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理想が勝てない
理想としている生き方はある。「こうありたいな」って思う振る舞い方がある。だけど、それはなかなか叶わない。というか叶っていないから「こうありたいな」と思うわけだ。
ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて
そんなバカな あやまちはしないのさ!
この一節は、小沢健二の楽曲『ローラースケート・パーク』からの引用だが、重たい。軽快なリズムと多幸感あふれるコーラスワークで歌われる楽しい曲だが、大人になればなるほど、この歌詞通りに生きられない自分にもどかしさを覚える。20代でこんなんなっちゃってるんだから、さらに歳を進めば重みはより増していくのだろう。あるいはどこかで青さを失い吹っ切れるのか。
しゃべらない方がしゃべるより強い。これは社会に出ると(と言うか人に揉まれれば)皆なんとなく気づいてくることだ。
この"しゃべる"って単語は、今回の記事では「自分の意見を言う」事として扱う。場の気まずさを埋めるために空間に撒き散らす中身のない言葉の事ではない(便宜上ね)
原則減点方式で進むこの社会では、後攻が絶対有利だ。サービスよりレシーブのが強い。先に自分の意見を晒すと粗を探される。
先行で攻撃する場合は、想定できる相手の発言全てに挑まなくてはならないが、後攻だったら"相手の発言内容だけ"をやっつければいいだけだからね。そして弱点のない意見なんてない。
とはいえ我々は、そんな年がら年中言い争いをしているわけじゃない。むしろお互いウィンウィンでより良くしていきたいのが本音だ。だけど他人とやりたいこともやりたくないこともぴったり一致するなんてありえない。結局お互い譲歩しつつも、なるべく自分の有利な方向に持っていきたい。プチ我田引水合戦だ。だからなるべく有利な条件で戦わなくてはならない。
だけど、景色を変えるのはいつだって先に物事を主張する者だ。たとえ間違っていたとしても、その間違った意見がたたき台になって物事は前に進む。私はそんな存在でありたい。
・・・・・・
いやムリーーー😂
マジで難しい。だめだ。私は普段、「私もそう思います」or「私も違うと思います」しか言わない。
"も"がついてなきゃ怖くて何も言えない。
赤いクモ男(のおじさん)は
"大いなる力には、大いなる責任が伴う"
(With great power comes great responsibility.)
と残したが、小さな発言にも並盛位の責任が伴ってしまう。
発言の力が"小盛り"なのに対して、責任は"並盛り"なところがミソだ
釣り合っていない。先に発言するという事は、お茶碗半分ぐらいのロスが生じる。合理的に考えれば、話し合いの場では相手のパンチを待ってカウンターを狙う戦法の方が勝率が高い。
だからこそ私は、その茶碗半分のリスクを踏み越えた先に視える、自分も相手もまとめて良くしていけるような考えを、勇気を持ってぶつけていきたい。
・・・・・・
でもムリーー😵
他に意見はありますか?と聞かれたら、私はいつも「特にありません」としか言わない。口下手だった時代のオカダカズチカには、代わりにマイクを担当する外道選手がいたが、当然私にはいない。だからいつもその場が終わってから「あの時あれを言っておけばよかったなぁ」と後悔する。誰も代わりに言ってくれないから当たり前だね。
どうしてこうなっちゃったんだろう。子供の頃は、皆お互いがお互いの気持ちを伝え合っていたのに。
最初からツッコまれない発言を用意しようなんて発想すらなかったし、不完全な意見を皆で鍛造していたと思う。実際のところは保護者や先生が誘導していたのかもしれないが、少なくとも作り上げた"感"はあった。子どもの時から劣化している。
だから『ローラスケート・パーク』でも、"何も言えなくなる"のは、"ありとあらゆる種類の言葉を知って"の後なのだろう。
そりゃあそうだよな、私だってそんなバカな過ちはしたくないんだよ。
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