可処分時間を消費させる形で、莫大な広告収入を得ているし、Alphabet社(Google)のYouTubeもそれに当たる。

 Appleは犯罪調査でもiPhoneのロック解除を行わないことで有名だし、iPhone 4のアンテナゲート問題は典型だが、実用性よりも美学を優先する文化がある。

 私もGAFAが創った世界を便利に使ってはいるものの、手放しで褒める気はなく、上記のような倫理的に危うい部分が混在していると思いながら、本質を見抜く力とは何かを意識しながら生きている。

 それは知らず知らずのうちにスマホ依存に陥っている、言わばGAFAの奴隷から見ると、時代に取り残された哀れな人に映るのかも知れない。しかし、それでも私は自分の意見を押し通す、心の中にある細やかな執拗さを大事にしたい。


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