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panda_30:孤独、仲間、友達

 ずっと「孤独」という現象について延々と考えている。そんなときに私の好きな学者のひとりである宮台真司の言葉に出くわした。

 宮台は、ハーバーマスやブーバーを引用しながら次のように語っていた。

 ハーバーマスは、生活世界を「ホームベース(またはホームグラウンド)」、システム世界を「バトルフィールド」とした。
 さらにブーバーは、バトルフィールドである市場や行政が、人を「IT、それ」として扱う世界であり、それに対してホームベースは人を「YOU、汝」として扱う世界であると論じた。そして「それ」の特徴は、入れ替え可能(リプレイサブル)であるという。
 さて、人間は”それ”だと孤独になってしまう誰かによって入れ替え不能な”YOU(汝)”としてまなざされた時に、はじめて輪郭と重みが与えられる

宮台真司、波頭亮との対談にて

 今の自分が多くの人や組織、市場から「入れ替え可能なIT(それ)」になってしまっていると、自分が感じているから、私は強い「孤独(感)」を感じているということなのか。

 さらに「なぜ、あなたの毎日はツマラナイのか?」というグサッと刺さるテーマに対して、次のようにコメントしている。

 皆さんは、成功すれば面白いと思っているでしょうか?今の時点でね、皆さんが成功だと思っているものを得たら「幸せになれる!!」というその馬鹿げた思い込みを捨てないと「こんなはずじゃなかった感」に苛まれてしまいます。
 じゃあどうすれば幸せになれるのか?(中略)
 「あなたはかけがえのない存在だ。私はあなたのことが好きだ。なぜならば、”あなた”は”あなた”だからだ
 こういう風に繋がれる人たちが仲間であって、仲間のために頑張っているときに、人は成果に関係なく”つまらない”とは感じないということです。

同上

 「あなたはかけがえのない存在だ。私はあなたのことが好きだ。なぜならば、”あなた”は”あなた”だからだ」

 すごくグッとくる言葉だ。こういう姿勢で向き合って、仲間(友達)をつくり、ホームベースを築くことができたら「孤独」とは無縁の生き方ができるんだろう。損得勘定で考えている以上は、お互いに置き換え可能な「IT(それ)」にしかなり得ないのだろう。

 言語化されると、あらためて気づかされる。
 「孤独感」に心を病み、来るべき「孤独」に怯えている。
 私はまだ間に合うだろうか…。

 また、宮台真司は「凸と凹が補い合うのが共同体であり、仲間である」と言っている。

 英語ができない人がいる。じゃあ、英語ができる友達がいればいいじゃないか。英語はできるけど喧嘩が弱い人がいる。じゃあ、喧嘩が強い友達に頼ればいいじゃないか。喧嘩は強いけど、プログラミングが出来ない人がいる。じゃあ、プログラミングができる友達をつくればいいじゃないか…

 自分磨きだリスキリングだと、個人が如何にして生き残るかばかりが喧伝されるが、大事なのはお互いを補完する信頼できるコミュニティをつくることなのかもしれない。

 社会人になって、人との出会いが激減しているし(行動しないのが悪いのだが)、このままだと現在の友達にもどんどん見限られて捨てられてしまう気がしてならない。「あれ?友達ってどうやって作るんだっけな…」

 最後に、そんな友達の作り方について、宮台はこう言っている。

 「困っている人を助ければ、勝手に友達になるでしょ。なんでそんな簡単なこともわからないの!?

 見事


 飽きっぽくて、何事も続けられない私が、とりあえず「30日連続投稿」をすることができました。特にここ最近は、クソ記事の連続で、いったい誰が見ているんだろうという状態ですが、とにかくアウトプットを続けてみようと思います。こうして恥も晒せるのは、私の唯一に近い長所(長所と言えないかもだけど…)なのかもしれません。
 「7日」「30日」と達成出来たので、次は「100日」が目標になります。どうぞよろしくお願い致します。

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