何故、障害者は怒りっぽいのか


 師走も終わりに近づきつつありますね。いつもnoteを読んでいただいて、ありがとうございます。注意欠如多動性障害(ADHD)・精神障害者手帳2級で博士(生命科学)のred_dash です。

 障害者である自分が言うのも困った話ですが、障害者って怒りっぽいイメージはありませんか。うん、わかると言う人もいるかもしれませんし、そんな考え方は差別的だ、一人一人を見てない意見だ、と仰る方もいらっしゃるかもしれません。少なくとも、私は障害を自覚してから怒りっぽくなったように感じています。統計を取ったわけではないので、私の意見が一般に言える確たる証拠はありません。ただ、改めて障害のある人のことを思い起こせば、怒るひとや、強く意見を主張する人が一定数いるように感じます。例にあげるのは失礼かもしれませんが、身体障害者ならば乙武洋匡さんとか。精神障害者ならば借金玉さんとか。

 何故、障害者は怒るのでしょうか? 何故、私は怒りっぽくなったのでしょうか。その答えを、この本が教えてくれました。

 私が受け取ったメッセージは「怒っている人は困っている」です。詳細は是非とも本を読んでいただきたいです。感情の取り扱いが苦手な傾向にあると言われる発達障害の人にとってはもちろん、障害のない人が読んでも役に立つと思います。私と妻は二人とも読みましたし、相互理解しやすくなったと私は感じています。
 私は障害を自覚してから、自分の怒りに気づくことが増えました。何故、私にとって困難な課題を平気で出すのか、無理を言うのか、と怒りを感じました。しかし怒りを困りと読み替える考え方を知ってからは、私は怒るのではなく、困っていると周囲に伝えるように意識しています。もっとも、怒った瞬間に頭を切り替えることは簡単ではありません。実際には怒ってしまったあとに、実は困っているんだ、怒ってしまって申し訳ない、と伝える場合の方が多いかもしれません。それでも、怒って引っ込みがつかない状態よりはずっと、コミュニケーションがスムーズに進む傾向があると感じています。

 さて、冒頭の問いに戻ります。何故、障害者は怒りっぽいのでしょうか。答えはとても困っているから、でしょう。
 障害のある人は、その障害に起因して自分では解決出来ない困りごとに直面します。主に健常者に合わせて設計された社会では、当然に困り事が増えます。勿論、困りごとを誰かに相談して穏便に解決することは理想的ですが、誰も彼もが忙しいこのご時世に、手を差し伸べてくれる人は必ずしも多くありません。すると、障害のある人はその困りごとを抱えたまま立ち尽くすか、あるいは強引にでも周囲を巻き込んで解決を図る場合が増えてきます。
 いやいや、個人の困りごとは個人に帰すべきしゃない? との意見もあると思います。その意見はよく理解できます。しかし、個人が責任を取れる範疇にのみ当てはまる考え方ではないでしょうか。生まれつきの障害には、誰にも責任がありません。障害とは本人だけで解決できない困りごとがあるからこそ、障害なのです。個人の困りを個人に帰す考え方を障害に適用することは、たまたま貧乏くじを引いた人はずっと困っていなさい、と言うに等しいのではないでしょうか。

 障害者はいいよね、出来ないことに怒れば周りが助けてくれるから。こんな意見もあると思います。私には悪意がある言い方に感じられますが、部分的には事実を反映しているとも思います。
 でもね。もし、あなたが困ってるならば。障害の有無に関係なく、あなたも困りを主張すればいいのではないでしょうか? 勿論、すぐに誰かが助けてくれるとは限りませんが、それは障害者にとっても変わらない話です。困りごとがある人を、困りごとが解決できる人へ素早く繋ぎ、解決する環境を整えることを目指せば、障害の有無に関係なく、互いのもつ困りごとを解決できるかもしれません。
 もちろん、理想論にすぎません。実際にその環境を実現するためには、お金も時間も人手もかかります。誰がその費用を負担するかが課題になります。互いに助け合う環境は、すぐに実現できることではありません。それでも、障害か否かに関係なく、個人の困りごとや望みを互いに協力しあって解決できる環境が実現できることを願っています。

 私には障害があります。困りごともたくさんあります。一方で、誰かの困りごとを解決する手助けをしたいとも思っています。私が手助けできることを探して、今日も過ごしていきたいと思います。
 それでは、素敵な一日をお過ごしください。 red_dash

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